第11話 血路

「あぶぅっ、あぶぅっ、うばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 口を開き涎も垂れ流すままに、その眼に何の理性も知性も宿していない何かが、猿のように飛びかかってきた。とっさに拳打と蹴りで吹き飛ばす。振り払うような拳。追い払うような蹴り。ただ恐怖だけが顕になった技を反射的に振るってしまった。


「馬鹿者、雑に打つな!一撃で確実に仕留めよ!」


 ラーシャが後ろから叱責してくる。その手には細身の剣が握られている。

 重量ではなく速さと鋭さで殺すその刺突を、確実に頭蓋と心臓に打ち込んでいく。


「こやつらは生きておる限り絶対に諦めん!体のどこがへし折れようが、動く限りは地を這い襲い掛かってくるぞ!」


 ラーシャの言葉通り、俺が先程打ち払った数体が立ち上がり、再びこちらに向かって来ている。雑だったとはいえ手加減をしたつもりはない。その証拠に一体は片目が吹き飛び、残りは折れた骨がその生白い肌を突き破り、血を吹き出している。人間なら戦意喪失して当然の損傷。なのにこいつらはそれを気にも止めていない。


「なんだよ!なんなんだよこいつらは!!」


「後で好きなだけ教えてやるわ、今はただ殺すことに専念せよ!ただし無駄打ちはするなよ、こやつらは数が多い!へばればそのまま食い殺されるぞ!」


「くそっ、そうは言ってもよ……!」


 このどもは一定の距離まで近づいてくると、必ず飛びかかってくる。脚は奇妙に曲がり蛙のように短いのに、腕はやたら長い。アレに集団で絡みつかれると終わりだ。

 さっきから俺とラーシャで十体近く撃ち落としているのに、まるで恐れを知らないようにただ跳躍だけを繰り返してくる。こいつらには学習機能ってもんがねえのか。


 ラーシャの剣舞は剣の素人の俺が見ても熟達と分かる見事さで、地下の更に密集状態という本来なら長物を振るいにくい環境を、まるで気にも掛けていない。

 いたずらに剣を振り払うことなく、洗練された足捌きから繰り出される閃光のような刺突が確実に奴らの急所を貫いていく。


 しかし俺の打突はそうは行かなかった。そもそも素手の格闘術は「上から飛びかかってくる相手」を即死させられるように出来ていない。心臓と肺腑の破裂を狙って打ち込んではいるが、どうしても撃ち漏らしが出てしまう。

 撃ち漏らした分は今の所はホルンが処理してくれている。その岩石のような腕はただ叩きつけるだけで殺傷力を持つらしく、ダンジョンの灰色の石畳に肉塊と血溜まりを並べていく。しかしその速度は決して速くない。このままではいずれ処理が追いつかなくなる。ホルンは多少たかられても無事だろうが、その後ろにいるリミは


炎魔烈刺槍ファイア・ピアース!」


 収斂された炎の槍が貫通して複数にまとめて突き刺さる。そしてそのまま消えることなく、内部から肉と内臓を焼き尽くしていく。対生物用により殺傷力を高めたこの呪文は、俺とリミが協力して編み出しこの一年で磨き上げて完成させたものだ。


「リミ!もう大丈夫なのか!?」


「うっさいわねちょっと面食らってただけよ!こいつらはアンタより私向きよ、片っ端から焼いていくからアンタは撃ち漏らしを片付けてなさい!」


 リミが魔杖を掲げ、その先端に取り付けられた紅玉に再び魔力を集中させる。ダークエルフの鍛冶師であるミルミスの手によってリミの血液と炎精を融合させて作られたその紅玉は、世界で唯一リミだけが使いこなせる特注品オーダーメイドだ。

凄まじい速度と収斂率で新たに装填された槍が矢継ぎ早に射出され、串刺しの焼死体を量産する。

 

「ほっほ、さっきまで隅っこでブルブル震えておった小娘が急に威勢ようなったものよ。しかしやる気になったのは良いが、あまり気張りすぎるなよ。息が続かなくなっては困るからの」


 そういってラーシャが剣先で、炎の槍に貫かれた人間もどき達を指し示す。

 

 三体並んで貫通され、串に刺された肉団子のようになった人間もどきが、肉の焼ける匂いをさせながらまだこちらにゆっくりと歩いてくる。

 巨大な蝋燭と化した死に損ないが、ダンジョンの薄暗闇を照らし出す。

 俺達がいる広場に繋がる幾本かの通路が、その光によって浮かび上がった。

 そこには、無数のぶよぶよとした肉塊がまるで順番待ちをするように蠢いていた。


「ひっ」


 活気を取り戻したばかりのリミの表情が恐れに曇る。

 俺も知らぬうちに、つばを飲み込んでしまっていた。


「さあ、全員やる気になった所でこれからが本番じゃ。奴らは決して諦めぬ。故に、殺し続ける以外に我らが生きて還れる道はない。背中を向ければ即座に暗闇に引きずり込まれるぞ……!」


 燃える肉団子が灰になって焼け落ちる。ダンジョンが再び暗闇に閉ざされていく。

 辺りを照らすものが再び照明ライトの術の光だけになる。

 それを合図に、再び奴らの侵攻が始まった。

 




 「はぁっ、はぁっ、くそっ、まだか、まだなのかよ……!」


 打突の精度が鈍っていく。

 最初は九割以上あった一撃での致死率は疲労と共に下がり続け、今や七割すら怪しくなってきた。リミは既に魔力を使い果たした。あの新魔法は相当に魔力を消費するらしく、想定よりも遥かに速く限界に達した。そもそも限界まで魔力を消費するということ自体、今日が初めてのことだった。


 もはやラーシャは何も言わない。ただ黙々と刺突を放ち続けている。流石に汗を浮かべていたが、息を切らす様子はない。俺よりもずっと速く動き続けているのに。

ホルンも同様に、最初から変わらぬ一定のペースで腕を振るい続けている。そもそも肉体より樹木や自然石に近い体を持つトロールには疲労という概念自体ないのかも知れなかった。なんともズル臭いが今はありがたい。もしホルンがいなければ動けなくなったリミがどうなっていたかなど、想像に難くない。


 今殺したので何体目だろう。

 殺し始めて一体何分経ったのか。

 もう拳打だけに頼っている場合ではない。

 飛びかかってきたやつの脚を掴み、そのまま振り下ろして床で頭を砕く。

 拳より隙は大きくなるが今は一体でも確実に殺さなくては。

 脚を掴んでいた手を離し、もう一匹同じように叩き殺そうと顔を上げる。


 べしゃり


 丁度そこに何かを投げつけられた。

 ここに来て飛び道具か、と思ったが石ではない。妙に柔らかい感触で痛みもない。

 当たった頬を撫ぜるとぬるりとしている。

 血と、それに混ざる排泄物の匂い。


「……これは。まさか、そんな」


 それは臓物の塊だった。

 連中が仲間の死骸を爪と牙でかっさばき、そこから引きずり出したはらわたで肉団子を捏ねていた。


 違う。

 こいつらは人間なんかじゃない。

 俺の知る他のどんな生物も、こんな事をするものか。

 

 心が折れる。

 俺はほとんど傷も負っていない。体力も底が見えているとは言えまだ続く。

 なのに、俺は


 「きゃあああああああああああああああああああ!!」


 後方からの甲高い悲鳴。

 その不吉な響きが気付け薬になり、俺はとっさに後ろを振り返る。


 「リミ!?」


 リミが足首を掴まれている。

 俺がさっき床に頭を叩きつけた奴だ。

 割れた頭の鉢から脳漿をこぼしながら、それでも這って進んでいたのか。

 そして足首を掴んで絶命したそいつの足を、暗がりに紛れて回り込んだ他の二体が掴み、リミごとどこかへ連れ去ろうとしている。


 「や、やだ、やだやだやだ、たすけて、助けてマキア……!」


 もはや掴まれた足を振り払う気力もないリミが、懸命に手を伸ばしている。

 その顔は涙と鼻水にまみれ、絶望に侵され尽くしている。

 何十年一緒に生きてきて、未だ見たことのなかった感情。

 俺が今まで一度もさせなかった表情。それを。


 

 

 許さねえ。

 もう貴様らを、生き物だとすら思わない。


 「そいつに、薄汚い手で触ってんじゃあねぇぇーーーーーーーー!!!」

 

 地精加速アースロケット

 縮地にも迫る速度で弾け飛び、その勢いのままリミを掴んでいる手首に足を振り下ろす。踏み付けなどと生易しいものでは済まさない。石畳ごと踏み潰す。

 ぶちゅりという感触とともに手首が切断され、引きずっていた二匹がその勢いのまま後ろに転げる。こいつらも逃がすつもりはない。そのまま轢き殺す勢いで間合いを詰める。

 拳を刃に。蹴足を槍に。

 無様に尻餅をつき、起き上がろうとしている蛙共の顔面目掛けて掬い上げるように貫手を放つ。下顎から上をスプーンで抉るように吹き飛ばす。


 吸い上げた地精を大地に返さず手足に留めることで、気血の篭った鉄塊と成す。

 ゴルヴァ流精霊武術禁じ手、殺法・烈山白虎れつざんびゃっこ

 この技の前には剣も鎧も土塊同然。ましてやこんな腑抜けた蛙など。


「さっきからピョンピョンピョンピョンうざってぇんだよカスどもが!カエルなら

カエルらしくお池で合唱でもしてやがれ!」


 再び他の個体の所まで間合いを詰め、飛び上がろうとしている所をそのまま頭から踏み潰す。床から手足が生えたような愉快なアートが生成される。更にその後ろにいた飛び上がったばかりの奴を、ジャンプの最高点に達する前に貫手で壁に貼り付けにする。

 確かに飛びかかられるのは厄介だ。だがこいつらはジャンプの予備動作として必ず地面にしゃがみ込む。またジャンプの初速もそれほど速くはない。なら飛び上がって落下してくる前に先手を取って潰すだけだ。

 そうだ、俺は何をやってたんだ。何が一撃の致死率だ。何が隙を小さくだ。

 ただ、やられる前に潰せば済む話じゃねえか。


 拳で蛙の頭を弾丸ライナーのようにかっ飛ばす。後ろに突っ立っていた蛙の頭に

命中して諸共破裂する。こりゃあいい、一度で二匹殺せるってわけだ。手間が省ける。これなら遅れも取り戻せそうだ。

 今度は蹴りで数匹まとめて壁に叩きつける。タイヤが破裂するような音がダンジョンの通路にこだまする。

 手刀を横になぎ払い、範囲内にいた蛙の首を全て飛ばす。飛んだ首が天井でバウンドしてスーパーボールのように跳ねる。

 よし調子が出てきたぞ。

 気付けば俺は蛙が詰まった通路の中程まで進んでいた。見れば足元にさっき臓物を捏ねて投げつけてきた奴らがいる。そいつらは肉を弄る手を止めて、呆然とこちらを見上げていた。


「どうした、泥遊びが好きなんだろ。俺も手伝ってやるからよ……!」


手近にいた蛙の腹を蹴り上げ、炸裂弾のようにブチ撒ける。

血と肉のシャワーを浴びた蛙共が、ぎゃあぎゃあと哀れな悲鳴を上げる。

まるで突然この世の終わりが来たかのように蛙共が慌てふためいている。

なんだ、出来るんじゃねえかそんな顔もよ。


「どうしたよ、さっきまでの勢いはどこに行った。こっちも急いでるんでな、手っ取り早く済ませてくれや」


 手足が少し重く感じる。感覚も麻痺し始めている。

 本来なら即座に排出しなければならない地精を留め続けているせいだ。

 この技が禁じ手である理由。精霊をその身に宿し続ければ己自身も精霊と化す。

 あと五分もこの状態を保ち続ければ、文字通り手足が鉄塊になる。

 充分だ。それだけあればこの通路を綺麗に掃除できる。


「ここから先、テメエらは一歩も通さねえ。もちろん後ろにも逃さねえ。ただその場で無様に破裂して、汚え血で地べたを染めやがれ」


 獣の咆哮を上げ、突き進む。

 もはや蛙共は、ただ踏み潰されるのを待つだけの存在でしかなかった。






「やれやれ、終わりか。どうやら二階にいた分は全て片付いてしまったようじゃな。殺し続けよとは言うたが、まさか皆殺しにするとはの」

 

 呼吸が定まらない。ぜひゅ、ぜひゅ、と死にかけのように息を吐いている。両膝についた手が上がらない。そのまま座り込んでしまわないのは、二度と立ち上がれなくなる気がしたからだ。


「数も妙に多かったが、最後の一匹まで逃げなかったのも気になるの。奴らは無理と判断すれば再び闇に潜み、次の機会を待つというのが本来の性質なのじゃが。確かに何か異変が生じておるようじゃな。ホルン、小娘の様子はどうじゃ」


「じゅつがきいて、よくねむっています。とくに、もんだいはありません」


「ふむ。ではそのまま抱えて帰ってくれ。今のこやつには荷が重かろうからの」


が俺の前に来たのが気配でわかった。顔は上げられない。


ぬし、いつまでそうしておるつもりじゃ。こっちを見よ」


 向けられる顔など無かった。だが、それでも顔を上げねばならない。気力を振り絞り、どうにか両膝から手を上げ前を向く。


「どうじゃ、散々に斬り暴れた気分は。少しは気が済んだか」


 アーちゃんが両手を腰につけて立っている。俺よりずっと小さい体で仁王立ちするその姿に、何故か母様の姿が被った。


「アーちゃん、リミは」

「無事じゃ。外傷もない。今は鎮静レストの術で眠っておる。少し寝かせれば体は回復するじゃろう。聞きたいことはそれだけか」

「ああ」


それだけ聞ければ充分だった。それ以外のことは後でいい。

アーちゃんは少し俺と見つめ合ったあと、ゆっくりとため息を付いた。

静寂があたりを包む。耳鳴りが聞こえそうなほどに冷たく張り詰めている。


次の瞬間、空気が切り裂かれた。あまりの速さに風切り音が後から来た。

スパァンと、小気味良い音があたりに響く。


万全の状態でも見切れないような、物凄いスピードの平手打ちだった。

一瞬遅れて頬が熱くなり、その後を追うようにジンジンと痺れ出した。

 その熱と痛みが今は何よりも有難かった。もし今頬を張られていなければ、俺は床に手をついて、みっともなく泣き出していたかもしれない。


「帰るぞ」


 俺に背を向け、一階に向けて歩き出すアーちゃんの後を、叱られた子供のように

ついていく。

 

 これは後から聞いた話だが、この日の全員での劣種人類レッサーヒューマン討伐数は400体近くになり、その内の200体近くを俺が仕留めていたらしい。全体への報奨金は金貨200枚を越え、討伐数の比率から金貨100枚が俺の取り分になった。

 今まで冒険者稼業をやってきた中で最大の功績と報奨。しかし、その事実は俺の

記憶に残らなかった。


 俺は今日、冒険者になってから初めて負けた。

 成すべきことも成せず、目標に背を向けて敗走したのだ。

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