第五章 仲間(1)


 ピーナッツが止まらない。


 カフェバー・ティートータラーのカウンター席。万三郎とユキに挟まれて真ん中に座っている僕のハイボールの氷が、カランと小さく音を立てたのに、マスター・ジロー白洲田だけは、さすが気づいてくれた。


 万三郎もユキも、カウンターを挟んでマスターやマサヨとおしゃべりに夢中だ。僕ももちろん、ときおり会話に加わるのだけれども、アルコールが気持ちよく回ってくるにつれ、会話に比べて思索の割合が少しずつ増えてきている。咀嚼で顎を動かした方が大脳に刺激が行って頭が冴えるものなのか、それはよく分からないが、知らず知らずのうちに僕は、ピーナッツを一粒ずつ、あまり間を置くことなく次々に口に放り込んでいた。


 ハイボールとピーナッツ皿の両方のお代わりを僕に用意しながら、マスターは万三郎の話にふんふんと頷き、マサヨやユキと笑いを共にした。


 昨夜とはうって変わって、和やかな空気が店内を包んでいる。マスターの取りなしのおかげもあって、一時間ほど前に、万三郎と僕は、「ユキ」こと福沢由紀とようやく和解したからだ。


 終業と同時にユキが、「チームの結成祝いに、昨日の店に行くわよ」と、半ば強引に僕たちを誘ってきた時は、対立が先鋭化した今日の研修に続いて、二回戦を挑んでくるのかと心の中で身構えたのだったが、いざ、三人が並んでカウンター席につくと、注文したビールをマスターが置くより先に、ユキが二人に向かって頭を下げたので、僕は驚いた。


「今日は、ごめんなさい」


 今まで高飛車に出られていたからこそ相応の対抗心も湧きあがってくるのだったが、いきなりこう下手に出られると、肩透かしを食って呆気にとられる。いや、これは何か策略でやっているのではないかと最初は警戒してみたものの、マスターがユキの前にビールとピーナッツを置きながら彼女をフォローするのを聞いていると、普段の福沢由紀は、他人にいちゃもんをつけてくるような、扱いにくい人間ではないらしい。


「昨夜ほど荒れたユキちゃんは見たことなかった。よほど嫌なことがあったんだろうね。今日はもう大丈夫かい?」


 ユキは頭を下げたまま、こくりと頷いた。


「中浜さん、三浦さん、昼間何があったか知らないけれど、ユキちゃんこうして頭、下げてるし、許してあげては?」


 マスターに言われるまでもなく、こうしおらしく謝られるのを無碍にすれば、こちらの方が悪者になってしまう。しかも昼間、険悪になった理由は、ユキのもの言いが上から目線だったというだけで、他には特にユキだけが非難に値する失態があったわけでもなかった。言うなれば、性格の相違が少々強い形で顕在化したに過ぎない。彼女自身もそう思っているかもしれない。それにも関わらず、今、ここで彼女は二人に頭を下げている。この事実をよく考えてみるべきだと僕は思う。もし彼女が、僕や万三郎が抱いた第一印象の通り、勝ち気な性格なのなら、今、相当な屈辱感を必死で抑え込みつつ頭を下げているはずで、そうまでしても関係改善を望む姿なのだと察しがつくからだ。


 そう考えると、今日起こった些細ないさかいでお互い後味の悪い思いをしているのを放置せず、今日のうちに向き合って、酒の力も借りず、言い訳もせず、潔く謝ることのできるこの女性を、僕は認めざるを得ない。


――福沢由紀。この人は、自分で決断し、責任を取り、自分で解決できる人なんだ。


 頭を下げているユキを前に、僕は黙って万三郎を振り返る。昼間、僕ほど激しくユキと対立していたわけではない万三郎は、和解に何の異論があろうかと、眉を開いて両手のひらを上に向け、両肩をすくめて見せた。僕は頷く。これ以上彼女と反目し合う理由はない。彼女はチームメイトなのだ。優しい言葉の一つでもかけてやらなければ……。僕は、まだ頭を垂れているユキに、穏やかな口調で言葉を投げかけた。


「ユキ、顔を上げてよ。君が全部悪い訳じゃない。チームメイト、仲間として、あらためてよろしくね」


 ちょうどよいタイミングでビールが揃ったので、僕ら三人はお互いの目を見てジョッキを打ち付け合った。万三郎が言う。


「みどり組に、乾杯」


 初めてユキがニコリと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る