優しい管理人さん

朝、自転車をゆったり漕いでいると、後ろからすずめが自転車スレスレを横切った。もう少しで接触する所だった。すずめに目を向けると、優雅に羽を広げていた。こっちはヒヤヒヤしたっていうのに呑気なもんだ。

遠のいて行くすずめを見ていると、小さい頃の記憶が蘇ってきた。

前に住んでいたマンションにとても優しい管理人さんがいた。僕が見ていた限り、管理人さんと会う住人は必ず挨拶を交わしていた。マンションの住人も管理人さんの人柄を知っていたからだろう。隣に誰が住んでるかすら知らない人が多いこの時代に。


僕は優しい管理人さんが大好きだ。

管理人さんは嘘をつかない。そこが一番好きな理由だ。思ったことをちゃんと伝えてくれる。当時はまだ子供だったが、感覚的に分かっていた。


僕には日課があった。

小学校から帰ると一目散に管理人さんがいる場所に向かう。一階のエントランスに管理人室があって、いつもそこにいる。

コンコンとドアをノックして、管理人さんを待つ。この間、僕はドキドキしなくちゃいけない。マンションを掃除している時や、郵便局に行ってる時は、ここにいないから。

でも今日はいるみたい。ドアの向こうから管理人さんの優しい声がした。さっきまでのドキドキはすぐに収まって、ワクワクが溢れてくる。

ドアが開くと、管理人さんの優しい笑顔が僕を迎えてくれる。

「いらっしゃい。ジュースあるよ」

そう言って僕を部屋の中に入れてくれた。

縦長の4畳程度の広さに、ドアの側から机、モニター、冷蔵庫、ソファ、トイレ、シンクが隙間を作らずに置いてある。

僕がソファに座ると、管理人さんは冷蔵庫からジュースを取って渡してくれた。

学校で起こった他愛のない話をしながらジュースを飲む。僕が話してる間、管理人さんは僕の目をちゃんと見て聞いてくれる。すごく落ち着く。この時間を楽しみにしていると言っても良い。

ジュースを飲み終えると、ソファの横に置いてあるボールを持ってエントランスに出て、一人で壁に向かって投げたり蹴ったりして遊ぶ。一人でも楽しい。

遊び疲れた僕はエントランスの階段に座って汗を拭いた。

近くで鳥が鳴いている。振り返ると駐輪場とエントランスの境の手すりにすずめがとまっていた。

駐輪場からエントランスまでは吹き抜けになっていて風が流れ込んでくる。風と一緒にやってきたすずめの鳴き声が、僕の耳を涼めてくれた。

でも、涼めてくれるだけで、汗は引いてくれない。もっと強い風が欲しくなって、透明のガラス扉を片方開けるために立ち上がった。理科の勉強は苦手だったけど、扉を開けると風の通り道が生まれて、風がたくさん吹いてくれることくらいは僕にだって分かる。

扉を開けると思った通り、風がたくさん入ってきた。

さっきの場所に戻ろうとすると、すずめが勢いよくこっちに向かって飛んで来て、僕の後ろに抜けた。すずめを目で追おうとした時、重たくて鈍い音がエントランス中に響いた。

閉まっていたもう片方の扉にすずめがぶつかった。

すずめにとっては何もなかったそこには、透明色のガラス扉があった。そのガラスにはぶつかった跡がくっきりと付いていて、すずめは地面に倒れていて動かない。

すぐに管理人さんを呼んで、どうしたら助かるの、と、目頭の痺れるような刺されたような痛みを我慢しながら何度も聞いた。

「大丈夫、管理人さんが助けてあげるからね。ちょっと待ってて」

そう言って、持ってきた新聞紙に優しくすずめを乗せ、何処かへ行ってしまった。

座って待っていると管理人さんが戻ってきて優しい顔を見せた。溢れそうな涙を我慢して、じっと管理人さんを見た。

「すずめは元気に飛んで行ったよ」

管理人さんは僕の目を見ながら優しく言った。

僕はやっぱり正しかったと思った。

管理人さんは優しくて、そして、嘘をつかない。

でも僕は初めて目の前で生き物が死ぬのを見た。



懐かしい記憶を思い出したら管理人さんに会いたくなった。他愛のない話をたくさんしたい。

また時間を作って、顔を見せに行こう。

そして、あの優しい笑顔を見に行こう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る