第6話 その輝きは芳しく

「さて、カッコよく里を出はしたものの、これからどこに向かうかな。ミルミス、

お前は何か当てがあるのか?」


「僕は族長の紹介で、街の鍛冶屋に住み込みで働かせてもらえることになってるんだ。街へは『森を出てまっすぐ道なりに進めばそのうち着く』って言われてるんだけど」


「もう、あの人達はそういう肝心なとこが適当なんだから……とにかく森を出ましょう。そこから先は私が案内してあげるわよ」


 生まれ育った里に万感の思いで別れを告げ、涙を背中に振り切って颯爽と旅立った俺達は、第一歩からノープランの手探り状態で闇雲に森の中を歩いていた。この辺りは既に里の縄張りから離れているので誰の手も入っておらず、森の中で最も草木の密度が濃くなっている一帯であり、ここを突破して里に侵入してくるような物好きは

ほぼいない。『森の壁』と呼ばれているある種の結界だ。

 当然、道といえるようなものはある訳もないので木々を踏み分けながら進むしか無い。俺が先頭を切って無理やり前に進み後の二人のために道を作っているというのが今の状況だ。

 里の住人である俺達が、内側からバキバキ音を立てながら里を護ってくれている森を踏み荒らしてしまって良いものかと思うが、今更里に帰って抜け道やら何やらを聞くというのはカッコ悪すぎる。男たるもの前進あるのみである。


「そう言えば、リミはどうやって里まで来たんだ?まさかここを通ってきたわけじゃないんだろ」


「あの時はダスティーさんが迎えに来てくれたのよ。その時は背負われて、木々の枝を飛び移ってきたわ。先に言っとくけど真似しようとしても無理よ。森の狩人にしかわからない、飛び移れる枝のルートが有るんだって。しょうがないから私達はこのまま進みましょう、記憶が確かならそろそろ森から出られるはずよ」

 

 リミの言う通りにそのまま森を歩き続けると、段々と木々の高さが低くなり、空が広く見え始めた。足場も鬱蒼とした獣道から、少しずつ歩きやすく拓けた道になってくる。どうやらこの辺りにはもう外の住人が立ち入れる場所らしい。そのまま踏み固められて出来た道を進んでいくと、やがて森の出口に辿り着いた。


「うおおお……!」


 森を出ると、山の裾野のなだらかな斜面に、見渡す限りの草原がどこまでも続いていた。

 眩しい。

 今まで木々に遮られていた日光が、自由に万遍なく降り注ぐ。

 空が木々の高さより遥かずっと上にある。

 空に広がる雲のありのままの姿を初めて見た。

 左右のどちらを見渡しても限界はなく、視界の果てまで蒼と緑の空間がどこまでも広がっていた。世界はこんなにも広かったのか。


「すごい!すごいぞリミ!ミルミス!これが外か!これが世界か!」


「あーハイハイ、初めて森を出たエルフの定番リアクションそのままをどうもありがとう。森を一歩出ただけでこれじゃ先が思いやられるわね」


 俺の全力の感動をどこ吹く風と、外界慣れしたリミが適当にあしらってくる。

 おのれ先輩風吹かせやがって可愛げのないやつめ。ミルミスを見てみろ。口と目をかっ開いて一言も発さないぞ。


「この斜面をもう少し下っていくとじきに横断する街道にぶつかるわ。その街道を東に進むとポツポツと点在する農家が見えてきて、やがてその一帯の集積地でもあるアルメスト村、そこを超えて更に進むとバルディール大城塞に着くわ。私達の目的地はひとまずそこね。ミルミスがいう街も多分そこのことよ。住み込みを雇う余裕のある鍛冶屋なんてこの辺りにはバルディールしか無いしね」


「ふうん、よく分かんねえけどとにかく真っすぐ行けばいいんだな。俺達はそれでいいけど、リミも一緒についてきてくれるのか?一旦エルフの国に帰ったりしないのか」

  

 リミも五十年位近く故郷から離れてたんだから、てっきり里を出たらそのまま帰るのかと思ってたんだけど。そう聞くと、リミはトン、トンと跳ねるように前に歩み出た。


「帰りたいって気持ちがないわけじゃないんだけど、導師マスターの教えを受けた今、堅苦しい魔導学院に戻る気もあまりしないのよね。留学が終わり次第帰ってこいとも言われてないし。それより今はこの五十年で身につけた力を試したいの。だからしばらくはアンタについていくわ。私がいないと、街での生き方なんてわからないでしょ」

 

 こちらを振り返ることなく、一歩前を歩きながら「しばらく手伝ってやる」とリミは言う。ありがたいんだけどそういうのは顔を見ながら言って欲しい。けれどまあ、紅く染まった大きい耳に免じて何も言わないことにした。昔っから器用そうに見えて変な所で不器用だよなコイツ。

 

 街道を進むとリミの言う通り、畑で農作業をする人達が見えてきた。その多くがコボルトで、少しだけノームやミノタウロス、ケンタウロスなんかも混じっている。

 リミ曰く「この辺りは基本的にコボルト族が開いた農村なんだけど、農業アドバイザーとして他の種族も手伝いに来ている」とのこと。大戦後、長く続いた平穏の中でようやくこうした動きも少しづつ出てきたらしい。


 そうしているとやがてアルメストの村に着いた。ここに畑で取れた農作物やらを一旦集め、この先にあるバルディールや街道で繋がる他の都市に運ぶらしい。そのためにこの村には住居だけでなく行商人や旅人が寝泊まりするための宿屋、特産物などを売る市場、有志によって結成された自警団詰め所なんかもあるらしい。


 気付けば結構な時間歩いていたようで、既に日が暮れ始めている。俺とミルミスはこのままバルディールまで歩いてもいいと言ったが、夜間は城塞の出入りは禁止されるらしい。それなら仕方ないと、宿屋に泊まることにした。したのはいいんだけど。


「宿泊料、一人につき一泊300バルドって言われてもなあ。これってつまり、カネのことだよな?」


「そうよ、300バルドならバルディール銅貨300枚、銀貨なら3枚、金貨なら1枚で3人が10泊してもお釣りが来るわね。目安としてはそこの市場で売ってるりんご一つが5バルドってところかしら」


「そう言われても高いのか安いのかも分かんねえよ。いやそもそもカネなんか持ってないんだからどうしようもないけどさ」


「まあ値段はこんなもんじゃない?城塞に行けばもっと高くて高級な設備の宿があるけど、ここはとりあえず夜を凌ぐための一夜宿って感じだし。でも私も里暮らしが長すぎて、通貨のことなんてすっかり忘れてたわ……ミルミス、アンタ何か持ってないの?」


 リミがそう聞くと、ミルミスは肩から掛けた布袋をまさぐりはじめた。そう言えばこいつだけ荷物持ってきてるんだったな。いやむしろなんで俺達は手ぶらなんだ?


「そう来ると思って、兄貴から値の付きそうな鉱石をいくつか貰ってきてるよ。里の皆からの餞別だってさ」


「うーん鉱石かあ。ありがたいけどこの村で換金なんか出来るかしら。まあ行商人が通る以上は両替商もいるだろうから、見せるだけ見せてみましょう、ほらアレじゃないかしら」


 リミが指差す市場の一角に、天秤といくつかの布袋を台に載せて座っているゴブリンがいた。結構頻繁に客が訪れていて、そのたびに人の良さそうな顔で一見和やかに商談をしている。


「ふーん、あいつがカネに替えてくれるのか。けどこういうのって騙されたりしないのか?」


「バルディールくらい人が多くなるとそういう怪しいのもいるかもしれないけど、この村の両替商はあまり数が多くないみたいだし、こんな村でアコギな商売なんかしたらすぐに叩き出されちゃうわよ」


 リミがそう言うならそんなものかと思い、ゴブリンの所に歩み寄った。なんかよく分かんねえけど緊張するなあ。


「へい、いらっせえまし!おやお客さん方初めて見る顔だね。見たところ行商人って感じでもなさそうだ。巡礼の旅か何かかい?今日ここでオイラを選んでくれたのも何かの縁だ。これからのご縁を願ってサービスしときますよ」


 ゴブリンはこちらの顔を見るなり破顔して、流れるように喋りだした。如何にも温和で話の分かりそうな感じだけど、口火を切る一瞬前にこちらを値踏みする目をしたのを俺は見逃さなかった。師匠の動きに目を慣らした俺でやっと分かるくらいだったから、見た目より遥かにデキるやつらしい。


「大体アタリよ、用事はこの鉱石をバルディール通貨に替えてほしいの。それなりに無茶言ってる自覚はあるから無理にとは言わないわ」


 そういってミルミスから受け取った、所々が蒼く煌めく結晶混じりの鉱石をゴブリンに見せた。俺も見覚えがある。確かマルダ婆の滝から少し行った所で取れる鉱石だ。なんか魔力を多く含むとかどうとか婆ちゃんが言ってた気がするけど。


 目の前に置かれた鉱石を見て、ゴブリンは何かレンズを取り出して観察し始めた。……なんか表情がどんどん険しくなっていくんだけど大丈夫か。


「お嬢さん方、どこでこれを?」


「内緒よ。盗品とかじゃないから心配しないで」


「でしょうな。加工後ならともかく、鉱石の状態でこれが盗難に合うとは考えにくい。どこで採れるかすら知られておらんのですから。オイラもこの仕事なげえですが、これを拝見したのは片手の指で足りるくらいですねえ。……そうですな、金貨2枚って所でどうです」


「2枚に銀貨80」


「……2枚に銀30」


「銀70」


「……銀50に近隣の情報って所で勘弁願えませんかね」


「……しょうがないわね、いいわ。それも確かに必要なことだしね」


「へえ、ありがとうごぜえやす。それではお確かめください」


 そういうとゴブリンは天秤に貨幣を載せていく。リミとミルミスはそれを真剣な面持ちで見ている。……金貨2枚って結構すごい額じゃないのか?なんかよく分からない内に色々決着したらしい。うーん、勝負にも色々あるんだな。全く俺が何かできる余地がなかった。


「数と重さ、共に問題ありやせんね?ではこちらをどうぞ。で、近隣の情報……といってもここなら当然城の方ですわな。一見は何もなく治安も安定してるようにみえるんですが、どうも一月前辺りから、ほんの少しですが妙なことがありましてね。物資も貨幣の動きも殆ど変わってねえんですが、人の入りは少し多くなってるんですよ」


「……出る方は?」


「それも変わりねえんで。そこが奇妙なんです。人が入っていくばかりで出る数は変わらない。なのに物資の量と物価も貨幣も変わりがねえんです。これじゃ帳尻が合わねえ」


「けど現実にそうなっている。つまり、それ以外の何かによって帳尻が合わせられているということね。……ありがとう、参考になったわ。機会があればまた頼むわね」


「ヘイお待ちしてますよ、どうぞご贔屓に。……この鉱石といい、どうもお嬢さん方は何かしでかしてくれそうだ」


 そういって手を振る両替商の前から目線で礼をして離れる。今のやり取りでリミは何かに納得したようで思い詰めた顔をしてるんだけど、俺は完全に置いてけぼりになっている。もうちょっとマルダ婆の座学とかを真面目にやっとくべきだったか。


「なあリミ、結局今のどういうことだったんだ?」


「……そうね、断言はできないけど、もしかしたら結構物騒なことになってるのかもしれないわ。正直、今時腕っぷしで食べていくのなんて出来るかなと思ってたけど、幸か不幸かなんとかなるかもしれないわね。きちんと準備をしてから城に入ったほうがいいかも。そういう訳なんでお金入ったしアレ買ってもいい?」


 リミは眉一つ動かさず真剣な顔で、服を取り扱っている店を指差している。この市場の中でも素人の俺が分かるくらいになんか高そうな物ばかり置いてる店で、店番の身なりと立ち振舞からしてちょっと違うし、リミが指差しているのはその店の目玉商品っぽい、緑のローブだった。ローブと言っても袖丈は動きやすいように詰められ、シルエットもただ布を被ったようなものではなく体型を活かすような工夫がされており細やかな装飾も施されている。なによりオーラのように立ち上る精霊力が半端ない。恐らく施されている装飾の力か。確かにこれをリミが着たら凄く可愛いけど、そう思ってリミの顔を見ると物欲が漏れ出したような顔をしていて割と台無しっぽい。


「だーめーでーす、物の価値なんか俺よく分かんねえけど、入ったカネをいきなり使っちまうとかダメに決まってんだろ!お前一人のためにある金じゃねえんだぞ!」


「なーにーよー頑張って交渉したのはワタシでしょー!ねえお兄さんこれいくら?」


「今ならちょうど15000バルドでご提供しています」


「よしイケる!」


「イケるじゃねえわ、宿代の50倍ってどんだけ使おうとしてんの!?ほらあっちのもうちょっと安そうなのにしなさい!」


「いーやーアレがいいの、一目見て気に入ったのあの服はワタシのために今日あそこで待ってたのよー!」


「なんか急にフニャフニャになったなお前!?さっきのキリッとした顔はどこ行った!」


「だって五十年ぶりのショッピングなのよ!アンタ乙女の五十年ナメんじゃないわよ、うわ言葉にしたら予想以上にズシッと来たわ、だからおーねーがーいー!」


 これ以上は危険と判断したのでリミを肩に担いでその場を離れた。すっかり里に馴染んだと思ってたけど、無理してた部分もやっぱあったんだなあ。そういえば里に来たときの磨道装束をずっと色々直して今も着てるもんな。……金がもう少し貯まったら考えてやろう。



 宿に戻って荷物を置いたあと、リミはまだブー垂れていたが少しすると落ち着いて、やることがあると出ていった。……金は置いていったので大丈夫だ。多分。

 ミルミスはもう少し市場を見てくるらしい。ミルミスなら何か今後の役に立つものを見つけられるかもしれない。俺は一人やることがないので、一人宿のベッドで横になっていた。母様が作ってくれた藁の寝床よりもずっと柔らかく良い手触りなのだが、それが逆に落ち着かない。そんなふうに感じている自分に苦笑する。旅立って一日もしない内に家が恋しくなってどうする。これからはこちらに慣れなければいけないのだ。そのためにもさっさと寝るとしようと思い、俺はゆっくりと目を閉じた。


             





















                みつけた













               やっとみつけた


               ずっとまってた


                はやくきて 


              はやくきてくれないと


              もうがまんできないよ













誰かに組み敷かれている。肩を抑えている手が熱い。焼けた鉄よりもなお熱く、肉が焼けただれ既に骨まで見えている。目の前に顔がある。顔。顔のはずだ。その場所には顔があるはずだ。知っている顔が見えた気がする。あったこともないはずなのに。思い出そうとよく見るともう別の顔になっている。今度は見たこともない顔だ。なぜ見たこともないと思えるのか。見たこともないから当たり前なのになぜかそれが飲み込めない。熱く溶けているのは肩だけじゃない。重ねた腰も溶けている。溶けて混ざり合っている。そいつは全身が太陽のように輝いていて、触れた所を全て溶かして飲み込んでいく。気づけば俺に残されたのは顔だけだ。最後に残った俺を飲み込もうと顔が迫ってくる。目の前が顔で一杯になる。耳、鼻、唇、瞳。近すぎて誰なのかわからない。そのまま何も分からぬままに俺は全てを飲み込まれた。自分が消える最後の一瞬、頭を飲み込まれてようやく俺はそいつを思い出し、塵一つ残らず霧散した。






 目を開けた。木板の天井が見える。さっきと変わらないアルメスト村の宿屋だ。

つまり今見た光景は夢だった。ただの夢。なのに俺は起き上がることも出来ないほどに消耗していた。全身から冷や汗が吹き出している。夥しいほどの水分が失われていた。体を引きずるようにベッドから這い出て、部屋を出た。


 宿屋の主人が俺の顔を見るなり慌てて医者を呼ぼうとしたので呼び止めて、水だけくれればいいと頼んだ。木椀に注がれた井戸水を一気に飲み干し、外の空気を吸うために宿の壁にもたれかかっていると、そこにリミとミルミスが帰ってきた。少しは回復したかと思っていたが俺は未だに酷い顔をしているらしく、二人は宿屋の主人以上に慌てて取りすがってきた。リミはよほど混乱しているのか、俺の両肩を揺さぶって泣いている。五十年近く一緒に育ってきたのに、こんなに近くでこいつの泣き顔を見たのは初めてだった。「大丈夫、慣れない寝床で妙な夢を見ただけだから」と説明しても二人は落ち着いてくれず、俺は二人がかりで部屋まで担ぎ込まれた。


 ミルミスは何か回復の足しになるものをと外に出かけ、リミは俺のそばでつきっきりの看病をするつもりらしい。もう心配いらない、寝れば明日には元通りだと言っても聞いてくれず、俺を無理やり寝かしつけ、井戸水で冷やした布を俺の頭に乗せてきた。怒ったような顔でこちらを見ているリミの目尻に浮かんだ涙を、慰めるつもりですくい取る。その手に重ねられたリミの手の熱を感じながら、俺はようやく何かが始まった気がしていた。

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