第14話 暮れなずむ、紅焼けの空に雨は降り

「マキアよ、よくぞ無事ダンジョンから生きて戻った。初陣で死傷者無し、更に討伐数400体越えとは見事である。もう傷は良いのか?」


「……元々大した傷は負っていませんでしたから。陛下にはお手間を取らせてしまったようで、申し訳ありません」


「何を言う、傷付き凱旋した勇者を遇する事こそ領主の醍醐味よ。戦果を召し上げ、英雄譚を語らせ、それに相応しい褒美を与えるこの愉悦。これがなければ貴族など退屈でやっておれぬわ」


 公が腹に手を当てて呵呵と笑う。

 ゆったりとした仕立ての寝間着が合わせて波打つように揺れる。

 時刻は既に深夜近いはずだ。恐らくもうお休みになられていたのだろう。

 リミが休んでいる場所を聞こうと城のメイドに声を掛けたら、メイドはこちらの顔を見るなり慌てて何処かへすっ飛んでいった。呆気にとられていると、すぐに駆け戻ってきたメイドに有無を言わさず手を引かれ、気付けば謁見の間で公の前に立っていた。

 ……余程心配させてしまっていたらしい。


「して、どうだったかの、レッサーと初めてやりあった感想は。どうやら『仕留める』にはさほど苦労はなかったと見えるが」


「はい、倒すだけならば。個体の強さで言えば山の獣や低級魔の方が余程手強いかと。ただ……」


 潰しても潰しても湧いてくる、人間型の泥団子。

 その感触も断末魔も、当分忘れられそうになかった。


「うむ。奴らは手強いのではない。ただひたすらにタチが悪いのだ。余も昔、散々手を焼かされたわ」


「陛下も、奴らと戦われたことがあるのですか」


「マキアよ、余がいつからここで領主をやっていると思っておる。地下から奴らが湧き出してきたあの日のことは未だに夢に見るわ。アレは到底、戦などと呼べるものではなかった。蝗の大群に襲われる方が余程近かろう」

 

 アーちゃんが言っていた、ダンジョンに押し込められた劣種人類レッサーヒューマンが地より溢れ出たという数百年前の『厄災』。

 公はその当事者であったらしい。確かに大戦の功績でバルディール領を与えられたなら、その後の厄災を経験しているのも当然か。


「ダンジョンではただの力押しは通用せぬ。己を強く保つ精神こころの強さこそが求められるのだ。その点に関しては、少々修行不足であったと言わざるを得んようだの」


「……仰る通りです。返す言葉もございません」


 恥ずかしかった。

 「穴があったら入りたい」とはこのことか。

 母様や師匠に知られたら何と言われるか。鉄拳制裁で済めばまだ良い方だ。

 

「そう分かりやすく落ち込むでない。ダンジョンに潜る冒険者が一度は通らねばならぬ道、通過儀礼というやつよ。……実のところ、初回の探索から帰ってきた者がそれ以降二度に潜れなくなる、というのは珍しくない。むしろここで折れる者が最も多いのだ」


「……ブロンズへの降格。戦果のノルマ制は、耐えられない者をふるいにかけるための物だったんですね」

 

「救済措置という方が正しいかの。戦えなくなった者に無理強いするわけにもいかぬ故な」


 当然といえば当然の話だった。

 敵を前にして恐怖で動けない人間を冒険に連れて行けるわけがない。

 ましてやあんな地獄にもう一度引きずっていくなんて。

 冒険者の仕事なら他にいくらでもある。

 あいつがダンジョンに潜らないといけない理由なんて、どこにもないんだ。


「陛下、リミリディアは今どこに」


「む、そういえば彼女を探しておったのだったな。よろしい、すぐに案内させよう」


 公が手を上げると、控えていたメイドが歩み出た。

 彼女の案内に従い謁見の間から出ようとしたその時、後ろから声を掛けられた。


「マキアよ、戦えぬ者を戦場に立たせる事は許されぬ。それが戦場における唯一の法理であり、戦に対する敬意である。なれば、その逆もまた然りである」


 戦えるのなら、戦場に立つ。

 それは公の在り方そのものなのだろう。

 そんな高みは俺にはまだ早過ぎるが、その言葉の強さだけでも有難かった。

 

「はい。俺はまだここでは止まれません。俺には、理由がありますから」

 




 案内されてリミのいる客室の前に立ったは良いものの、一体どういう風に入ったものか。扉を開けたあとのイメージが全く浮かんでこない。ノックしたあと、なんと声を掛けるべきなのだろう。そう言えば昔、ノック無しで「おっはー!」とかテンション高めにリミの寝室の扉を開けたら顎にアッパー入れられたことがあったなあ。里にはカギって概念自体が無かったからなあ。なんも考えてなかったなあの時。

 そうだ、考えても仕方ないんだ。答えが、やるべき事が変わるわけじゃない。当たって砕けろだ。


 「リミ、俺だ。今いいか?」

 「……いいよ。入って」


 促され、扉をゆっくりと開ける。

 罠付きの宝箱でも開ける気分だ。

 中は、俺が寝かされていた客室とほぼ同じ作りになっていた。

 リミはベッドの上でヘッドボードに背中を預け、何をするでもなくただ座っていた。元気があるとまでは言えないが、それほど顔色が悪いようにも見えない。

 ベッドの中央に投げ出された足元には、黒い水晶球が置かれていた。アレには確か見覚えがある。


「マルダ婆と連絡取ってたのか。これだけ里から離れた場所でも届くんだな」


「流石になんにもなしでは無理よ。中継点を作っておけば、その分だけ距離を伸ばせるの。中継点の敷設にも魔石が必要だから、いくらでもってわけにはいかないけどね。主に予算とかの関係で」


 魔術も結局お金なのよね―と水晶をペチペチ叩きながらリミがぼやく。

 軽口が叩けるなら少しは安心だけど、やはりいつものキレには程遠い。


「マルダ婆、なんて言ってた」


「今日のことは報告しといたわ。気になるから引き続き調べろ、あとなんか参考になる物を里に送れってさ。私、隠蔽とか迷彩とかそういうの苦手なのよね。公にストレートに話したら許可くれないかしら」


 引き続き調べろ。その言葉の意味する所は一つしかない。

 なのに、こちらを見ずに水晶を撫でるリミの横顔には翳りも怯えもない。

 「何もなかったし特に問題ない」とでも言いたげな表情。

 水晶を撫でるその指先が震えてさえいなければ、騙されてやれたかもしれない。

 だけど、見てしまった以上はもうどうしようもなかった。


「リミ、そのことなんだけどな」

「わたし、諦めないからね」 

 

 即答。反射ですらない、明らかに事前に予想していた応答速度だった。


「はあ、やっぱりね。猪突猛進がウリの筋肉ダルマが似合いもしないシリアス顔してるもんだからそんなこったろうと思ったわよ。誰があのくらいで尻尾巻いて逃げ帰るもんですか。それこそ導師に殺されるわよ」


 ダメだ、予想はしてたが最悪のパターンだ。

 リミは一度やると決めたら誰に何を言われようと絶対にその意志を曲げない。

 この負けず嫌いと執念深さこそがリミの才能の源泉であり、それによってエルフの魔導学院で一目置かれ、里一番のエルフ嫌いであるマルダ婆に弟子入りを認めさせた。こいつはこうやって今までありとあらゆる困難を乗り越えてきたんだ。

 だが今回のは違う。アレは困難とか乗り切るとかそういう種類のものじゃない。

なんとしてでも説得しなければ、次は命が危ない。こうなったリミを説得できたことなど今まで一度もないが、それでもやらなければ。


「あのくらいでってお前、ボロボロだったじゃねえか」

「ボロボロになんかなってないわよ!無傷よ!ノーダメよ!見なさいこの白く輝く玉のような肌を!」

「そりゃ皆で必死こいて庇ってたんだからそうだろうよ。問題はそっちじゃなくてメンタルの方だろ。泣きベソかいてションベンちびってたのにもう一回あそこに戻れんのかよ」

「戻るわよ!全身の穴から何垂れ流そうが戻ってやるわ!むしろだからこそ戻る必要があんのよ、あんな目に遭わされてそのままスゴスゴ引き下がるくらいなら死んだほうがマシよ!つーかちびってないわよ適当に盛ってんじゃないわよこの青ゴリラ!」

「いーやちびってました、抱えた時しっとり濡れてました―!」

「そんなの汗に決まってんでしょバーカそれともなに、あんた匂い嗅ぐなり舐めるなりして確かめたってーのこのドスケベが!」

「はぁぁ!?そんなことするわけねーだろ汗とションベンの違いくらい触ればわかりますぅー!」

「触ったってどこ触ったのよやっぱドスケベじゃないこのヘンタイエロゴリラ!」


 もう何の話してるのかも分からなくなってきた。


「ああもう汗でもションベンでもどっちでもいいわ!けど次はションベンで済まねえかもしれねえんだぞ!お前それでもいいのかよ!」

「いいわけないでしょ!!怖いわよ!ふざけんじゃないわよバカバカバカ!」


 リミに胸ぐらをつかまれ引き寄せられる。

 顔にかかるリミの息が熱い。

 目も頬も真っ赤に染まってて、溢れる涙で濡れている。

 それでも歯は食いしばられ、眉は釣り上がり、瞳のあかはより強く輝いている。リミのこの顔を見るのはこれで三度目だ。


「今日まで、ずっとマキアの横を走ってきた。マキアにだけは負けたくなかったから。だから私はここまでこれた。それはマキアも同じでしょう……?」

「……ああ、そうだよ。お前が一緒に頑張ってくれてなかったら、俺はこんなに強くなれてない。未だに半人前扱いで、ゴルヴァ師匠にしごかれてたよ」  


 泣きじゃくるリミの頭に手をやる。もうダメだ。いつものパターンだ。

 俺はどうしても、こいつのこの顔には勝てないんだ。

 

「だったら、マキアだけは私に諦めろって言わないで。私が負けるのは私のせい、それで死んでもしょうがない。けど、マキアに止められるのだけは絶対に嫌なの……」


 しゃくりあげるリミの頭を胸元に抱え、背中を擦る。

 初めてこうしてやったときのことを思い出し、なんだかおかしくなる。

 あの時は、確か小雨の降る夜のことだった。


「何笑ってんのよサル。さんざん啖呵切ったあとで慰められてるエルフがそんなにおかしい?」


 泣き腫らした顔で睨みつけながらリミがぼやく。

 それでもこっちに体重は預けてきてる辺り、少しは落ち着いてきたらしい。

  

「そうじゃねーよ。そう言えばあの時もこんな感じだったなって、懐かしくてよ」

「あの時って?」

「ほら、マルダ婆の定期試験だよ。雨が降ってきて、風邪引くから帰ろうぜって言ってるのにお前全然聞かなくてよ、結局あの後、二人して風邪引いたんだよなあ」

「ああ、術式精密制御試験ね。最初は簡単だって思ったのに全然上手くいかなくて、やればやるほど頭こんがらがっちゃって、それでアンタと喧嘩して……」


 そこまで言ってリミが止まる。

 瞬き、眼球動作、身じろぎ、息遣いに至るまで完全に静止した。

 まるで時間ごと止められたみたいだ。


「リミ?」

「あたしバカだ」

「は?」


 あらぬ方を見ながら呆然とした声で、アホみたいに呟く。

 どっかネジ飛んじまったんじゃねえだろうな。


「そうよ、完全にあの時と同じじゃない。なんで今さらこんなミスしてんのバカじゃないの私」

「おい、ホントに大丈夫か。なんか打ち所悪かったんじゃねえだろうな」

「マキア、次ダンジョン潜るのいつ?」


 駄目だこいつ何も耳に入ってねえ。

 そして一度こうなったら、あとはロケットみたいに吹っ飛んでいくだけだ。

 結局、今回もリミの毎度のパターンに収まっちまうのか。


「ちょっと色々見直しが必要なのがわかったからよ、諸々準備とか必要だからまあ2週間から一ヶ月くらいは」

「オッケそれだけあれば余裕だわ。十分間に合うと思うから日取り決まったら教えて。おっとこうしちゃいられないわすぐに練習場所確保しないと。この城って中庭とかに使えるスペースあるかしら。まあ最悪外でもいいわ、けど一応許可とっといたほうがいいか。マキア、公が今どこにいるか知ってる?」

「え、あ、さっきまで謁見の間で話してたから、多分今頃自室じゃねえかな。ついさっきだからまだ寝てはないと思うけど」

「了解、じゃあ行ってくるわ!」


 言うなり、「バビューン」みたいな効果音が付きそうな勢いでリミは部屋を飛び出していった。ついさっきまで人に寄りかかって泣きべそかいてた奴とは思えねえ切り替わり方だ。

 そして俺は嫌な予感がしていた。というか確実にヤバイことになる。

 リミの才能は俺が知る限り3つある。

 一つめは一度決めたことは絶対にやり抜く意志の固さ。

 二つめは多少凹んでもすぐに立ち直る切り替えの速さ。

 そして三つめは、思い付きを直ぐに実行に移す思い切りの良さだ。

 この三つが噛み合った時、あいつは常人では思いつかないし思い付いても普通やらないような事を平気でやる、恐るべき独創性を発揮するのだ。


 


 



 


 





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