第二章 杏児(1)

  一


 扉上のディスプレイによると、僕たちは今、六十二階辺りを下降中である。


 後ろにいる新渡戸部長は、このシースルーエレベーターに乗り込んでからは無言だった。


「なんてこったい、ホーリー・マッカラル……」


「えっ?」


 僕は、隣で何かつぶやいた中浜万三郎の方を向く。すると中浜もこちらにちらりと目をやって答えた。


「あ、とても驚いているってこと」


「ふうん、そう言うんだ」


 中浜万三郎。


 僕と同い年だという、この、紺のスーツに身を包んだ細身の男……。横並びだった社長室の時とは違って、このエレベーターの中では必要に応じて彼に顔を向けて観察できたので、僕は彼の外見について、新しい知見を得ることができた。知見は、大きく分けて三つある。


 第一に、体格は、僕よりは細くない、ということ。これは、中浜が太り気味だというわけではなく、比較する僕自身の体格がむしろ細めなのだ。世の日本人男性の平均値からすれば中浜は、おそらく太くもなく細くもなく、これといって特筆すべき特徴のない「普通の」体格であろう。対して僕は、ガリガリではないが、少し痩せ気味の部類に入る。痩せ気味ではあるが、筋肉質でもある。中浜が筋肉質なのか否かについては、スーツの上からでは何とも言えない。身長については、僕と同じくらいのはずだ。たった今、目が合った時に、至近でその目線の高さがほぼ同じであると認識したから。


 そう、中浜と今、目が合った。彼の目は、奥二重瞼の、吊り目でもない、たれ目でもない、黒目も大きくも小さくもない、眉毛も太くもなく細くもない、まつ毛も長くもなく短くもない、うーん……まあ、これと言った特筆すべき特徴のない……いや、逆を言えば、要するに、程よく整ったパーツ……つまり、イケメンの面構えの、中核を成すパーツが目であった。これが第二の知見。


 そうだ、中浜は、なかなか見栄えの良い男であると、認めざるを得ない。そこそこイケメン――これはもちろん、同性としてはうらやむべき特徴なのだろうが、僕に限っては、その点については、そこまで強く羨望の情を抱かなかった。なぜなら、僕の方も、なかなかのイケメンだと自負していたからだ。自惚れだと笑うなかれ、非難するなかれ。これでも僕は、これまで女性にそこそこ人気が……あれ? なぜ思い出せない? 僕のちょいモテ記憶が……。まあ、いいか。


 軽く頭痛がしそうだったので、僕は思わず後頭部を手で押さえ、押さえると同時に、二つの、どちらかというと嫌なことを思い出した。


 そうだ、目が普通にイケメンのそれだということよりももっと、中浜を羨ましいと思う特徴がある。彼についての第三の知見、それが髪質だ。


 中浜は、僕とは髪質が違う。直毛のサラサラヘアは、くせ毛で猫毛の僕が羨望して止まない理想の髪質だ。整髪剤も何もつけなくても、おさまりの良い、黒く、光沢のある健康状態の良い髪だ。彼はきっと生まれた時からその髪質と付き合ってきているのだろうから特別なことに思わないかもしれないが、毎朝ムースで癖を整えなけえばならない僕には、羨ましくてしようがないのだ。


 さらに僕は、つい先程、後頭部に手をやって「あー」と含み笑いをしてごまかそうとして、ごまかしきれず、古都田社長に自尊心を完膚なきまでに叩き潰されたことをフラッシュバックのように思い出した。


 苦手な英語、威圧的な老人、社長室という完全アウェイなシチュエーションに、僕は確かに恐怖におののいていた。あの光景は今後長く、僕が自分の後頭部を撫でるたびに、不快なアドレナリンの分泌を伴って思い出されるトラウマになるのだろう。


 だが、目の前のこのやさ男、冷や汗をかきつつではあったが、大胆にも社長の前で一人、行進して見せた。結局それは誤りだったが、あのプレッシャーの中、思い切りの良いその行動に対して、僕は少なからず感心したのである。


 社長から、助け合え、競い合えと言われた。まだ会って間もないので、決めつけるのは早計かもしれないが、パートナーとして、ライバルとして、中浜万三郎という人材と行動を共にすることは、あるいは幸運なのかもしれないと僕は思った。

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