第一章 万三郎(9)
九
――は? それがここにいる理由?
返す言葉がない。
「今、この部屋で君たち自身が見聞きした通りだ。君たちの英語は、目も当てられん。まったくもって信じられない。驚異のレベルである。グローバル化したビジネス環境で働く人材、我がKCJはもちろんのこと、例えば韓国のシムサン、中国のホイエール、日本のフニプロやバクテンの幹部社員たちから見れば、君たちはおそらく、ミドリムシのレベルだろう」
「ミ……」
三浦が小さく一音だけつぶやく。社長は一瞬、三浦の方を向いたが、そのまま言葉を続けた。
「そしてこれはある意味、奇跡でもある。他の学業分野の成績とのギャップの大きさが奇跡的なのだ。見事な落差だ。すばらしい。おめでとう。それが今、君たちが、選ばれし者としてここに立っている理由だ」
俺は納得がいかない。英語ができないことがなぜ、おめでとうなのか。いや、それより、ミドリムシに例えられることには少なからずプライドを傷つけられた。そこまで言うことはないだろうに。
そう思った時、三浦が小さく挙手した。
「社長……一つ質問があります」
「何かね」
「英語ができないと不利だと思うのですが、なぜ社長は今、おめでとうとおっしゃったのですか」
「うむ。実のところ、英語ができない今の君たちは、特に我が社ではまったく戦力にならん。その意味ではたしかに何もめでたくはない。しかし、非常に良いことがある。それは、英語に関して君たちが、ほとんどゼロから、よーい、どんで競えるということだ」
「はあ……」
生返事をする三浦の横で俺は、口を半開きに開けたまま黙って直立していたが、頭の中では目まぐるしく思考が駆け巡っていた。
――よーい、どんで英語学習を競えと? 誰と? この隣の男と? 俺に今さら英語をやれというのか?
中学時代からずっと英語が苦手だった。英語をやりたくないがために、他の科目をがんばって、それでトータルの成績をキープして逃れてきた。このたび大学を卒業して、十年にわたる悪夢のような英語学習からようやく解放されたはずだった。
「つまり、私たちに、よーい、どんで英語を勉強せよと?」と三浦。
「そうだ。英語を学ぶこと、それが君たちの当面の業務となる」と社長。
「英語を学ぶこと自体が業務……」
「そうだ。その理由はいずれ分かる」
古都田社長はそう言うと、続く言葉に力を込めた。
「ET、すなわち幹部候補生として、本日より、英語学習にまい進せよ。これは社命である」
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