第三章 由紀(4)

  四


 ティートータラーは、カフェバーと銘打つだけあって、コーヒーも料理も出す。早い話、何でもありの食べ物屋さんでもあるのだ。マスター・ジロー白須田は、和洋中、メニューにない料理でも結構器用に作る。私がお腹減ったと言うと、何かパッと作って出してくれたりする。そして、そのほとんどが文句なく美味しかった。


 私の一番のお気に入りは、マスターがさっき下ごしらえをしていた特製ハンバーグで、これは、お肉とたまねぎと香辛料だけで、なんでこんなに深みのある味が出せるのかと、いぶかしむほどの傑作だと私は思っている ハフハフと口に入れると、表面はカリッと香ばしく、中身はほろほろと柔らかくジューシーで、味と香りが口の中いっぱいにせめぎ合って、噛むことがこんなに幸せなんだと思い知らされ、ずっと噛み続けたくなる。例えるなら、強面こわもての無口な男が不器用に発するシンプルな言葉。飾り気のない短い言葉の中に、豊かな人間性と優しさが溶け合っていて、女はメロメロになる……その感覚の、味覚バージョンだ。


「マスター、ハンバーグ屋さんやれば大繁盛するよ、きっと」


 私は何度となくそう言うのだけれど、そのたびにマスターは、輪郭のはっきりした、男前の顔をほころばせながらも、店内をぐるりと見渡して、「私はこの小さな店で満足しているので」と、一向に野心を抱いていない風なのだ。


 お店は、私が座っているバーカウンターに六席、テーブル席が、壁に沿って二人掛け二テーブル、奥の少し広まったところに四人掛け一テーブルの、合計十四席の小さな間取りで、私の知る限り、お店が満席になったことはない。それどころか、閑古鳥が鳴いていることの方が多くて、私はなぜこの店がつぶれないのか、かねがね不思議に思っている。


 その程度の客入りなので、マスターが一人で客をさばくことが多いけれど、私と同じくらいか、ちょっと若いかなと思う女の子が一人、手伝いに入っていることが時々あった。その子が、マスターがとても可愛がっている「マサヨたん」だ。


 マサヨたんの苗字は知らない。ショートヘアの細身の女の子で、清潔感はあるけれどちょっと薄幸な印象がある。マスターは彼女を異様に可愛がっていた。けれど、それが年の離れた男女の恋愛感情なのか、娘を溺愛する父親の情なのか、よく分からなかった。


 マスターにもマサヨにも、何度か、それとなく聞いてみたことはあったけれど、「どう見えますか」とか「店長と店員です」とか、その都度、笑ってはぐらかされた。


 人のプライバシーにあまり踏み込んで訊くのも下世話だわ、自分なら嫌かもしれないと思ってからは、私はそういう質問をするのを やめたのだった。


 マスターとマサヨがどんな関係でも構わない。だけどやっぱり、私の前で「マサヨたん」は、聞きたくないと思う。イギリスの少し歴史のあるパブみたいな、温かみのある木を主体にした、落ち着いた内装の店内に、ダンディーなマスター。薄く流れるジャズのBGM。そんな店のマスターの口から出る「マサヨたん」は、どう考えても似つかわしくない。


 けれども、そんな、私の人生にとってどうでもいいことにこれ程までに絡んでしまう今日の自分に、私はもっと嫌気がさしていた。


――私って絡み上戸だったんだ。


 お酒に強いタイプではないので、ここまで深酒に浸ることは普段ないのだけれど、まあ、間違いなく人に嫌がられるタイプだ。私自身が、今の私を嫌だと思うほどなのだから。


「よし、マスター。じゃあ、賭け成立。次のお客さんで決めよう」


 私は、少しろれつが怪しくなってきたことを自覚しつつそう言うと、グラスの飲み物を飲み干した。


「マスター、お代わり」

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