第12話 太陽が沈む時

「なあリミ、もう諦めて帰ろうぜ。別に今日中にやれって言われたわけじゃないんだろ。また明日にすればいいじゃん」

 

 足を開き、中腰で杖を構えて森を睨むリミの背中に声をかける。

 肩の揺れ方と荒く掠れた呼吸音から察するに、多分ちょっと泣いてると思う。

 空は既に藍色に染まり、星が少し見え始めていた。日が沈んで冷えた空気の中に、少し水の匂いが混じっている。いっそ大雨にでもなれば流石に諦めると思うんだけど、風と雲を見る感じでは多分そこまで強くは降らない。このまま意固地になった

リミと夜を過ごし、二人揃って風邪を引くってのはちょっと勘弁願いたかった。


「やだ!!!」


 やっぱり鼻声だ。そんなのでまともに術の制御なんか出来るはずないのに。


 『森の樹に付けた十の印全てに、同時に術を命中させよ』


 それが今朝、中間試験と称してリミに課された課題だった。

 楽勝じゃん昼までに終わらせてあとは久しぶりに川で遊ぶわーと里のガキ達に宣言したリミだったが、もはや夕暮れもとうに過ぎた。残ったギャラリーはオレ一人ってわけだ。

 こういう時に引きずってでも連れ帰るのがオレの役目なんだけど、今のリミに迂闊に手を伸ばすとこっちに向けて術を暴発させかねない。まず心を落ち着かせる必要がある。『女心を動かすには、焦らず騒がずゆっくりと。綿毛を優しく包むように』というのが母様の教えだ。

 その直後に『母様にも女心ってあったんですか?』って口を滑らせたせいで超高速チョップを脳天に食らい床にめり込んだので、それが爆発した時の恐ろしさはよくわかってるつもりだ。


「多分今日は、何ていうか巡りが悪いんだよ。悪い流れにハマっちまってるんだ。『お前ならこの程度すぐに出来るだろう』ってマルダ婆に言われたんだろ?つまり

リミの実力は足りてるってことさ。それで出来ないってのは、なんかそれ以外の、よく分かんねえけど他の理由があるんだよ。だから、えっと、とりあえずリミは悪くねえって」


「うるさい!!!」


 オレの女心懐柔やわらかトークは失敗に終わった。リミが無理矢理術を起動して、二十本近い炎の矢を生み出す。下手な鉄砲もなんとやら戦法だ。


「ファイア・アロー!」


 リミが杖を勢い良く振り下ろしながら叫ぶ。たしか射ち出す時に杖を振る必要はなかったはずなんだけど、もう気持ちの問題なんだろう。浮かべられた全ての炎の矢が、一斉に森の樹々に向かって飛んでいく。何本かが命中して樹が揺れる。この辺りの樹は魔力を多く含んでいるのでちょっとやそっとでは燃えないのだ。当たらなかった残りの矢は、森に吸い込まれて消えていった。

 ……命中したのは半分以下だった。数を増やした分、コントロールが下がったんだ。マルダ婆は相変わらず性格が悪い。今のリミでは無理だと分かっててあんなこと言ったんだな。


「……うひひ。ねえ、見た?マキア」


 無茶な魔力放出で顔を青くしたリミが、肩越しに目だけこっちに向けてくる。もう体ごと振り返る気力もないらしい。なのに口元は笑ってて、眼がヤバイ感じに輝いている。こういう時のリミは母様よりも怖い。


「……10個中8個まで当たったわ。あとは数を増やしていくだけ。すぐに終わるわ。ちゃんと夕飯には間に合わせてあげるから、アンタはそこでアクビでもしながら待ってなさい」


 脚を震わせ、もはや立ってるのもやっとのくせに無茶を言う。

 流石に潮時かと思い手を伸ばしたところに、ポツリと雨粒が鼻先に当たった。

 最初の一粒を追うように、二粒、三粒と増えていく。

 やがてそれらが連なって、さわさわと優しい音を立て始めた。





 


 ゆっくりと目を開く。

 見慣れない石作りの天井に、蝋燭の灯が揺れている。

 金細工の燭台なんて贅沢品に手を出した覚えはなかったが。


「ようやく目覚めたかえ」


 横を見ると、アーちゃんことラーシャがベッドに腰掛けてこちらを見ていた。

 長い金の髪が蝋燭の灯りで波打つように輝き、まるで光を纏っているようだった。

 壁に伸びた影が炎に揺れ、狐耳のシルエットが時折角のように見えた。


「……ラーシャ。ここは」


「二人きりの時はアーちゃんと呼べ。……ここは城塞の客室よ。公への報告中にぶっ倒れおって、そのでかい図体を運ぶのは苦労したんじゃぞ」


 何も覚えていない。

 ビンタされた所まではなんとか覚えてるけど、そこからはもう曖昧だ。

 そうか、帰ってこれたのか。


「なんじゃ、ボーっとしおって。まだきちんと目覚めとらんのか?顔を洗う用の水でも貰ってきてやろうか」


 アーちゃんが俺の頬を指で抓む。咎めるような、それでいて慰めるような抓み方。

 その眼は薄く細められ、出来の悪い子を慈しむような表情だった。


「……夢を見てたんだ。ダークエルフの里にいた頃の夢。最近はあまり見ることもなくなってたんだけど。森の中でリミと一緒に修行してた時の」


 そこまで口にして、急激に意識に火がついた。

 ダンジョン内での全ての記憶が明瞭になる。

 血生臭い惨劇と、俺が護らねばならないもの。


「アーちゃん、リミは!リミはどこにいるんだ!?」


 シーツを跳ね上げ体を起こす。

 そのままベッドから降りて立ち上がろうとした所、アーちゃんに掌一つでベッドに押し戻された。大して力も入ってないのにまるで抵抗ができなかった。


「落ち着け、戯けが。小娘なら別室で安静にしておる。公からの温情で専属の治癒師ヒーラーまで付けられての。……まったく、あの時の公の表情といったらなかったわ。せっかくの報奨金も、あの顔で渡されては遺族補償にしか思えぬ」 


 そういってアーちゃんがベッド横の飾り棚に手を伸ばす。

 そこには、はち切れそうな程に中身の詰まった白い布袋が置かれていた。


「……それ、中身は全部金貨なのか」

「そうじゃ、今回の我らの働きに対する報奨、金貨200枚よ。このうち100枚が主の物じゃ。これだけあれば当分遊んで暮らせるの。もういっそ冒険者などやめてしまうか?」

「馬鹿言わねえでくれ」


 今までの報酬に比べれば文字通り桁違いの額。

 けどそんなものはどうでも良かった。金なんて、食えて屋根のある寝床を確保できるだけあればそれでいい。もとより金のために始めたことじゃない。俺には行かなければいけない場所が、やらなければいけない事があるんだ。

 あのダンジョンの最深部へ。そこに辿り着いて、俺は。


 俺は、そこで何をするんだ?

 一体、あそこには何が居るんだ。


「……アーちゃん、聞きたいことがあれば後で教えてやるって言ってたよな。じゃあ

教えてくれ。あのダンジョンは、あいつらは一体何なんだ。俺は一体、何と戦わないといけないんだ」


 ベッドに座ったまま俺の胸板に手を置いて、こちらを見下ろしていたアーちゃんの

表情が曇る。

 如何にも『面倒なことになった』と言いたげな顔だった。

 はぁ、と一つ溜息をつくと、アーちゃんはそのままベッドに倒れ込み、俺の肩口に頭を載せてきた。いわゆる添い寝の体勢である。


 えっ。

 なんでこの体勢?

 シリアスな説明するのにこの体勢必要?さっきまでので良くない?


「面倒じゃのう」


 言っちゃったよ。

 アーちゃんは胸板に載せた手はそのままに、今度は脚を絡めてくる。

 密着度が上がり、色々な所が色々な部位に当たる。

 アーちゃんの吐く息とその熱が肌に掛かる。


「ねえちょっとアーちゃんなにこれ。ただ説明するだけなのになんか近くない?」

「阿呆、こんなクソつまらぬ面倒事、愉しみも無しにやっとれるか。良いから黙って抱かれておれ。さて、何から話したものかの」


 収まりの良い位置を探すかのように、頭をぐりぐりと動かしながらアーちゃんがあらぬ方向を見て呟く。


「まず主よ、今まで一度も疑問に思わなんだのか?この世界に生まれてから、今日までのを」

「……そう言われても、人間だった時の記憶が戻ったの昨日だしさ。色々ありすぎて考える暇もなかったよ」


 だが、前世の記憶が戻った今なら分かる。隠れ里であるダークエルフの集落はともかく、このあらゆる人種が行き交いするバルディール大城塞で、今まで一度も人間を見たことはなかった。


「かつてはこの世界にも、主が知る人間ヒューマン達が多く住んでおった。いや、むしろこの世界も主の前世の星と同様に、人間が支配する世界であった。その全体に対して占める人口比率は六割を越え、この世界の陸地の3/4を領土とし、森や山や沼地を手当たり次第に開拓し、他の亜人種デミヒューマンを尽く辺境の僻地に追いやっておった」

「……デミヒューマン

「そう、じゃ。エルフも、ドワーフも、ミノタウロスも、皆そう呼ばれて酷い扱いを受けておった」


 分からない話ではなかった。

 前世の、人間社会での記憶と知識に従えば、人間がそうする生き物だということは容易に想像できた。しかし、今の記憶と知識に従うと分からないことが出てくる。


「なんで、人間は他の種族を支配することが出来たんだ?この星の人間ってそんなに強かったのかよ」


 精霊を支配し、手足のように使いこなすエルフ。

 他種族の追随を許さぬ、圧倒的な体格と膂力を誇るミノタウロス。

 馬の俊敏さに加え、人間の頭脳と手を持ち武器を振るうケンタウロス。

 背中に有した羽根で、自由自在に空を駆けるバードマン。


 この星の各種族は皆それぞれが身体的特徴に応じた特性と長所を持ち、それを種の誇りとしている。その力は圧倒的で、俺が記憶する人間の能力を大きく上回っているように思えた。

 例えるなら、ヒグマやゴリラが武器や道具を使い、徒党を組んで襲い掛かってくるようなものだ。そんな世界で、人類がそう簡単に世界を支配できるものなのか。


「その辺りは一応こっちに来た時にわらわも説明されたのじゃが、聞き流しておってよう覚えておらぬ。たしか、単純に数の差と、あとは『長所以外の全てで勝っていたから』とか言うておったの。まあ過程はどうあれ、結果として人間はこの世界の主要人種メインプレイヤーだったのじゃ。その証拠に、今この世界で亜人種が使うておる建築物や街道、農耕や漁業などのノウハウや各種学問知識に至るまで、その大半は人間が残したものよ。このバルディール大城塞もその一つじゃ」


 そう言われて、思わず身を起こし部屋の中を見回す。

 確かにこれは、歴史の教科書なんかで見た中世の建築様式そのものだった。

 全体的にシンプルで作りに無駄がなくて飾り気が少ない、ゴシックとか言うんだっけこういうの。


「しかし、ある日急に潮目が変わった。人間は何故か攻め寄せる亜人種達に全く対抗できなくなり、瞬く間に城と領地を奪われ、今度は自分達が僻地に追いやられる事になった。じゃが、亜人種たちはそれすらも人間に許さなかったのじゃ」


「許さなかった、ってどういうことだよ」


 アーちゃんは相変わらず俺の肩に頭を載せたまま少しだけ目を合わせると、また何も言わずにあらぬ方向へ目を逸らした。何か顔を見ながらでは話しにくい理由でもあるのだろうか。


「望まず追いやられた地とは言え、精霊の住まう深い森や岩肌が切り立つ険しい山脈は、既に亜人種たちにとって『魂の故郷』とも言うべき場所になっておったんじゃな。なんのかんの水も合っておったのじゃろ。それを今更、自分達を虐げ続けてきた人間に譲ってやる理由はなかったというわけじゃ。森や山は渡さぬ、勿論今まで支配していた平原部に住むことも許さぬ。もう人間の行ける所は地上のどこにもなかった。故に、人間が生きられる場所はもはや一つだけじゃった」


「それが、あのダンジョンか」


「そう。アレもまた人間が何らかの理由で掘り進めたものらしいが、亜人種達はまるで箒で掻き集めた塵芥ごみを攫って捨てるように、全ての人間をあの穴蔵に押し込め蓋をした。それぞれの出入り口に番人を置き、まるでとでも言うかのように、それきり忘れ去ろうとしたのじゃ。そして、それから数百年後のこと。亜人種達は平穏な生活を取り戻し、新たな世代が育ち始めておった。記憶は薄れ、当時を知るのは一部の長命な種の生き残りだけになった。……厄災というのは得てしてそういう時に、思い出した様にやってくるものよ」


「……あいつらは、そうやって生まれたんだな」


 劣種人類レッサーヒューマン

 かつて人であったもの。

 そして、もう人ではなくなったもの。


「うむ。それはそれは凄惨な光景だったらしいぞ。もはや誰からも忘れ去られ、まともに番もされておらんかった穴蔵から、奴らが一斉に溢れ出た。地獄から復讐を果たしに蘇った亡者のようにの」



 

 

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