第十六章 使命(11)

十一


 小惑星衝突の噂のせいか、ことだまワールドでは交通量が少ない。ハイウェイをスイスイ走って、タクシーはほどなくしてマンハッタン島の南端近くにあるヘリポートに到着した。


pilotパイラット】(操縦者)は素っ頓狂な声を上げる。


「なんだって! 今すぐ飛んでリバティー島に着陸しろだって? 自由の女神をただ遊覧するというならともかく、着陸なんて無茶言わんでくれ。あの島にはヘリポートはない」


「じゃあ、遊覧でいいからすぐ飛んで!」


 ユキは百ドル札を十枚畳んで、【pilot】の胸ポケットに押し込んだ。杏児は呆気にとられて見ている。


 数分後、二人は機上の人となっていた。たちまち眼下に自由の女神が迫ってくる。


「ユキ、何考えてるんだ?」


 杏児が身振りを交えて大声で訊くと、ユキは杏児の右の耳当てを開けて、耳元で意外なことを言った。


「いいから、黙って私の手を絶対放さないで。行くわよ」


「あッ!」


 パイロットが慌てる間もなく、ユキは杏児の手を取り、扉を開ける。


「大丈夫よ、福沢ユキッ!」


 一瞬恐怖に顔をこわばらせはしたものの、キッと眉を逆立てると、ユキは自分に言い聞かせるように大声で叫んで、次の瞬間、杏児の手をつかんだまま、ヘリから飛び降りた。


「うわッ!」


 杏児が恐怖でパニックになる。二人は真っ逆さまに自由の女神の足元に落下していく。


「杏ちゃん、踏ん張って!」


「え?」


 言われていることはよく分からなかったが、杏児は死にたくない一心で足をバタつかせた。ユキに手を引かれながら、二人の身体はスローモーションのように回転し、足からふわりと着地した。


「!」


 無事着地はしたものの、直後に立ちくらみが襲い、杏児は数秒間その場に座り込む。視界が戻って来ると、隣りでユキもしゃがんでいた。ユキは細かく震えている。


「おい、大丈夫か?」


 回りにいた数人の観光客が声をかけてくる。ユキはしゃがんだまま手を上げて無事をアピールした。


 二人が死んでいないことだけを確かめ得て、それ以上為す術もなく、爆音と共にヘリは飛び去っていった。


 杏児はゆっくり立ち上がる。


「ユキ……君は何者なんだ」


「高所、恐怖症……」


「いや、そうじゃなくて、軟着陸できることを誰に聞いて知ったんだ」


 するとユキは一瞬の静止ののち、顔だけを杏児に向けて静かに言った。


「半年前に一度経験済みってことよ。杏ちゃんだって、やればできたじゃない」


 ユキは小さく「えッ」と気合いを入れると、膝を伸ばして立ち上がり、安否を気遣う二、三人の人々に大丈夫だと言葉を投げて、杏児の手を引っ張った。


「こっちよ」


 ユキは駆け出した。女神像の裏手の、内部へ入る入口を目指しているようだった。杏児は訳が分からぬまま、ユキについて走る。


「ちょっと、お嬢さん、チケットを見せて」


 入口の扉を入ると、台座の中は大きなホールになっていた。ゲートでスタッフのおじさんが呼び止める。するとユキは、「KCJのエージェントです」と言って手で襟をグイッと引っ張って、金鴨の社章をよく見せた。


「カム・イン(どうぞ)」


 杏児も同様に許可を得て、二人は台座の中の博物館へ入る。もう杏児は何がなんだか分からない。


 博物館に人はほとんどいなかった。ユキは迷いなく歩いて行き、後頭部三分の二が壁に埋もれた、金色の巨大な顔のオブジェの前で立ち止まった。


「な、何を……?」


 顎の先が床に、眉毛の上辺が天井に接している顔面は恐ろしく迫力がある。人の頭ほどもあるその双眸は、真っ直ぐにこちらを睨んでいる。ユキはその両目をじっと睨み返すのだった。


「ユキ?」


 杏児を無視して、ユキはまるでガンを飛ばすようにその目を睨み続ける。すると……


「あッ!」


 巨大な眼球が、わずかに動いた。ユキから目を逸らしたのだ。杏児はのけぞって驚いた。眼球に可動性があるとはとても思えなかったからだ。


 そして、それと同時に低いモーター音がして、顔面が右にスライドし始めた。


「えーッ?」


 もう、漫画かスパイ映画の中のできごとだ。顔面の後ろにもう一枚ドアがあった。金庫のように堅牢な鋼鉄製の扉に見えたが、鍵はかかっていないようだ。ユキはレバー型の取っ手を少し押し下げて、そのままレバーを手前に引いた。分厚いドアが音もなくひらく。


「ああーッ!」


 杏児は想像だにしなかったことばかりでこれまで驚愕しっぱなしだったが、今回が最大の驚きになった。


 探していた囚われのワーズたちがそこにいたのだ。


【happiness】、【liberty】、【freedom】、【dream】、【runaway】が一斉にこちらを向き、その表情が警戒から歓喜へとみるみる変わっていった。


「ユキさん!」


「みんな、やっぱりここだったのね」


 杏児が後ろからつぶやく。


「いやいや、やっぱりって……?」


 杏児のつぶやきを無視してユキはワーズたちを急かした。


「さあ逃げるわよ。タッチ・ハート作戦が間もなく始まる。国連本部の総会議場へ行くのよ」


「分かりました! みんな、行こう!」


 ワーズ達が連れだってユキについて出口へ向かう。


 一番後ろで、顔面が閉じて行くのを感じながら、杏児は唸った。


「KCJのエージェント? うーん、福沢由紀……あいつ、何者なんだ」

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