第4話 Natsumi (前篇)

 初めて会った時から、なんかいいなって思ってた。どこがって聞かれると答えるのが難しいんだけど。だから、先輩風ふかして食事に誘った時、本当はすっごくどきどきしてたんだよ。


 私はこんな見た目だから、遊んでそうとか、彼氏いるでしょって感じに敬遠されることばっかりで、大学生の時に一人だけ、ほんのちょこっとお付き合いした人がいるだけなのに。ホントなのに、誰も信じてくれないんだけど。そう言ったら、じゃあ、僕が信者第一号になってあげますって。信者って何よ。私は教祖様じゃないわよって言ったら、僕の悩みを解決してくれるんだから、僕にとっては宗教みたいなものですよ、だって。ホント、バカみたい。


 だけど、楽しかったんだよ。あなたが私を気のいい先輩としか見ていないことは分かっていた。あなたはいつも、こんな愚痴ばっかり聞かせてすみませんって謝ってたけど、私はあなたと一緒に過ごせることが本当に楽しかったんだよ。

 だけど異動が決まって新学期からはもう気軽に会えなくなる。だから最後に打ち明けたかったの。「好きでした」って。過去形にするつもりだったんだよ。その日までは。


 私の気持ちは伝えたい本人以外にはバレバレだったらしく、飲み仲間と化している同僚たちは私にも内緒で計画を練ってくれた。送別会の二次会の会場はこれまで飲みに行ったことの無いエリアにあるオープンしたてのお店で、そこに決めた理由は新しくできたお店が良さげな感じだったからと伝えられたけど、実は私とコウイチの二人だけが帰る方向が同じになるようにエリアを絞ったと後で聞いて驚いた。だってあの子たち、一次会の時も二次会の時も、私がコウイチに近づけないように思いっきり邪魔してたんだよ。どさくさに紛れて、さらっと告げるつもりだった言葉を飲み込むのはなんだかつらくて、私はいつも以上にハイペースで飲みまくった。ザルとまでは言わないけど、結構お酒には強いって自信もあったし。だけど、色んな種類を混ぜて飲んだのが悪かったのか落ち込んだ気分のせいなのかは分からないけど、お開きになったときの私は自分でもダメだと分かるほどに酔っぱらっていた。幹事が、誰かナツ先生と帰る方向が同じの人いる?、って聞いた。始めっから分かってたくせに、白々しいよね。私と同じタクシーに乗り込んだコウイチも結構飲まされたのかふらふらとしていて、早く帰って寝たい、なんて言ってた。

 ああ、本当にあなたは、私のことなんてなんとも思っていないんだね。そう思ったらなんだかとても悔しくなった。酔っぱらってるから自分で言っちゃうけど、私は美人だし、スタイルもいいし、頭だって悪くない。料理だってできるし、一般的には高根の花と呼ばれるような存在なんだぞ。それをただのカウンセラー扱いして私の好意には気付こうとしないなんてなんて傲慢なの。最後にちょっとだけ困らせるぐらい、かまわないよね? だから。


「ナツ先生、家はどこですか」

「家?…今日はねー、スズキ先生のおうちに泊まるの」

「先生、冗談はよしてくださいよ」

「冗談じゃないわよ。ずっと、好きだったんだから……ずーっと」


 私は彼の首に両腕をまわして抱き付いた。もう一度、家の場所を尋ねられたら素直に答えるつもりだった。なのに。私の予想を裏切って、彼は彼の住むマンションへと私を運んでいった。タクシーから降りる頃にはもうずいぶんと冷静になっていて、運転手さんには悪いけどやっぱりこのまま家まで帰ろうかなって思った。けど、コウイチが私の手を引いて、ナツ先生、降りますよ、なんて言うから素直に降りてみた。

 エントランスの階段につまづいて転びそうになったのはちょっとばかり暗かったからで、決して千鳥足になっていたからではないと思う。だけどせっかくだから支えてくれたコウイチにぎゅっと抱き付いてみた。

「もう。ナツ先生。飲みすぎですよ」

 そう言うコウイチの足元もふらふらとしていて頼りなかった。だけど何となく、ここでしゃんとしたら負けな気がして私は酔っ払いの、頭の軽い女を演じ続けた。

「言っときますけど、僕の部屋は散らかってますからね。足元、気をつけてくださいよ」

 そんな言葉と共に案内されたドアの向こうは意外と片付いていた。ただ、新聞や漫画雑誌があちこちの隅に山をなしていてうっかりすると蹴飛ばしてしまいそうだった。

 コウイチは奥の左側にある和室に私を連れて行くと、押入れの中から布団を引っ張り出して、これ使ってください、って言った。

「スズキ先生は? どこで寝るの?」

「僕の部屋は別にありますから、気にしないでください。それじゃ」

 それだけ言い残すとコウイチはさっさと出ていった。足音が遠ざかって、また戻ってきて、パタンパタンと冷蔵庫が開け閉めされる音がして、そして、イスをゴトゴトと動かす音がした。なんでだか分からないけれど、部屋に連れ込んでおきながらここまで無関心を決め込まれるのはとても理不尽なことのような気がした。興味が無いなら無いでほっておいてくれればいいのに。そしたら、縁がなかったんだってあきらめもつくのに。なんでよ。優しくすればいいってもんじゃないわよ。

 私はスプリングコートとジャケットを脱ぐとしわにならないように丁寧にたたみ、ブラウスの第二ボタンを外してからリビングに出てみた。コウイチはダイニングのイスに腰かけてペットボトルの水を飲んでいた。

「トイレですか? だったら、玄関の右です」

 違う。違う。

 私が聞きたいのはそんな言葉じゃない。

「スズキ先生?」

「何でしょう?」

「好き」

 私はテーブルと椅子に挟まれて身動きの取れない彼の頭を抱きかかえるようにして唇を合わせた。もう二度と会わないとは言えないけれど、しばらくの間は職場が同じになることはないのだから、明日から気まずい思いで顔を会わせるなんて心配もない。だから、ね? 一度くらい、いいでしょう?



 私が肌寒さを感じて目覚めたのは朝の四時頃だった。口の中が気持ち悪い。だって昨日、歯磨きもしないで寝ちゃったもの。残念なことに、和室にいるのは私だけだ。

 ここで、もしも彼が隣で眠ってくれていたのなら少しは情が湧いたのだろうかと希望が持てるところだけれど、昨日のことを振り返ってみても、そんな要素はどこにもなかった。

 私は音をなるべく立てないように身支度を整えた。水で洗っただけの顔をタオルハンカチで拭き、髪を梳かして軽くまとめる。しわくちゃのブラウスをもう一度身につけることには抵抗があったけれど、替えがないのだから仕方がない。ジャケットとコートで覆ってしまえば誰にも分からないよね。ストッキングだけは常に新しいのをバッグに忍ばせているから問題ないけど。最後にマスクですっぴんの顔を隠せば、タクシーで家に帰るぐらいは大丈夫でしょう。

 私は地図アプリでこの周辺を調べ、少し離れたところにあるコンビニまで歩いてからタクシーを呼んだ。朝帰りだってモロバレだけど、仕方がないじゃない。恥ずかしくはないけど、嬉しくもない。ただ、早く家に帰ってシャワーを浴びてから眠りたかった。



 お昼頃、玄関のチャイムがうるさく鳴った。繰り返し、繰り返し。

 いい加減、留守だと思うか、居留守だと悟ってくれてもよさそうなのに、しつこいなあ。なんて思ってもう一度布団をかぶり直したところで携帯電話も鳴り始めた。もう、誰よ。こんな日に。

 嫌々ながら電話を手に取ると、発信者はミドリだった。

 思い出した――失恋する予定だから、慰めてってずいぶん前に約束してて、今日は一緒に遊ぶ約束をしていたんだった。私はノロノロと通話ボタンを押す。

「もしもし……」

『もしもし。ナツ? 大丈夫?』

「うん。だいじょーぶ。今、開けるから、待って」

 私はぼさぼさの頭のままでドアスコープをのぞいてから鍵を開けた。

「うわー。ひどい顔してるね。……やっぱ、ダメだった?」

「うん」

 ミドリは玄関のカギをかけ直す私を置き去りにしてさっさと部屋の奥へと入っていく。

「今日、外、寒かったんだよ」

 勝手知ったる人の家。ミドリは断りもなくこたつのスイッチを入れると背中を丸めて座り込んだ。こたつの上に置かれたコンビニの袋の中からビールとポテトチップスといかくんと、ケーキとプリンが出てきた。

「寒いのにビール買ってきたの?」

「やけ酒に付き合おうかと思って」

 ミドリはへらっと笑うとポテチの袋をバリバリと開けた。

「じゃあ、ケーキは?」

「うーん? まあ、いいじゃない」


 学生の時からずっと住んでいるこの部屋はワンルームで、ベッドとこたつが床の大部分を占めている。はっきり言って、狭い。引っ越しを考えたこともあるけれどやっぱり面倒だし、いずれ移動に合わせて引っ越すことになるからその時でいいかと思っていたら、次の赴任先もここから楽に通える範囲だった。嬉しいような、残念なような、微妙な気持ち。

 ミドリに向かいあうように温まり始めたこたつに足を突っ込む。何かを確認するように、彼女がじっとこっちを見つめていた。

「何?」

「昨日、ちゃんと告白した?」

「したよ」

「で?」

「酔っ払いのたわごととして処理されたっぽい」

「えー。何それ。ちょっとひどくない? 断るにしてもさ、ちゃんと受け止めてから返して欲しいよね?」

「うん。なんか腹が立ったから、食ってきちゃった」

 ミドリが、は? とでも言いたげに口をポカンと開けている。

「ちょっと、ちょっと待って。ナツ。それってつまり、エッチしてきたってこと?」

 私は無言で頷く。

「誘いには乗ったのに、付き合えないって言われたの? 何それ」

「向こうには、全然その気はなかったんだよ。私が無理矢理、押し倒しただけだし。それに、返事なんて聞いてないし」

 そこに至るまでの流れをざっくり説明するうちに、自分でもほんとにバカなコトしてきたなってつくづく感じた。

「ナツってさ、モテるのに男運ないよね」

「そんなはっきり言わなくてもいいじゃない」

 私はこたつの天板に右ほおをくっつけるように突っ伏した。


 その時、ラインの着信を知らせる音がした。

「私じゃないよ。ナツじゃない?」

 私はこたつに足を突っ込んだまま体をひねってバッグを引き寄せると、ケータイを取り出した。コウイチからだった。送られてきたのは、写真が一枚。

「なになに? もしかして彼から?」

「うん」

「なんて?」

 私はケータイを彼女に差し出した。送信されてきたのは片っぽだけのピアスの写真。しばらく待っても追加のメッセージは送られてこなかった。

「これ、ナツの?」

「うん」

「で、どうするの?」

「どうするって?」

 たった一枚だけ送られてきた写真に対してなんてコメントすれば良いっていうの?

「チャンスじゃん。もう一回、会えるチャンス。わざわざ連絡してきたってことは、連絡取りあってもいいって思ってるってことでしょ」

「だったら、何か一言、付け加えてくれてもいいじゃない」

「それは、そうかもしれないけどさ、もしもだよ。彼がチェリーボーイだったとしてさ、酔っぱらった美人で年上のお姉さまに押し倒された後、どんな気分になったと思う?」

 そんなこと聞かれても、私は男じゃないから分からない、としか言いようがない。それに、スズキ先生は生徒たちからも人気があって、とてもモテそうだもの。チェリーってことはないと思うな。部屋に行きたいって言った時も、彼女がいるからダメって断られることを覚悟してたんだから。

「ほら、それが思い込みってやつだよ。彼の方からしてみればさ、ナツに男がいないってことの方が不思議かもよ」

「そうかなあ」

「そうだよ」

 ぐだぐだとしゃべる間に、ミドリはススッと指を動かして勝手に返信してしまった。

「ちょっと。なんて書いたの」

 奪い返したケータイの画面には『大事なものなのでしばらく預かっていてください また連絡します』ってあった。

 ちょとだけ間があって『了解』って返事が来た。


「さて、ナツミさん。ここからが勝負だよ」

 ミドリが私をナツミと呼ぶのは、かなり本気の時だけだ。そしてそこから、ミドリのレクチャーが始まった。



 私がコウイチに連絡を取ったのは、新学期のバタバタが落ち着いたGW直前。

 誰かの大事な物を預かるってことは、返すまでその人のことを気にし続けなくちゃいけないってことだからね。そうミドリは言うけれど、そんなものだろうか。そんなことぐらいで、コウイチが私のことを思ってくれただろうか? いささか疑問に思いながらも私は彼のマンションを訪れる。手にした紙袋の中にはデパ地下のお弁当。何もなければお礼に渡せ。できれば一緒に食べてこい、って言われたから同じものを二つ買った。


 ホールで部屋番号を叩くとインターホンがつながった。『ちょっと待ってて』ってぶっきらぼうな声が帰ってきた後すぐに、エレベーターの中からコウイチが出てきた。

 はい、と差し出されたのは透明でジッパー付きのちっちゃな袋に入ったピアス。ミドリの予想通り、キャッチはなかった。じゃ、と目もあわせずに踵を返す彼を震える声で呼び止めた。

「あの……ちょっと待って。キャッチは一緒に落ちてなかった?」

「キャッチ?」

「うん。ピアスが落ちないように、裏で止める金具なんだけど」

「さあ、見なかったけど」

「これ、どこに落ちてた?」

 私は袋に入ったピアスを指先でつまんで目の高さに上げてみた。

「シーツ、振るったら出てきた」

「じゃあさ……」

 がんばれ、私。ここまでは、ミドリの予想通りなんだから。

「布団、もう一回調べてもいい?」

 それはつまり、私が彼の部屋に押しかけるための口実であり、布団をもう一度広げるための理由付けでもあった。つまり、二度目があるのかないのか、それを確かめて来いと言うのがミドリからの指令だったのだ。

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