第十四章 覚醒(9)


 車寄せに着いていた黒い特別仕様のミニバンには、見知らぬ男性運転手のほかに、空港で落ち合うと言っていたはずの石川が助手席に、官邸まで同行していた古都田は最後部座席に座っていた。新渡戸が助手席に近づくと、石川は窓を開ける。


「総理と官房長官との打ち合わせを早く切り上げた。総理の決断を仰ぐために、政府高官たちが長蛇の列を作っているよ。総理と彼らの打ち合わせが移動のヘリの中にまで及びそうだと秘書官が言っていたから、ヘリの席を一つでも空けるためにも、時間のある私は車で向かいますと申し出た」


「そうでしたか。で、総理はやはり……?」


「うん、やはり羽田で直接見送りたいそうだ」


「……なるほど」


 納得した新渡戸は、恵美を先に後部座席に乗り込ませ、自分が続いて、二列目には三人の救国官を座らせた。


 石川が運転手に言う。


「では、やってくれ」


「了解しました」


 ミニバンは滑るようにゲートを抜けて走り出した。


 走り始めるとすぐに、運転手がハンドルを握ったまま礼儀正しく挨拶した。


「内閣府大臣官房総務課の服部はっとりと申します。羽田空港まで運転手を務めさせていただきます。本日は道がすいているので、突発的なことがなければ、羽田まで三十分弱で着きます。よろしくお願いします」


 よろしくお願いしますと三人は揃って答礼を返した後、車窓から左右の風景をうかがう。


――これがリアル・ワールドか。一か月ぶりなんだろうが、ずいぶん年月が経ったように思えてしまう……。


 車の数は少なかったし、歩道を歩く人もいない。しかし、最初の信号待ちの時に、後方からかすかに、太鼓の音と大勢のシュプレヒコールが聞こえてきた。窓は閉まっているのに、車内まで聞こえてくるのだから、相当な大声だ。


 服部運転手は、三人のETが、眉をひそめて耳を澄ましているのをミラー越しに認めて口を開いた。


「後ろです。国会議事堂と総理官邸を取り囲むように朝から大規模なデモが行われています」


「デモ……」


「はい。今日は日曜日ですから、ここ数日で最大規模に膨らんでいます。ちょっと危険な人たちも加わって、警察と一触即発のきな臭い状況です。暴動に発展しなければいいのですが……ね、石川さん」


 服部が助手席の石川に水を向ける。


 石川は頷いた。


「先ほど総理官邸に報告に赴いた時は、車を取り囲まれて身の危険を感じた。服部さんの機転のおかげで助かったが、予断を許さない治安状況だ」


 信号が青になった。車は右折し、エンジン音とともに群衆の声はたちまち遠ざかる。


 万三郎は、車窓に流れる景色を複雑な思いで眺めた。首都高の高架に沿って走る三車線の大きな道に入ってもなお車はまばらだ。そして街はひっそりとしていた。ホテル、カフェ、飲食店など、施設は軒並みシャッターを下ろしている。ことにコンビニと食料品店では、『飲食料、完売しました』との紙がシャッターに貼られているのを見かけた。

心の中に暗雲が広がるのを万三郎は実感している。杏児とユキも無言だからおそらく同じ気持ちだろう。


 服部は重苦しい車内の空気を何とかしようと思ったのか、車を走らせながら、努めて明るい声で、まだ四月一日なのに、ここ数日間の全国の気温がまるで初夏のように高いという話や、沖縄の南西海上に、季節はずれかつ記録的に強い台風が近づいてきている、という話をした。


 なるほど、見るとこの車では冷房がかかっているし、車窓から見える道々ではソメイヨシノが五分咲きといったところだ。この暖かさの中では、日没までにもっと開花しそうだった。


 万三郎は助手席の石川に、後ろから声をかける。


「石川さん」


「何だ?」


「政府はまだ公式発表していないと、さっきおっしゃってましたよね」


 石川は黙った。服部運転手が沈黙の意味を察して、助手席を見ながらおどけたように答えた。


「石川さん、私も内閣府の人間です。真実を知っていますし、官房長官や事務次官を何度も送迎しています。国家公務員法に基づく守秘義務も負っていますので、どうぞご心配なく」


 石川は、頷いて、それから顔を少しだけ後ろに向けた。


「蹴り上げられたラグビーボールのように、いびつな楕円天体が、回転しながら地球に近づいている。そこまでは民間観測機関の指摘を受けて政府も認めている。それ以上については、政府はノーコメントだが、巷のうわさでは、小惑星は太平洋に衝突する、日本列島はもちろん、地球文明全体が衝突に伴う津波で壊滅すると言われている。衝突天体の形状、質量、地球との相対速度、突入角度などの要因で大きな衝突ディープ・インパクトになるということらしい」

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