第十三章 選別(11)

十一


 次のシートレ、「赤ん坊の父親が僕だという保証はどこにある?」は少々長かったが、時間内にスムーズに編成され、飛び立っていった。


 将也氏は、自分の口をついて出て行ったその英文の意味を、出て行ったあとになって初めて理解して、驚きのあまり日本語でつぶやいていた。


「べ……ベイビーだって……?」


 祖父谷率いるスピアリアーズの連中も、スムーズにオーダーに応じている。いかんせん、同じホームの右側と左側を使っているので、声が大きいと聞き取れてしまう。


 万三郎たちが編成したセリフを将也氏が言った直後、楊さんの顔色が変わった。明らかに怒りの色が浮かんでいる。


「ゴー!」と向こうのクラフトマン島田がシートレを送り出すと、まもなくその編成通り、モニターに映る楊さんから英文が発せられた。怒りで声が震えている。


“Do you mean I’m a damn slut, Masa?”


「将也、あなた、私が誰とでも寝る女だと?」


 モニターを見ながらその場で日本語訳する万三郎に、ユキが訊く。


「【slut】って、そんな意味なの?」


「ああ」


 万三郎の返事にユキはまた突っかかる。


「どうして【slut】なんて言葉、知ってるのよ! やっぱり、夜な夜な遊んでるのね」


 万三郎が迷惑そうに手を振る。


「違うって! ティートータラーで聞いたことあるんだよ」


 杏児が口を挟む。


「ユキ、いやに万三郎に突っかかるなあ。万三郎が【slut】を知っていてよかったじゃないか。分からなかったらトンチンカンな答えを返してしまって、減点対象になるところだ」


 ユキはぷいっと横を向いた。万三郎はそれ以上ユキには構わず、杏児に頷き返した。


「祖父谷のやつ、わざと難しい単語や言い回しを送り込んで来ているようだ。こちらのミスを誘っているんだ」


「ああ、そのようだな。で、どうする?」


 すると脇を向いていたユキが振り返り、二人をキッとにらみつけて言った。


「絶対、あの男には負けないで。あの鼻っ面をへし折るのよ」


 一瞬、万三郎と杏児は顔を見合わせて言葉を失う。


「おお怖い。ユキを怒らせるもんじゃないな」


 万三郎が半ばおどけて言ったその時、杏児がモニターを見て「あっ」と叫んだ。


 こちらが言い返す前に、さらに追加の英文が、楊さんの口から発せられたのだ。スピアリアーズは明らかにみどり組を攻めてきているのだ。




“I’ll tell your wife that you've agreed to split up with her just for tying the knot with me instead.”




「奥さんと話をするわ。将也はあなたと別れて、私と結婚することに賛成したと」


 ユキがそう訳した。楊さん自身も将也氏を攻めたてている。将也氏はタジタジの様子だ。


「また、将也氏は言葉に詰まっているのか?」


 だが、万三郎の心配は杞憂で、ほどなくして将也氏からオーダーが来た。


「そんな同意、した覚えない。頼む、今日のところは帰ってくれ」


 さっそく杏児が英文を作り始める。




“I don’t remember I’ve agreed like that…”(3)




 その時、万三郎が杏児を制した。


「なあ杏児、やり返してやろうぜ」


「ん?」


「奴ら、攻めて来てるだろう? だって普通、離婚は【divorce】、結婚は【marry】を使うだろう?」


「ああ、まあ、普通はそうだな」


「俺たちが正しく訳せるか、祖父谷たちがわざと試してるんだよ。だから、こっちもやり返してやろうぜ、ユキ」


 ユキが顔を上げる。


「ユキ、君の番だ。口語の慣用句とか目いっぱい使って、祖父谷をやり込めてやれよ」


 万三郎の言葉に、ユキがかすかに頷く。


「……分かった。じゃあ……」


 ユキがたちまち作文した。




“Hey, give me a break! Say what? I get spliced with you? Well, I will when pigs fly. Look, let’s call it a day now and stop screwing around with me. Then would you please make yourself scarce?”(4)




「これでどう?」


 万三郎と杏児は手を叩いて「パーフェクト!」とユキを称賛したが、当のユキは文を見つめてわずかに顔を曇らせた。


「 “stop screwing around with me”って、ちょっとどぎつ過ぎかなあ?(5)」


 杏児が即座に首を振る。


「いや、いい。これで行こう。ユキ、祖父谷の鼻をあかしたいって言ったじゃないか。それに新渡戸部長は絶対に負けるなと言った。試験だからさ、ここは勝ちに行こうよ」

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