第十六章 使命(1)
一
佐東誠也書記官に伴われて、万三郎は国連本会議場の裏手の控え室に入った。
カバンを置いた途端、ノックもそこそこに典儀長が入室してきた。インド系の顔立ちで堂々とした体躯の持ち主は、明らかに不機嫌だ。
「どちらがミスター・ナカハマかな」
典儀長は不作法に訊く。佐東は典儀長に向き合って、万三郎を手で示し、あわせて自分の身分も語った。典儀長は、万三郎に向き直ってジロジロと見てきた。身長差があるので、万三郎は至近距離から見下ろされる格好だ。
「失礼ながらあなたはかなりお若いが、本当に日本国の代表として演説されるのかね」
たまりかねて佐東が間に割って入らんばかりに口を挟む。
「日本政府代表部の人間として、この方が日本国内閣総理大臣の正式な代理人であることを保証申し上げる。グプタ典儀長、この際年齢は関係ありません。ビヌワ議長閣下から申し伝えを聞いておられると思いますが」
グプタと呼ばれた典儀長は、依然、万三郎を見下ろしながら吐き捨てた。
「一官僚だと聞いている」
万三郎は答える言葉を知らず、すがるように佐東の方を見るしかなかった。
「グプタ典儀長、わが国の代表者に対して、あまり失礼な言動をなさいませんように。あなたの品位を落としますよ」
「ミスター・サトウ。あなたはまもなく本国へ帰られるのだろう」
佐東はグプタを見たままいったん口を閉じたが、やがて乾いた声で言った。
「いや、ニューヨークで職責を全うするつもりです」
「ほう」
グプタは佐東に向き直る。
「では、訊く。家族と共に本国へ帰ることをあきらめ、この格式ある国連総会の典儀長として、最後の瞬間まで誇り高く職務を遂行しようと決意した私がなぜ、その最後の仕事として、一人の官僚風情をここから案内しなくてはならないのか。その無念が君には分かるだろう?」
「典儀長、ご安心ください。これが最後の仕事にはなりません」
万三郎はグプタをしっかり見つめてそう言った。万三郎を見返すグプタの目が、いったん見開かれ、次に疑念たっぷりに細められた。
「ほう、そうかね……そうだと、いいなあ。以前、あなたのお国の若い女性講演者のように、一言も発することなく倒れたりしなければ、褒めて差し上げよう」
「何ですって?」
万三郎は思わず訊き返したが、佐東がそれにかぶせるように静かな怒声を発した。
「グプタさん! 議長閣下はそのような応対をあなたに要請したのですか。非礼にもほどがあります」
グプタはフッと笑って、二人を交互に見ながら言った。
「今から、ミクロネシア連邦の副大統領が島嶼国家の代表として演説を始める。アポフィスが太平洋に衝突したら国家と国民が消滅するので、内陸国家は、わが国民を数十名ずつ、緊急移民として受け入れてくれないか……という悲痛な嘆願だ。ミスター・ナカハマ、次だ。次があなたの番。あと十五分ほどで議場に案内する。準備しておかれるがよろしい」
そう言い捨ててグプタはいったん部屋を出て行った。
万三郎はため息をついて佐東を見る。佐東は目でソファに座るよう促し、万三郎と向かい合って座った。
「佐東さん、弁護して下さってありがとうございます」
「中浜さん、この部屋を通して登壇するのは、本来国家元首クラスだけです。それで彼は機嫌が悪い。まあ、彼個人の事情もあるようですが。だが気にする必要はない。総会議長がそれを認めているのだから」
万三郎は頷き、佐東に訊いた。
「佐東さん、あなたは先程、僕の演説なんて所詮、刑の執行を控えた死刑囚に、祈りなさいと諭す牧師みたいな気休めだろうと言っていましたよね。ですからあのような典儀長の侮蔑から僕を守ってくれるなんて意外でした」
佐東は二、三秒の沈黙の後、少し顔をほころばせて打ち明けた。
「あなたたちが瞑想室にいる間に、内村さんから私に電話があったんだ」
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