第13話 バッドガールズ・バッドスマイル

「なるほど、噂には聞いていたが穴蔵にはそんなものがねぇ。アタシも奴らにゃ散々手を焼かされたもんさね。いい気味だよ、まったく」


 水晶に映る導師マスターが、精霊草とゴブリン麻の煙草を燻らせながら吐き捨てる。体に悪いって言ってるのに、ちょっと目を離したらすぐこれだ。


「はい……私も魔導学院で恩師から少し教えられていましたが、まさかあそこまで変質しているなんて」


 文献の記述からもある程度想像はしていたが、あれほどだとは思っていなかった。私の想像力は神々の悪意に到底及ばなかったらしい。


「ふぅむ、実物を見てみないことには何とも言えないが、ただ地下に押し込められてただけって割にはちと妙だね。何かきな臭いものを感じるよ。ヘイルミッター大聖堂の地下墓地カタコンベで嗅いだのと同じ臭いだ」

「あの、かつて導師が焼き払ったという実験施設ですか」

「ああ。正義だの理念だの、御大層なお題目でテメエの頭を芯まで発酵させちまった馬鹿共特有のすえた臭いだ。……どうやら、アタシも知らんぷりって訳にはいかないようだね。お前は引き続き調査を続けな。報告は勿論、出来ればサンプルの一つでもこっちにおよこし。役人に見つかると面倒だ、隠蔽も念入りにやりな。手ぇ抜いたりするんじゃないよ」


 魔石灯マジックトーチに青白く照らされた導師の顔が、にちゃりと歪む。

 新しい実験材料オモチャを見つけた老魔術師の、知的好奇心と愉悦に塗れた顔。

 有り体に言うと悪人面そのものだ。


「……引き続き、ですか」

「あん?なんだいお前、まさか一回失敗したぐらいで折れてブルっちまってんじゃないだろうね。アタシはそんな情けない弟子を持った覚えはないよ」

「そんなことは!……ただ、どうしたらいいのか。あんな大量の、あんなものと、どう戦ったらいいのか分からなくて」


 無意識に、掴まれた脚に手が伸びる。

 あの地獄の暗闇を照らすのに、私の炎はまるで足りていなかった。

 

「はん、戦場で魔力切れ起こすなんて未熟者もいいとこだよ。何度も教えたろうが。お前の弱点は『半端に才能がある』ところさ。他の奴より三歩飛ばしで進めるから、今更そんな基本で引っかかるんだ。マキ坊の泥臭さをちったぁ見習いな」

「マキアも、途中でバテてました」


 マキアの名前を出されて、反射的に膨れっ面で口答えしてしまう。

 マキアにだけは負けたくなかった。マキアに追い抜かれるのだけは嫌だった。

 でも、それなのに、私は。


「お前がそうさせたんだろうがこの馬鹿弟子が!みっともないったらありゃしないよ、こんなことあの爺に知られたら、何言われるか分かったもんじゃない。いいかい、どうするもこうするもないんだよ。お前には才能があった。だから必要なことは全部教えてある。お前の体にはどんな状況にも対応できるだけの術理が既に刻み込んであるんだよ。だから足りないのは頭の方だ。一つで足りないなら、二つでも三つでも揃えてよく考えな」

「あっちょっと導師!……切れちゃった。もう、いっつもこうなんだから。たまには慰めてくれてもいいじゃない、導師の鬼ばばあ」


何も映さなくなった漆黒の宝珠の表面を、指先で撫でながら独りごちる。

その虚無が、何か答えを返してくれないだろうかと。


「頭を増やせって言われても、どうしたらいいのよ」



「なあ、アーちゃん。それで結局、これからどうするべきなんだよ」

「はぁ?」


 抱き枕に飽きたのか、ベッドに腰掛けて水を飲んでいたアーちゃんがバカを見るような目でこっちを見る。


「どうするもこうするもあるまい。主は再びダンジョンに潜り、哀れな人間共を蹴散らし、ダンジョンの深奥に至り運命と対峙するのじゃ。今更確認することでもなかろうに」

「それは分かってるよ。そうじゃなくて、あいつらとどうやって戦えばいいんだ」


 あいつらの正体はわかった。けど結局何の解決にもなってない。

 今のままダンジョンに戻っても、再び今日の醜態を繰り返すだけだ。


「ふむ。何か勘違いしておるようじゃが、4人でダンジョンを踏破するというのは最初から無茶なのじゃ。4人というのは協定で定められた最低限の人数であって、ダンジョンに潜り一定の成果を持ち帰ろうとするのであれば、10人からのパーティが必要だと言われておる」


……そういえば、確かにそんなことをダンジョンに潜る前に言われた記憶がある。

最低で4人、出来れば10人とか。しかし、だとすると。


「じゃあ、なんで今日はわざわざ4人で潜ったんだ?あの死闘は一体何だったの」

「戯け、あんな雑魚とじゃれ合った程度で死闘とは片腹痛いわ。最初に言うたろう、『今日はお試しじゃ』とな。新人研修というやつよ」


 また随分と世知辛い単語が出てきた。

 星が変わっても人種が変わっても、世の中ってのはどこも一緒なんだなあ。


「まあでも確かに、勝手が分かってなけりゃ4人だろうが10人だろうが同じことか。他人様とパーティ組んでる時に今日みたいにバテる訳には行かねえもんな」

「そういうことじゃ。だからの、マキア」


 アーちゃんがすっと手を伸ばしてきて、俺の顎先を指で撫で始める。

 そして次の瞬間、両手で顔を掴まれた。

 傍目に見れば、キスでもしようとしてる男女に見えるのかもしれないが、実際顔を掴まれている俺には分かる。

 

 両手にこめられた力と、俺の両目を覗き込む金色の瞳が俺にそう警告している。

 

「あの技はもう二度と使うな。次、わらわの前でアレを使ったらタダでは済まさぬ」

 

 アーちゃんは本気で怒っていた。

 こんなに人を怒らせたことは生まれて初めてかもしれない。

 リミにも母様にも、こんな眼で見られたことはなかった。

 

「……ありがとうアーちゃん。もうあの技は使わない。元々師匠にも使うなって言われてる禁じ手なんだ。そんなのに最初から頼ってちゃ、この先話にならないもんな」

 

 顔を掴むアーちゃんの手に、そっと自分の手を添える。

 アーちゃんの手から、ふっと力が抜けていく。


「……ふ、ふん。なんじゃその顔は、それが怒られている人間のする顔か!ええいニヤニヤするなっ、本気で縊り殺すぞ戯けが!それで、どうするつもりなんじゃ主は。闘い方を考えねばならんのはよく分かったろうが」


 アーちゃんが背中を向けながら拗ねたように言う。

 その微笑ましさに余計顔が綻んでしまうが、一旦引き締めて考える。

 実際、対策は必要だった。


「……まず最初に、受けに回ったのが不味かった。それは俺の仕事じゃない。そもそも烈山白虎れつざんびゃっこまで使わなくても、俺の膂力なら充分奴らを殺せるんだ」


 それが実際に200体ほど奴らを仕留めた上での実感だった。

 奴らは防具も何も付けていない、剥き出しの全裸なのだ。

 烈山白虎は本来、重武装の相手を武装ごと叩き潰すための技。

 どう考えてもオーバーキルだ。あの時の俺は頭に血が上っていて、そんな判断すら出来なくなっていた。


「そうじゃの、主に防衛タンクは向いておらぬ。素直に攻手アタッカーを務めるべきじゃろ」

「ああ。2、3匹ならそれで十分だ。けど、あの数が相手だと、どうしても素手じゃ足りなくなってくると思うんだ」


 俺の修行不足は否定しないが、それでも素手で一撃必殺を延々続けるってのは無理がある。やはり何らかの底上げが必要だった。それも体に負担をかけない形でだ。


「流儀に反するんだけどしゃあねえな、ミルミスにナックルでも作ってもらうか。

とりあえずはそれでなんとかなるだろ」

「ふむ。まあその辺りは主に任せよう。それともう一つ、そもそも主が慣れない事をする羽目になった原因の方なのじゃが」

「……それは」


 無意識に、その事は考えないようにしていた。

 けれど、決して避けられない問題だった。

 それを解決しない限りは、再びダンジョンに潜ることは出来ない。


「主にとってはこの100年ほど共に過ごしてきた大事ななのじゃろうが、にとっては全く無関係の、ただの他人じゃ。ここらで手を引いてもらうのが最善だと思うがの」


 アーちゃんが、獲物を捕らえた蛇のように凶々しく笑う。

 「お前は決して逃げられない」と告げるように。


「……アーちゃん」

「ほっ、そんな顔も出来よるか。よぅもコロコロと顔つきの変わるものよ。じゃが、そんな青臭い情のもつれは妾の知ったことではない。我らの為さねばならぬことに比べれば、どうしようもなく矮小なものよ」

「あいつがいてくれたから、俺はここまでこれたんだ。あいつが同じ速度で横を走ってくれてたから、俺も負けないように今日まで走ってこれたんだよ。それはきっとあいつも同じなんだ。それを、用済みになったから放り出せってのか」


 いつの間にか、拳を握りしめていた。いっそ砕けろとばかりに力を込めるが、その無力さにいっそ笑い出したくなる。自分なりに、今日まで必死に鍛錬を積んできたつもりだった。なのに、こんなにも足りないのか。


「やれやれ、思った以上に入れ込んでおるのう。まあ、主があの小娘を大事に思う気持ちはよう分かった。じゃがの、だからこそと考えよ。今ここで別れねば、その大事に想うておる相手を、主の運命に巻き込むことになるのじゃぞ。無事に済む保証など一切ない。それで良いのか」


 分かってる。

 あいつと離れたくないのも、ここまで一緒に引っ張ってきちまったのも、全部俺のわがままなんだ。そんなの、最初から分かりきったことなんだ。なのに俺は、それをわざわざアーちゃんに言わせてしまった。どこまで他人に甘えれば気が済むんだ。


「……分かったよ、アーちゃん。俺からちゃんと話す。もうあいつを、あんな所には連れていけない。これは俺の背負った罰なんだから」


 そうだ。これは俺が前世で犯した罪の結果。俺が一人で背負うべき罰。

 最初から、あいつは何も関係ないんだ。

 なのに俺は、あいつにあんな顔をさせてしまった。


「リミとは、ここで別れる。地獄に潜るのは俺一人で十分だ」

 

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