第一章 万三郎(10)
十
「社命……ですか」
三浦がつぶやく。
「不満なのか?」
「い、いいえ。ただ、あまりに意外だったものですから」
「何が? 仕事の内容がか?」
「はい。私の専門分野を活かした職務につきつつ、その傍らで英語の研修などを受けて能力向上を図るのかと」
「いや、主たる業務が、英語の習得だ」
「はあ。そうですか」
「三浦くん、君は他社の幹部社員から、ミドリムシ並みと揶揄され続けたいか?」
「いいえ」
「まあそれ以前に、もし君がミドリムシレベルに甘んじ、英語学習を放棄するようであれば、幹部への道はおろか、君の居場所は早々にわが社からなくなるだろうがな」
俺は社長の顔を見た。先ほど、回れ右をした時に見た顔とは反対に、穏やかな笑顔こそ浮かべていたが、俺や三浦をがんじがらめにしている全ての紐はピンと張られている。
――社長の笑顔は、笑っていない。
居場所がなくなるという話は、冗談ではないようだ。ということは、幹部候補生として社命を受け入れるか、入社そのものを辞退する、それ以外の選択肢は俺たちにはないということらしい。
「では、我がKCJのET専用の特別な社章を今から貸与する」
横に控えていた藁手内恵美の手から金色の物体を受け取ると、社長は二人に、それを一つずつ手渡した。
それは、手のひらの中ほどに収まる小さなサイズの、金細工のオブジェがついたピンブローチだった。オブジェは水面に浮かぶ水鳥をかたどっているようで、目の部分には小さな宝石が光っていた。KCJの文字も鳥の胴体に銀素材であしらわれているので、これがこの会社の社章で、鳥は会社のシンボルか何かなのであろう。
「鴨……ですか?」
俺が訊くと社長はすかさず答えた。
「そうだ。ミドリムシ型の方が良かったか?」
「いえ……」
悪意のあるジョークだ。
「いいか、よく聞きたまえ。この、金色の鴨があしらわれた社章は、それをつけている者が、KCJのETとしての責任と権限を有していることを内外に知らしめる、特別な意味を持っている。KCJの一般社員たちは皆、ETの指示命令に従う義務があるのだ」
それから社長は、より力を込めて、ゆっくり言葉を区切りながら、俺に言った。
「社命に従い、英語学習にまい進する決意ができた者は、今、ここでそれをつけなさい。辞退する者は今、それを私に返しなさい」
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