第十四章 覚醒(21)

二十一


 万三郎はまた水を口にして後、ユキに訊いた。


「ユキも今なら自分の過去、思い出せるんじゃないの?」


「わ、私は、どうしても思い出せないの」


「ふうん……。俺と同じようにユキも、ことだまワールドの中では思い出せなかったけれど、リアル・ワールドでなら……」


 小さい声でそこまで話して、万三郎はふと言葉を切って考えた。それから訊く。


「ねえ、ユキ。カプセルで覚醒した時、頭に金属の鉢巻きみたいなの、巻かれてた?」


 不意にそう訊かれたユキは、コホンと小さく咳き込んで、答えた。


「お、覚えてない」


「そうかあ。俺は、巻かれてた。だって、その鉢巻きがケーブルで固定されていたのを知らずに起き上がろうとして、グキッ! てなったもの」


「……」


「今思うに、あれで、レシプロ中の俺をコントロールしてたんじゃないか。だって、嫌な感じにめげずに、なお断絶した記憶を思い出そうとした時には、きまって急に頭痛がし始めた……ような気がする。まさか、孫悟空の頭の輪みたいに物理的に締め付けるんじゃないだろうけど、電気信号でも出していたんじゃないかな」


「さあ……」


「明日、石川さんに訊いてみようかな」


「こ……こんな大事の前には、やめておいた方がいいんじゃない?」


 万三郎は急に少し上体を起こして、ユキをまじまじと見つめた。


「ねえ、ユキ……風邪ひいてるの?」


「え? どうして?」


「声、震えてるみたいだし、さっき、咳したじゃない」


 万三郎が指摘した通り、ユキの声はさっきから震えている。いや、声というより、ユキ自身が震えているのに万三郎は気がついたのだった。ユキはまた押し黙りかけたが、不自然に明るい声を出して誤魔化した。


「風邪じゃないわ。昼間のカーチェイスをちょっと思い出しただけ。怖かったから」


「そう? トラウマになりそう?」


「普通じゃなかなか体験できないことだから……フフ」


 笑いながらユキは、握った右手で目尻をこすると、毛布をすっぽり頭まで引き上げて鼻をすすった。万三郎からは、あるいはユキが泣いているようにも見えたが、ユキは頭から毛布をかぶったので、それ以上追及するのはやめにして、独り言のようにつぶやいた。


「俺が思い出そうとして気持ち悪くなったり頭痛になったりしたときって、きまって社章のカモの目が赤く光っていた……ような気がするんだよな。ユキや杏児はそんな経験なかったのかなあ」


 毛布の端をこちらに少し開けて、その暗がりの中からユキがくぐもった声で言った。


「ねえ……万三郎、もうやめよ。考えること増やさないで、頭と身体、休めようよ」


「あ、ああ。そうだな、分かった」


 万三郎はふうとため息をつくと、シートに深く身体をうずめた。ただ、目だけは正面の虚空を睨んでいる。


――そうだ、俺は東京N物産に就職が内定していたんだ。そしてS大学の卒業論文の口頭試問も終わって、あとは卒業式、入社式を待つのみ。だから高知県四万十市の実家にしばらく戻っていたんだ。そこで海難事故に遭った。古都田社長が言ったように、俺は――清水海渡は――もう社会的には死んでいるのかな……。

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