第四章 研修(6)


 これ以上小さくなりようがないだろうというほど身体をかがめて、女は両手を膝につき、最敬礼で謝っている。そして震えてもいた。


 数秒の沈黙の後、いまだ顔を上げ得ぬ女に、新渡戸が声をかける。


 優しく。


「よく来た、ミズ・ヒロイン。君がいないと始まらないところだ」


 怒鳴られることを覚悟していただろう女は、ハッと顔を上げて新渡戸の方を見た。


「ああっ!」


 声を上げたのは万三郎だ。もちろん杏児も口を開けて目を見開いた。


 昨夜と違い、髪を必要以上にビシッと揃えて束ね、眼鏡をかけてはいるが、これは紛れもなく昨夜ティートータラーで見た、あの、自称どじょう掬い女ではなかったか。


 髪ビシどじょう女は、眼鏡の奥からちらりと万三郎と杏児の方を見たが、すぐ新渡戸に視線を向け直し、上気した顔で礼をした。


「ぶぶ部長、申し訳ありませんでした」


 息せき切ってエレベーターに駆け込み、駆け降りて、一秒でも早くと走り込んで来たのだろう、女は謝罪を口にし終えてもなお、肩で息をしている。


 しかしこの髪ビシどじょう女、眼鏡が多少のカモフラージュになっているとはいえ、目の下のくまがいかにもひどかった。内出血のように青黒い。


――ははあ、完全に二日酔いで寝過ごしたな……。


 万三郎は昨夜のこの女の酒量と荒れ具合を思い出して、この遅刻をさもあらんと思った。同じことを思っていただろう杏児は、それを表情に出して鼻先でフッと笑う。


 すると、そのわずかな表情の変化にどうして気づいたか、髪ビシどじょう女はキッと杏児を睨んだ。杏児は思わず目をそらす。


 女は杏児が目をそらし終えるまでしっかり見届けると、教壇に向き直り、今度はほうぶん先生に頭を下げた。先生は、にこやかに言った。


「ちょうど今からオリエンテーションを始めるところでござった。間に合うてよかった」


「本当に、もも申し訳ありませんでした」


「新渡戸部長」


 ほうぶん先生は新渡戸の方を向く。


「うむ」


 新渡戸は頷くと、髪ビシどじょう女の横に立ち、万三郎と杏児に言った。


「新人ETの、福沢由紀ふくざわ ゆきくんだ。今日から君たちと共に学ぶ」

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