第5話
「で、これがその
ハンバーグを煮込むことが、矢澤が言いたい愛の形なのか。
その真意が分からず、思わず矢澤の表情を窺ってしまった。
「まずは食べた見てください。それでわからなければ追って説明しますから」
そこまで言われれば、とりあえず食べるしかなく、用意されたナイフとフォークを手に取った。
ハンバーグにナイフを入れるとナイフの重みで切り分けられそうなほどに柔らかかった。
たっぷりとあるソースを絡ませてゆっくりと口に運ぶ。
一噛み、二噛みすれば、口の中に肉とソースの味と香りに充満する。パサついた加減もなくしっとりとしていて、使われた香辛料の香りか風味を強調し引き立てていた。
これは確かに……。
「……美味い」
トマトベースのデミグラスソースとハンバーグの相性は説明するまでもなく、肉の食感も悪くないし、玉ねぎの甘みもいい具合に引き立っている。しかし……、
「これが愛なんですか?」
今日の野々宮からすれば、そこが問題だった。
美味いか不味いかではなく、そもそもは「愛」の意味を伝えるものであったはずなのに、その答えは未だ理解の届く範囲にはない。
そして、野々宮の質問に対して矢澤が一言。
「それがわからないのも『愛』が足りないからです」
「ーーバカにしてます?」
はぐらかせるような答えに、野々宮の口調にも自然と棘が混じる。
「もっとも、愛の形は人それぞれ。私の言葉に右往左往する必要はありません。」
投げっぱなしなアドバイスに戸惑う。
「そして、一つ言っておかなくてはいけませんが、私も愛が料理の味を変えるなんて思ってはいません」
「え?」
その言葉は本気で意味がわからなかった。
だとすれば今まで出てきた話は、出された料理はなんだったのか。
「愛とは、人が動く原動力なんですよ」
「え?」
「目の前にいる人物をいかにして喜ばせるか、という課題にいかに真摯に取り組むための原動力。思いやり、と言い換えてもいいでしょう」
そして、そこから野々宮が口を開く前に話題がコロリと変わる。
「私の担当は美術なんですよ」
それは正直なところ意外だった。
数学か、理科なのだと勝手に思っていた。
「そのせいなのかわかりませんが、料理を一つの作品として捉えることがあるんですよ」
「作品?」
「どうしてこの料理を選択されたのか、どうしてこの食材なのか、どうしてこの調理法なのか……。一つ一つの
言われてみれば確かに芸術なのかもしれない。絵や音楽と同じように、五感を使って楽しむ芸術。
その考えはあまり野々宮にはない。
彼はむしろ科学的に捉えている節がある。使われる食材、調理法などで起こる変化や影響をコントロールして味を整える。
「貴方の
「だから、煮込みハンバーグなんですか?」
確かに熱々のソースは温度が下げにくくなる。温度が下がれば美味しく感じにくくなるというのもよくある話。
愛。
当たり前のようで特別で。
特別なようで当たり前のもの。
普段、何気なく生きていると、愛というのは高尚で崇高なものだという印象が拭えない。
そして、あまり口にしすぎると薄っぺらくて軽くなるような。そんな綺麗事だと信じていた、
だが、そうではない。
愛とは程度の差があれ、身の回りに溢れていなければならないものだった。
この料理で言うのであれば、「この料理を食べて少しでも満足して欲しい」という願いそのもの。
なるほど。そういう意味では確かに愛が足りなかった。
「貴方は何のために料理を作るのですか?」
そんなものは無い、と言い掛けて野々宮は自分でも意外なくらいに固まった。
そうでは無い。
そんなはずがなかった。
どうしようもないくらいの始まりがあった。
「そうだ。僕はただ、祖母の料理が食べたかった」
それがどうしょうもない本音だった。
「それだけだったんだ」
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