第一章 万三郎(8)

  八


 社長は小柄な身体に似合わない大きさの声で続ける。


「私が社長の古都田誠ことだ まことだ。こちらは秘書の藁手内わらてないくん」


「秘書室所属の藁手内恵美えみです」


 藁手内恵美は、澄ました表情に二割ほどの微笑みを混ぜて涼やかに挨拶した。肩すれすれのストレートヘアがお辞儀で前に流れた。歳は三浦や俺とそう変わらないようにも見える。名前こそ面白いが、これまでのそつのない所作から、彼女が有能な秘書であろうことが容易に想像できた。


 社長は続ける。


「あちらは諸君ももう知っているだろう。人事部長の新渡戸稲男にとべ いなおくんだ」


「新渡戸です。あらためて、よろしく」


 五十代とおぼしき新渡戸部長は万三郎たちに向かって軽く会釈した。その頭頂部の頭髪が薄い。だがそのことが良い意味でこの人に落ち着きと重みを与えている。人事関係を束ねる立場だけに、しっかりした人物なのだろうとは思うが、両の眉毛が漢数字の「八」の字型だからか、社長とは違って近寄り難い印象はない。むしろ、心の奥底に豊かに温情をたたえている優しい人なのではないか。いや、なにしろ今日初めて会ったばかりなのだから、本当のところはどうなのか、まだよく分からないのだが。


「さて」


 古都田社長は視線を俺たちに戻し、先ほどより幾分声量を落ち着かせて話し始めた。


「中浜くん、三浦くん。君たちは、本日よりわがKCJの社員である。のみならず、君たちは入社した本日から、ETである」


 思わず三浦と顔を見合わせる。


「イー・ティー……地球外生命体?」


 不用意にそうつぶやいてしまった俺の方を向いて、社長はくわっと目を広げ、その声色が威圧的になった。


Executive Traineeエグゼキュティヴ・トレイニーつまり、『幹部候補生』の略称だが、中浜くん、君が自分を地球外生命体(Extra-Terrestrial)だと思うのは自由だ」


 俺は素直に謝る。


「いえ、失礼しました」


 もう毒を注ぎ込まれるのはごめんだ。だから俺は、上官の部屋で叱られる兵士さながらに、気を付けしたまま、視線を目線の高さに固定して、まっすぐ遠くを見るようにした。社長は、二、三秒の間、そんな俺の視線を絡め取ろうとしていたが、ついに諦めて、再び声のトーンを戻し、用件を再開する。


「幹部候補生ないしETは、つまるところ『選ばれし人材』ということだ。二人とも一流の大学を優秀な成績で卒業している。その卓越した知識と技能は、わが社に貢献していく中で適切に発揮されると期待しておる。しかし、だ!」


 社長は、今度は鋭い眼光を三浦に向けつつ言葉を継いだ。


「しかし、君たちがETに選ばれ、ここにいる理由は別にある。それは……」


 社長はそこで言葉を切る。


――それは……?


 ごくり。絶妙のタイミングで三浦杏児が唾を呑む。社長は三浦を無遠慮に見据え、それから俺を射るように見る。


「その理由は、二人の英語能力が、悪い方に抜きん出ている、ということだ」

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