第四章 研修(3)

  三


 実のところ、二人にとってみれば、この部屋に入ってきた時から、新渡戸よりもこの男のことの方が気になっていた。ただ、無遠慮にその姿をまじまじと見ては失礼と、あえて目を合わさずにいたのだ。なぜ気になったか。それは、この男が羽織袴に下駄履きといういで立ちだからだった。


「お初にお目にかかる。それがしの名は、倉間過去完了法文くらま かこかんりょう のりふみでござる。以後、見知られよ」


 満面の笑みをたたえて彼は自己紹介した。万三郎は思わずつぶやきかける。


「か、過去完……」


「ああ、それはミドルネームでござる。普段は言わぬので、気にするな。倉間ほうぶんでよろしい」


「ほうぶん……? 先ほどはのりふみと……」


 杏児の問いに新渡戸が答える。


「ああ、先生は皆から『ほうぶん先生』と呼ばれて親しまれている。正しくは『のりふみ』ながら、しばしばご自身のことも『ほうぶん』と言われるのだ」


 するとほうぶん先生は、笑みをたたえたまま、上司にあたる新渡戸に向かって頭を掻く。


「いやあ部長どの、それがしに成り代わってのご説明、かたじけのうござる。はっはっは」


 ほうぶん先生はそう言って破顔した。


「なんの、これしき。はっはっは」


 ほうぶん先生に合わせてか、新渡戸もいやに古風な答え方をして声を上げて笑った。


「うわははは」


「はっはっは」


 あっけにとられているのは、万三郎と杏児だ。だが、二人にしてみても、昨日シートレを滅茶苦茶にしたことを激しく叱責されると朝から覚悟していたにも関わらず、何やら温和な雰囲気が醸成されているので、大いにホッとする。何だかよく分からないが、朗らかに笑う二人に合わせて、彼らも次第に一緒に笑い声を上げ始めた。


「はっはっは!」


「うわっはっは」


「は……ははは……」


「あ……あはは……」

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