第10話 チュウコク
10
「あっれ……? 香織?」
茉優は公園にやってくるなり目を点にして、驚いているような表情を浮かべた。私たちは二人で彼女をねめつける。それにたじろぎつつも固い笑顔を張り付け、手を振りながら私たちの元に近づいてくる。
「どうしたの? わたし、りょ……小松君に呼び出されて来たんだけど……? 小松君は? あと、横の子は……ごめん、思いだせないんだけど……」
私たちの落ち着いている様が彼女を慌てさせているのか、ひどく混乱している。いずれの質問にも答える必要はないと私は思っていたが、里奈の事だけは紹介した。茉優にとって最も必要のない情報だと考えた故であった。
「へ、へー。香織の新しい友達……。あ、初めまして、わたしは西永茉優。よろしく、ね……?」
里奈は無表情のまま頷く。茉優が差し出した手も当然ながら握ることはない。虚しく空気を掴んだ右手は、無音のまま下がる。
「……茉優。あなたに訊きたいことがあるの」
「うん、何かな?」
「祐君と……前に出会った人とお付き合いしてるの?」
茉優はしばらく黙りこみ、数秒の後に深く息を吐いた。白く漂う呼気は粘っこく長時間残っていた。
「……そうだよ。といっても、さっき告白してオッケーもらったばかり。恋人らしい時間も過ごしてないし、恋人らしいこともしていない。特別な関係、ってほどでもないよ」
茉優はあっけらかんとした表情で言っているか、その言葉一つ一つはとても重々しく感じた。もし言葉が形を為して出てくるのであれば、それは鋭い棘の塊であっただろう。茉優にとっては流れる清水(せいすい)のようであったとしても、私にとってはただの凶器に過ぎない。覚悟していたとはいえ、確実に私を打ち拉(ひし)がせた。
「でもどうしたの、急に? わたしが付き合ってるから、って香織に影響は……。あ、もしかして香織も祐のこと好きだったの? それだったらごめん! わたし、香織のこと考えずに――」
私の口からは無音の笑みしか漏れない。茉優に気づかれないように、マフラーに口を埋めて笑っている。この瞬間の私には、怒りの感情は湧かなかった。本当に幸せで嬉しいことなんだなぁ、と心の底から茉優を祝福したい気分になっていた。あれだけ私たちの雰囲気に怯えていたが、今では形勢逆転とでも言おうか、茉優の方が調子に乗っている様(さま)だった。先ほど満足にコミュニケーションを取れなかった里奈に関してはもう気にすることを止めたのか、彼女の方など一切振り向かず、私だけを見て笑顔を浮かべている。謝りながらもその笑顔を潜めることはなく、常に口の端が緩んでいた。
何度だって思う。いつだって思う。茉優はいつも幸せそうだった。今もそう。幸せを他人に干渉させない強さが彼女にはあった。だから私のことなど気にもならないし、今の茉優が見ている世界には自身とその彼氏しか存在していない。
だから私は初めて彼女の疎ましさを腹の底で感じた。
「うん。私付き合ってたの。……ううん、一応今も付き合ってることになってる。彼――あなたが想う祐さんを」
「――え?」
茉優の笑顔が一瞬消え去る。嘘だよね、と三回ほど繰り返した。
「本当のことだよ。私の家に行けば一緒に撮ったプリクラとかあるよ。何かたっぷりのハートマークで埋められた気色悪い写真がね。もっと言うなら私の両親も彼の両親も公認だったよ。彼はまだ言ってないと思うけれど、親に訊けば全部教えてくれるよ、きっと」
そのプリクラはまだ家の引き出しに残っている。燃えるごみの日がまだ来ていないのだ。
「まだ信じられない? じゃあもっともっと証拠を出そうか。スマホの中にはたっぷり画像と動画が残ってる。便利だよね、コレって。ホント、想い出はいつまでも残る、ってやつだよ」
スマホを操作して二人で撮った自撮り写真を見せようとすると、茉優は汚いものでも見せられたような反応と共に視線を逸らし、私から数歩ぶん離れた。
「わ、わかったから! もういいよ! さっきから本当に香織が怖いんだけど……」
「そりゃそうだよ。怖がらせてるんだもん。怖がってもらわないと意味がないんだよ」
私が離された分を詰め寄ると、里奈も無言で追ってきてくれる。何も話していないし、何も話さなくていいと先に告げていたのだが、彼女の存在は私にとって非常に心強いものだった。一人だと万一喧嘩になるようなことがあった際に太刀打ちできるか不安だが、二人だと茉優も自分の方が劣だと感じるだろう。そっと視線を向けると、僅かに表情を緩めてくれた。
「で、でもさ! それってわたしが悪いの!? 勝手に好きになったわたしが悪いの!? 仮に香織の言ったことが正しいとして、わたしだけが悪いの!? わたし、何も知らなかったんだよ!」
「……茉優の言うとおり。茉優は悪くないよ。悪いのは全部あの男。もしかしたら私たちのほかにも被害に遭った人がいるかもね」
「……そ、それで、香織はこれからどうするの? 彼を奪ったわたしに復讐でもするの?」
公園の端の方にまで追いやられていた茉優が、無理やり自身の心を落ち着かせつつ問うてきた。息は荒く、顔は徐々に青くなりかけている。
「伝えてなかった私も悪いんだし、茉優を痛めつけるつもりはないよ。だから、せめて忠告させてほしい。……彼とは早く別れた方がいいよ。この先何があるか、何をされるかわかったもんじゃない」
私は大真面目に彼女にそう言った。思いつきで口走った先ほどの私の想像が、想像で終わっているとは、私には思えそうにない。私と付き合い始めた時、「香織が初めての彼女」とか言っていた気がするが、その割には振る舞いがどことなく落ち着いていた。改めて考えてみると、彼は現実離れした二次元的な存在と言っても過言ではない。周りの女子が放っておくはずがないだろう。
「……聞き入れてもらえるかな?」
私が少し姿勢を低くして問うと、茉優は即座に首を振った。
「ごめん、わたしには無理。祐はわたしの恋人なの。誰にも邪魔されたくないの。だから……ごめん」
再度謝り、「祐が待ってるから」と言い残し、茉優は私の横を過ぎていく。その刹那、茉優はぼそりと囁いた。
「他人の恋に入ってこないで。鬱陶しくなるから」
公園を出ていく茉優を、私は何も言うことなく見送る。程なくして寒さにも負けずに元気に走り回る子どもたちがやってきた。少しばかり公園内が荒れていても、彼らは一切気にしていないようだった。その清々しさが、とても眩しく遠い存在に見える。
「これで……よかったのかな?」
里奈が不安げに訊いてくる。
「茉優には忠告もした。私たちが何をどうして結果がどうなったとしても、一番傷つくのは多分茉優だよ。気にしない方がいい」
彼と引き離され、再び失恋の味を噛みしめる茉優は果してどう思うだろうか。もし彼女が深く後悔する結果になれば、私はそれを軽く慰めながらも、心の中で高笑いすることになるだろう。
他人の幸せを奪い取り得る幸せの楽しさを、今のうちに感じておくといい。幸せは、常に不幸と表裏一体なのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます