第一章 万三郎(2)
二
格調高いダークネイビーのスーツに身を包んだ、壮年のビジネスマンかと最初は思ったが、実際にこちらに近寄ってくると、意外にも彼は六十代前半あたりに見える、小柄な爺さんだ。ただ、背筋はピンと伸びて、耄碌をみじんも感じさせない。日本人離れした地黒の肌に、短めに刈り込まれた白銀色の頭髪、そして、短く野性的に手入れされた口ひげとあごひげが、下頬でつながっていた。目が爛々と輝いている。「自信」がスーツをまとって、こちらに歩いてくる、そんな印象だ。
部屋に数歩入って歩みを止めると、爺さんはこちらを向いたまま、後方の女性に向けて軽く片手を上げる。女性は口角を上げ、この場におよそふさわしくないと思われるほど明るい声で、「かしこまりました、すぐに」と言うと、お辞儀をして、音もなく両側の扉を閉めて出て行った。
続いて新渡戸部長が爺さんに深く立礼する。
それを見て俺も慌ててお辞儀をする。隣の男も二人に倣った。俺が隣の男より先に顏を上げると、爺さんは俺をじっと見ていた。俺の視線と爺さんの視線が寸分の狂いもなく一直線につながる。
睨まれているのだ。
俺は一瞬たじろいだ。そしてそれが顏に出たかもしれない。まだ六、七メートルは離れているのに、この爺さんの眼ヂカラは凄まじい。まばたきをしないその眼球から、俺に至る一直線の視線に乗せて、何か人体に有害な毒エネルギーでも送り込んできているのか、心臓の鼓動が再び一気に高まった。
なぜこの爺さんから睨まれているのか、俺が何かをしでかしたから、この初対面と思われる爺さんを怒らせてしまっているのか、俺は心当たりを探り始める。
――というか、そもそも俺は、なんでここにいるんだ?
そう、それがさっぱり分からないのだ。
考えようとすればするほど、爺さんの目からどくどくと流し込まれる毒エネルギーに、思考回路は圧倒され、かく乱されてしまうのだった。
どす黒い入道雲がもくもくと湧き立つのを早送り画像で見ているように、爺さんの毒が腹の中で急激に広がっていく。これが夏の空なら、いきなり至近距離で雷鳴が轟くパターンだ。
――来る。次の一瞬に何かが起こる!
俺は身じろぎひとつせず、その瞬間を本能的に待っていた。
果たして、隣の男が頭を上げたその瞬間。
小さな体に見合わぬ大きな声で、爺さんはおそらく、俺と隣の男の両方に問いかけた。えらく流暢な外国語で。
"Young men are fitter to invent than to judge, fitter for execution than for counsel, fitter for new projects than for settled business(1). Do you agree?"
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