第4話 ヌクモリ

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 バレンタインまで二週間をきり、クラス内にも今年は何を作るだとか誰に上げるだとか、そういった話題が上がるようになってきた。男子たちは我関せずと言いたげに視線を不自然に彷徨わせているが、それは偽りの姿に過ぎず、耳を欹(そばだ)てては一喜一憂を繰り返している。

「楠山さんは、誰かにあげる予定あるの?」

 近くの席で話していた女子の一人が、グループの渦中から話しかけてくる。少し驚きつつ彼女の方を見ると、その全員が興味深そうに私を見つめていた。

「えっ、えっと……その……」

 戸惑って言葉を濁してしまう私に、別の声が割って入る。

「でも楠山さんはこっちにきてまだ日が浅いから……。誰がどんな子か、なんてわかってないもんね。渡すのはちょっと難しいんじゃない?」

「……そっかー、そうだよねー」

「でももしかしたら前の学校に――」

 話の雲行きが怪しくなってきたので、私はひそかに退散する。休み時間はまだ十分ほど残っているので、廊下にも多くの生徒の姿があった。

 みんな楽しそうに名前も知らぬ誰かと並び、話しながら歩いている。どこでもこの光景は変わらないんだな、と外で穏やかに、のんびりと降っている雪のように思った。

「香織」

 名前を呼ばれて振り返ると、里奈が軽く手を振ってこちらへ向かっているところだった。

「さっきの話、ちょっと聞いてたけど、危なかったねー香織。悪意があるわけじゃないんだけど、あの子たちは自分の欲望に忠実なタイプの人だからさ、少しでもそれっぽい反応を見せたら根ほり葉ほり訊かれちゃうよ。今はもう別の話題になってるから大丈夫だと思うけど、気ぃ付けてね」

 苦笑を浮かべつつ私の横に立つ。相変わらずマスクによってメガネは曇っていた。

「……うん、ありがと。ところでどうして里奈はここに?」

「あたしはトイレ。でももう一つ、別の要件があってね……」

 私が彼女を見ると、彼女は私を見ていなかった。正反対を向き、窓の外を落ちている雪を、目で追っているようだった。時折人とぶつかりそうになってよろめきながらも、里奈は私と、はっきり目を合わせようとはしなかった。さすがの私でも、里奈と接することには慣れてきている。態度から、彼女の思っていることを推測することもできるようになっていた。

「……そういうことか」

「ちょっ、そういうことってどういうことよ!」

「ううん、別にー。何か言いたいことがあるんじゃないのかなーって思って。違うんならそれはそれでいいんだけどねー」

 声を出さずに控えめに笑いながら言うと、里奈は一瞬だけ悔しそうな表情を見せたものの、すぐに嘆息して諦めた口調で告げた。

「……今週末が二月十四日を迎えるにあたって最後の土日だからさ。その時に一緒に作らない? って誘おうとしてただけだよ……。どう? 何か用事ある?」

「ううん、大丈夫。私もその日に作ろうと思ってたからさ。両親いると思うけど、それでもいい?」

 もちろん、と里奈は笑顔で頷く。

 バレンタインは一週間半後の水曜日だ。里奈の分は日曜日に作って保存しておき、当日に渡せばいい。私は週末しか会える予定がないので、日を改めて作り直し、土曜日にでも渡しに行く予定だ。手作りのお菓子は、長くても一週間ほどしか鮮度を保てないので、日曜日に作ってしまっては、渡すまでに傷んでしまう可能性がある。彼のことを想って作るものが痛めつけてしまっては、完全に本末転倒だ。

「……そんなわけで、日曜日は里奈の分しか作らないことになるけど……それでもいいかな? もちろん私もお手伝いするからさ」

「全っ然、大丈夫! 香織は気にしないでよ。教えてもらえるだけでもありがたいんだからね」

 後の話し合いで、私たちはチョコクッキーを作ることになった。その日、里奈は終始機嫌が良かったように思う。休み時間も、下校中も、饒舌(じょうぜつ)に私に話しかけてきた。

 彼女と別れ、部屋で一人になった時、初めてこの地に降り立った時にお父さんが言っていた言葉を唐突に思いだした。

――ここでしか経験できないこともある。

 以前に通っていた学校も、私にとって良い場所だった。だからこそ、私はあの地を発(た)ってから、後悔に似たような気持ちを覚えたのだ。

 けれども、私は今、これまでに感じたことのないような気持ちを覚えている。ひねくれた大人が言えば、これが「恋に現(うつつ)を抜かしている」、もしくは「お菓子業界の戦略に乗せられている」状態なのだろう。前のクラスでは、それが「悪」とまでは言わずとも、間違いなく「正」ではなかった。義理を超えた気持ちは無く、もしかしたら義理という気持ちすらなかったかもしれない。自分だけ取り残されるのが嫌、周りがやってるから仕方なく作る、そういった気持ちで作られたものには、きっと感謝の気持ちさえも宿ることはない。その中で私はいわば、「孤立した状態」になってしまったのだ。誰にもばれなかっただけで、心の中では、私は孤独だった。心を預けることは、茉優にすらもできなかった。

 ここは、とても温かだ。雪が降り、道は凍てついていて何度も滑りかけるが、みんなが集う場所はとても温かい。世の流れに逆らわずに自然体で人が存在し、世界の余事象になることがない。私が今までに覚えたことのなかった些細な感動が、この小さな世界に存在していた。

 もう一度、あの時の自分の宣言を思い返す。今なら、胸を張って言える気がする。

 私の新しい場所での生活は、充実している、と。

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