第42話 密室で迫る手

 


 ◇杉田麗美





 薄暗く、狭い部屋。

 設置されたディスプレイから流れる映像では、何やらアーティスト達の特集をしているらしい。



「はい、紅茶。砂糖はいらないんだったよね?」


「あ、はい、ありがとうございます!」



 なんでテーブルに置かずに手渡してくるのだ? と思ったら指に触れられた。

 これが狙いか……。なんと汚らわしい……

 思わず顔に出てしまったが、照れたように俯くことでギリギリ表情を隠すことに成功する。



(危ない危ない……)



 現在、私はターゲットである田中 純也たなか じゅんやとカラオケ店にやってきていた。

 私はこの辺りの土地に疎いという設定であるため、どこか二人きりになれる場所はないかと尋ねたところ、ここに案内されたのだ。

 カラオケ店に入店するのは、何気に人生で初めての経験である。



(どうせならマスターと来てみたかったですけど、まあそこは諦めるとしましょう……)



 カラオケ店にこだわらずとも、他にも入ったことのない店などいくらでも在る。

 楽しみは後にとっておく方が、より楽しめるに違いない。


 それにしてもこのカラオケ店……、見事なまでに密室だが、大丈夫なのだろうか?

 普通カメラなどが設置されていると思っていたのだが、見たところそんな物はないように思える。

 性犯罪の温床にしかならなそうなのに、良く取り締まられないものだ……



「何か曲入れる?」


「いえ、大丈夫です! それより……、お話が……」


「ああ、そうだったね! 俺に話があるんだっけ? でもその前に、なんで俺のこと知ってるの?」


「じ、実は私、篠原さんと、友達なんです……。それで、純也さんのことを聞きまして……」



 もちろん嘘である。

 ちなみに篠原さんというのは、同じ名簿に載っていた頭が空っぽそうな女子のことだ。

 過去、この男と付き合っていたという情報があったため、名前を借りただけである。



「っ!? へ、へぇ~?プリンの友達なのか~」



 田中純也は一瞬驚いたようだが、すぐに軽薄そうな笑顔を浮かべてドリンクを飲む。

 プリン、というのは篠原のことだ。

 篠原プリン・・・・・、驚くべきことに本名なのである。

 親は一体何を考えてこの名を付けたのだろうか……?

 おっと、思考が反れた……。演技を続けよう。



「篠原さんには良くしてもらっていて……。そしたらある日、お話しの最中に純也さんのことを聞かせてもらって……」


「……ふーん、俺の話題、ねぇ? ちなみにさ、俺とプリンが付き合ってたって話は聞いてる?」


「あ、はい。凄く良い男性だったと……。振られてしまったけど、まだ未練があるって言ってました……」



 この情報にも、もちろん裏付けがある。

 彼女が事あるごとに純也純也とSNSに呟くため、非常にわかりやすかった。



「まあ、そうだね……。俺も事情があって彼女と別れたから……」


「……その事情って、なんでしょうか? 篠原さんも教えてくれなくて……」



 田中純也たなかじゅんやは、私がそう問いかけると困ったような、辟易へきえきするような微妙な表情を浮かべた。


「ん~、まあ……、なんて言うのかなぁ……。あ……、ねぇ曲入れて良いかな? ちょっと気分変えないと話し辛くてさ」


「え、ええ、どうぞ」



 曲か……。確かに、カラオケに来ているのに歌わないというのも、少しおかしいかもしれない。

 ここは私も歌うべきか……?



「へへっ、歌には結構自信あるんだ」



 そう言って田中純也が選んだ曲は、CMやコンビニなど、街のアチコチで聴くようなポピュラーな歌であった。

 これなら私にもわかる曲だが、どうにもチャラいイメージが拭えない。

 歌唱力よりも、ビジュアルや踊りを重視している感のある昨今の楽曲は、どうにも好きになれなかった。



「ん~、88点か~。ねぇ、どうだった? 俺の歌」



 歌い終わった田中純也が、歌の感想を聞いてくる。

 非常にどうでも良かったが、答えるしかあるまい……



「その、凄く上手だったと思います!」



 再現度はまあまあ、といった所だろう。

 少しナルシストの気がありそうな歌い方というか、自分に酔ってそうな感じが特に。



「ありがと! 由美ちゃんも歌ってよ! 俺、由美ちゃんの歌、聴きたいな~」



 由美ちゃんと来たか……

 なんと馴れ馴れしいのだろう。

 まあ、そもそも私の名前は由美ちゃんではないのだけど。



「いえ、私は……」


「まあまあ、そう言わずに! 俺だけ歌ってもなんか悪いしね。それが終わったら、ちゃんと別れた理由も教えるからさ!」


「……わ、わかり、ました」



 そう言われてしまうと、こちらも拒否し難い。

 労せず答えを引き出せるのなら、それに越したことはないからだ。

 ここは一つ、必要経費として割り切ろう。



「じゃあ、これで……」



 電子端末を操作し、送信ボタンを押す。

 この手の電子機器には慣れたつもりだが、相変わらず魔法のような仕掛けに思える。



「おぉ~! 由美ちゃん上手!」



 歌い終えると、まるで準備していたかのうように拍手して褒めたたえる田中純也。

 画面を見ると、点数は83点を記録していた。

 初めてのカラオケにしては中々、と言えるかもしれないが、正直そこまで褒められるレベルではないと思う。

 若干声も震え気味だったし、自分では納得行くものではなかった。

 これは、少し修行の必要があるかもしれない。



「あ、ありがとうございます。お世辞でも、嬉しいです……。その、カラオケって初めてだったので自信無くて……」


「そんなことないよ! 凄く上手だった! 今の曲ってオリコンに入ってた曲だよね!?」


「え、ええ。色んな店で良く流れているので、知っているかなって……」



 と言ったが、正直オリコンに入っているなんて情報は知らなかった。

 今期のアニメのオープニングで、気に入っている曲をチョイスしたに過ぎない。



「あの、それで、さっきのお話は……」


「あ~、そんなに聞きたい?」



 別にこの男とプリンちゃんが別れた理由などはっきり言ってどうでも良いのだが、私が尋ね、それにこの男が答えるというプロセスが重要なのである。

 既に、術式は開始している。

 このまま意識を誘導し、私の質問にはなんでも答える状態にしてしまうつもりだ。



「は、はい。お願いします。それを聞いておかないと、私、自信がなくて……」



 我ながら中々の演技力だと思う。

 少なくとも、そんじょそこらのアイドル役者よりは上手いと言えるだろう。

 伊達に16年間、普通の子供のフリをしてきたわけではないのだ。



「っ!?」



 急に肩を抱かれてビクリとしてしまう。

 俯いて視線を切っていたせいで、行動に気付けなかった。



「おっと、びっくりさせちゃった? ごめんね。でもさ、本当はわかって・・・・るんでしょ?」



 わかっている? 何のことだ?



「プリンに聞いて来たってことはさ、俺のテクニックが目当てってこと、だよね?」



 耳元で囁かれるとゾワリとする。もちろん、嫌悪感からでだ。



「一体、何の……?」


「だって聞いてるんでしょ? プリンの頭の中って、アレの大きさとかテクニックのことしかないからさ。アイツから出る俺の話題って、それしかないでしょ」



 なん……、だと……

 まさかプリンちゃんは、淫乱ビッチだった!?

 これは想定外である。

 確かにギャルっぽいというか、頭軽そうな見た目はしていたのだが、そんなに性的に進んでいたとは……

 まさか、昨今の中学生は皆そこまで……?



「ち、ちが……」



 距離を取ろうと力を入れるが、強引に引き寄せられて脱出に失敗する。



「おっと、恥ずかしがらなくていいって! 由美ちゃんだって、少し期待してたんでしょ?」



 そんなワケあるか! と叫びたかったが、それをしたらこれまでの演技の意味が無くなってしまう。



「いやぁ~、実はプリンの名前が出た時、少し警戒たんだよね」


「え……?」



 警戒? 警戒される要素があった? 一体何を見落としたのだろう?



「いやさ、アイツとは結構ゴム無しでやったりとかしてたからさ~。友達が妊娠したんだから、ちゃんと責任取りなさいとか説教されるかと思ってね……」



 そ、そういうこと? そんなの予想できるワケ……



「でもさ、そんな感じじゃなさそうだったし、無警戒にカラオケにも付いきてるしさ。これはもしかしてソッチ目的かも、って思ってね」



 しまった……

 想定外だったとはいえ、確かに迂闊だったかもしれない。


 これでも、ネットでは色んなニュースを漁っていたし、それなりに世間の事情も知っているつもりだ。

 その上で実際にこの部屋を見て、性犯罪の温床になるのでは? などいう感想も抱きはした。

 しかし、半分くらいは妄想の域を出ないな、という気持ちもあったのである。

 ネットでは面白半分の記事も多かったし、妄想丸出しのような内容も多いため、正直自分のことにまで意識が及んでいなかった。

 自分が当事者になるという意識が無かったからこそ、特に抵抗する意思も見せずにカラオケに行くことを承諾したし、先程のように客観的な感想を抱いたのである。



「で、色々観察してたんだけど、無警戒だし、無防備だしで……、さらにプリンから俺と付き合ってた話も聞いたって言うんだから、これはビンゴだ! って思ったよ。由美ちゃんみたいなお嬢様でも、やっぱエッチなことには興味あるんだね?」



 手が胸元に伸びてくる。

 これは駄目だ。作戦失敗である。



「触るな!」



 迫っていた手を、寸でのところで払い落とす。



「痛てっ!」



 痛みに怯んだ隙に腕から逃れ、距離を離す。



「全く、折角の我慢が全て無駄です……」



 田中純也が触れていた箇所を、ハンカチで拭う。

 このハンカチも後で捨ててしまおう。

 もう、作戦は破綻した。

 であれば、速やかに次のプランに移るべきだろう。

 まあ、ただの力技なのだが……



「汚らわしい手で触りやがって……。の肌にあんな風に触れていいのは、マスターだけだというのに……」



 『僕』という単語をトリガーに、自分の中のスイッチが切り替わる。

 元研究者であり、お嬢様として育てられた自分は、お世辞にも荒事に向いた性格ではなかった。

 それを荒事向けの性格に切り替えるのが、この『僕』という単語をトリガーとした自己暗示である。



「な、なんだよその態度は……、俺のアレとテクニックが目当てだったんだろ? 今更恥ずかしがらなくても良いからさ! この店、見ての通りカメラもないし、この部屋って見回りも来ないから、心配しなくても見られたりしないぜ?」



「はぁ……。本当に君の頭にはそれしかないのか? この状況でコッチが態度を翻したんだから、さっきまでの僕が演技だったことくらいわかるだろ?」



 低能のお猿さんはこれだから困る……

 まあいい、さっさと仕事にかかろう。



「さて、もう面倒くさいので意識を奪わせてもらおうかな。君の話じゃ、見回りの心……配……、も……?」



 グラリと視界が揺れる。

 まともに立っていられず、ソファーに崩れ落ちてしまう。

 一体なんだ……? まさか、昏倒の魔術……?

 だったら、レジスト……、できない……?



「あ、ああ、ようやく薬が効き始めたか……。てっきり必要なかったかと思ったけど、何だかんだ役に立ったな……」



 薬……、睡眠薬の類か……

 歌を歌ったりと時間を稼いでいたのも、まさかそれが理由、か……?

 でも、解毒の魔術は既に使ったハズ……、何故効果が表れない……



「良くわかんないけど、何か俺を騙そうとしてた感じか? ……何しようとしてたかは気になるけど、それはあとで聞けばいいか。どうせ自分から何でも答えるよう・・・・・・・・になるだろうし」



 田中純也の表情が下卑たものに変わる。



(ああ、すみませんマスター……。麗美は、任務に失敗してしまいました……)



 自分の不甲斐なさと、そしてこれから行われるだろうことを想像し、自然と涙が溢れてくる。



「結構強い薬だからな、あとで何も覚えていないかもしれないけど、安心して眠ってていいぜ?」



 汚らわしい手が、私の顔に迫る……

 私は覚悟して、目を瞑った。

 同時に、最後に残されていた意識も消えようとする。



「ああ、お前もな」



 その瞬間、田中純也の後ろから声が聞こえる。

 その声が、私は意識の意識をギリギリの所で引き戻した。

 迫っていた汚らわしい手は、私に触れることなく空振り、田中純也は声も出せずに床に沈んだ。



「ます、たぁー?」



 ろれつの回らない私の声に反応するように、先程の汚らわし手とは比べようもないほどに優しい手が、頭を撫でてくる。



「すまん。遅くなった」



 その手の感触と優しい声に安心した私は、躊躇うことなく意識を手放した。



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