No.005

 四月二十日。

 午前八時過ぎ。

 二年C組。

「…………」

 登校して自分の教室に入り、荷物を自分の机の上に置きながら、僕は気になる人物の様子を何食わぬ素振りで伺った。

 高瀬鈴。

 訳の分からないあの世界の中で、僕を殺すと言ったクラスメイト。

 傍から見る分には、昨日の変貌ぶりは全く見られない……僕が知っている限りで言えば、いつもと変わりは無い、と思う。

 でも……僕の家に戻って来た時の高瀬の態度は……いつも通りでは無かった。

 あの世界の高瀬と全く同じ……戦慄すら覚えるような冷たい笑顔、恐怖を感じる狂気と猟奇的な言葉。

 早いとこリリカノさんに、夜中の出来事を伝えなくちゃ。

「でも……リリカノさんって、何処のクラス、なんだ?」

 小さく独り言を呟きながら、椅子に座り、窓の外を眺める。

 確か授業は受けてない、って言ってたっけ。

 そもそも呪術式自体が先生の誰もから記憶が無くなっているのに、リリカノさんはこの学校で過ごして大丈夫なのだろうか?

 転入届けか編入届けか、書類上の形式は取らなかった?

 学校の制服を着ているわけだし、案外校舎内をうろうろしていても咎められない、とか?

 それはそれで学校の危機管理能力が問われる事になるけど、同じ年の女子生徒一人くらいは平気…………なわけが、無いよな……。

 高瀬のように特別目立つような存在で無ければ別だけど、リリカノさんのあの日本字離れした容姿、半端無く目立ってるしなぁ。

 髪の色とか、身長とか、スタイルとか……目立たない部分が見当たらない。

 絶対に何事も無く、日本の女子学生を演じる事なんて出来無い。

「心配になって来た…………」

 まだ授業開始まで時間があるし、校門の所で待ち伏せてみようかな。

 あーそれとも、一年の教室がある一階をうろついてみる、とか?

 連絡先……聞いておくべきだったなぁ、ホントに。

「…………」

 少しだけ考えを巡らせてから、僕は自分の教室を後にする。

 パッと見目立つ人だ、校舎内をうろうろしていれば、簡単に見付かるかもしれないから、くるっと周って来る事にしよう。

「と……その前に……」

 トイレへ寄って行くか。

 僕は何も考える事無く、これまでの学校生活でそうして来たように、当然の行動としてトイレのドアに手をかけて横へスライ。

「ぐえっ?!」

 ドの字を思い浮かべる前に、僕の制服の襟首が後ろから引っ張られた。

「げっほげっほっ!」

「初音くん、何をしているのかなぁ?」

「首が絞まったでしょっ!」

 振り向き様、声の主を非難する。

 首が一瞬絞まったおかげで、漏らしそうになってしまった……。

「それは、助けてくれた人に言う事かなぁ?」

「た、助けてくれたって……このまま漏らせって事っ?!」

 いまいち高瀬の言っている事が理解出来ない僕とは対象的に、高瀬は穏やかな笑顔を浮かべて僕を指で指す。

「何? 僕がどうかした?」

「学校中に初音くんは変態さんです、と噂されるなら私は別に止めないよ? これ以上おかしな噂が広まっちゃうのは、止めておいた方が良いと思うけど、ね」

 そう言ってから高瀬は、自分のスカートのポケットからスマートフォンを取り出して、画面を僕へと見えるように向ける。

「?!」

 そ、そうだった…………僕、今は呪いのせいで……性別が女になっているんだった。

 それなのに……いつも通り男子トイレに入ろうとしていた所を、高瀬が止めてくれた……だから”助けてくれた人”と言ったのか…………。

「マズイんじゃないかなぁ? そんな姿で男子トイレに入るのは……クスクス」

 ゾクリとする冷酷な笑顔。

「高瀬…………」

 コイツ……やっぱり、あの世界のままこっち側へ戻って来ている。

「安心して、この画像の事は誰にも言わないから」

 僕にだけ聞こえるように、声を下げながら続ける。

「ねぇ、初音くん」

「な、んだよ?」

「その姿になってから、トイレはしたの?」

「……そ、れは……当たり前だろ」

 家にいる時は自分一人だったし、性別違いでトイレが別れているなんて事は無いから、今のような事にはならなかった(正直、座らない状態でしそうになったけど)。

「ふーん、そうなんだ。じゃあ…………おしっこした後は、ちゃんと拭いた?」

「あ……たり前、だろ……」

「クスクス、よく知ってたね、そんな事」

 そんなの、高校二年にもなれば性別が違ったって知ってる事だ……けど、ネットで調べた事は伝えないでおく。

「ほら、初音くんトイレに行くんだよね? 早く行かないと、授業が始まっちゃうよ?」

 そう言って高瀬は僕の手を取って、トイレの中へと連れ込んで行く。

 もちろん女子トイレの中へ、だ。

「そんなに引っ張るなってっ」

「早く早く」

 キィパタン、カシャン。

「……こ、れはどう言う意味、なわけ?」

 個室の中には、僕と高瀬の二人が入っている。

「見ててあげるからしてみてよ?」

「……あのなぁ、そんな馬鹿な事出来るわけないだろ?」

「どうして?」

 そっくりそのままその言葉を返して上げたい。

 他人の目の前でトイレをしている姿を見せるなんて事、普通、するはずが無い。

 高瀬が異常である事は、明らかな事だ……でも、今の高瀬の機嫌を損ねると何をするのか、次の行動が予想出来無過ぎる……それがとても不安で怖い。

「じゃあ、代わりに私がしているところを見てくれるかな?」

「は……?」

 一瞬、僕は頭の中が真っ白になり、高瀬の発言の意図する事が全く理解出来なかった。

 そんな僕の事なんてお構いなしに、高瀬は自分のスカートの横から手を入れて……下着を脱ぎ…………そして。

「あははぁ、どうしよ……凄く興奮しちゃう。ねぇ、初音くん、もっと見て、私の恥ずかしい姿、もっと見てよ」

「ば、馬鹿な事を言うなっ」

 そう言って僕はトイレの中から出る事にする。

 幸い誰もいないから、このまま出て行っても今なら大事に至らない。

「そのまま出て行ったら……私、大きな声を上げるからね」

 くっそ、コイツ…………本気、だぞ……。

 いつの間にか取り出したカッターナイフを、自分の首筋にあてがい、僕を見る高瀬の眼差しはとても真剣に感じられる。

「ねぇ、私が終わるまででいいから、ちゃんと見て? じゃないと……私が死ぬよ?」

 どうする?

 どうするって……この状況じゃ、見るしかない、のかっ?!

 僕がどうするべきか葛藤していると、トイレの中に、何人かの女子が入って来てしまった。

「もう逃げられない、ね。声を出されたくなかったら、大人しく見てる事? いいよね?」

 小さく囁く高瀬は、視線で自分自身の目の前にしゃがめと投げ掛けて来る。

 なんなんだよっ、こんな馬鹿げた脅迫のしかったって有りなのか?!

 半分ヤケを起こしながら、僕は高瀬の訴えかける通り、高瀬がトイレをしている最中の姿の目の前に、意を決してしゃがむ。

「んっ、あふぅっ、んんっ」

 高瀬はトイレ……おしっこをしながら、妙に艶のある声を何とか我慢しながら、僕を虚ろな瞳で、ジッと見てくる。

 幸いと言えば幸いなのだけれど、正直こんなおかしな事になっているのに残念な気持ちも無くは無いが、僕の視線の先には……見えてはいない。

 リリカノさんだったらきっと、何が見えてないのかハッキリ言っちゃうけど、そこまでの勇気が僕には無いから、何が見えていないのか、勝手に想像をして欲しい。

 それでも高瀬は、どんどん吐息が荒くなり、僕を見る視線が更に虚ろになって行く。

 恍惚とした表情を浮かべる高瀬は、小さな声で僕へと告げた。

「ねぇ、初音くん……もっと、見たい? それとも、触りたい? それとも……舐めて、みたい?」

 ぐぬぅっ、乗せられるなっ!

 理性を保てっ!

 コイツは……今の高瀬は、レーデンヤの呪術式によって、おかしな事になっているだけだっ!

「もうちょっとで終わるから、その後で、ね? ちゃんと洗うから、安心して」

 そう言う問題じゃないんだってっ!

 このままだと本当に……高瀬の言った事を実行させられてしまうっ!

 嫌ってわけじゃないけど、でも、やっぱりそれはダメな事だ。

 呪術式の影響で発言しているだけなんだから、それに乗せられるがまま実行してしまっていいわけが無いんだ。

 でも、きっとこのまま成り行きでそうなってしまうのだろう……そんな事を覚悟した僕に、ちょびっとだけ天は味方をしてくれる。

 トイレの入り口のスライドする音が聞こえ、それと共にさっき入って来た女子達の声が、トイレから遠ざかって行くのを確認出来た。

 だから僕はそのチャンスを逃さず、そして、高瀬には僕へ声を掛ける時間も与える事すら出来無いように、トイレのドアに飛び付いて、天井とドアの隙間から一目散に飛び出し、トイレから逃げるように脱出した。

 少しでも高瀬から離れた方が良いと思ったから、教室へは戻らずに、そのまま校舎の一階へ…………まったく、何を考えているんだよ……。

 普段通りの高瀬からは想像も出来無い、大胆な行動。

 それとも……あれはあれで本性、なのか?

 人間の本性、本質なんて、自分以外知る事は無い。

 誰だって、本性と本質を曝け出す事をするわけが無いのだから……増してや、さっきの高瀬のように、性癖のような部分なんて尚更の事だろう。

 だからあれは……そう、絶対に呪術式の影響によるもの。

 本当の高瀬が取るはずが無い行動だ……とは言い切れないかもしれない。

 呪術式の影響で、人には見せられない自分が出て来てしまっている、と考える事だって出来る。

「はぁ……どうなるんだよ、これから……」

「と言う事で、これから学校を抜けるわよ」

「うっひゃあっ!」

 振り向けばそこにはリリカノさんの姿。

「……その完全に気配を消すの、止めて貰えません」

 あっちの世界の危険人物や高瀬にヤラレテしまう前に、死んじゃいそうだもん。

「さぁ、とにかくこれから呪術式についての作戦会議を行うわよ」

「え、でも、学校が……」

「どうせ聞いて無いようなものでしょう?」

「そんな事は無いですって。授業はちゃんと聞いていますから」

「ふーん」

 僕に対しての有りもしない噂がある限り、出来る限り学校での態度は良くしておきたい。

 先生達はその噂に対しての真相を僕の母から聞いているから、要らない心配なんだろうけれど、学校生活の態度は良くしておいて損が無いばかりか、むしろメリットの方が多いだろう。

「あなたの言う事は分かったわ。けれど、呪術式に関しては一刻を争う事態なのも、分かるわよね? 下手をすれば命に関わるのだから。死んでしまったら学業も何も無いでしょう?」

「う、ん……まぁ、そう……ですね。でも……一日授業受けないと後で大変な事になるんですけど?」

「何が?」

「何がって……知ってますよねぇっ?! 僕、友達いないんですよっ? ノート、誰に借りたらいいんですかぁっ!」

 貸してくれる知り合いすらいないって言うのにぃっ!

「さっき親しそうにチチクリあっていた子に借りたらいいでしょう?」

「みっ、見てたんですかっ?!」

「ええ、私、隣の個室に入っていたから」

「声掛けてくださいよっ! 危うくそのままあれやこれやしちゃうとこだったんですよっ!」

「いいじゃない、やってしまえば。彼女だって乗り気だったみたいだし」

「あれはレーデンヤの呪術式の影響なんですってっ!」

「だからこそ、話し合うから今日は作戦会議をすると言っているの。呪術式にさえ抗う事が出来れば彼女も元に戻るはず。そしたら、その子から授業のノートを見せて貰えばいいでしょう? 彼女の事を何も私は知らないけれど、無下に断りそうな感じはしない感じの子だったみたいだしね」

「ん、うんー…………」

 たぶん、貸して欲しいと頼んだら、悩む事無く貸してくれる。

 考えるまでも無い、か。

「分かりました、今日は作戦会議を優先します」

「生徒玄関で待っていなさいな。あなたの担任には私から話をつけておくから、荷物だけ持って集合。いいわね」

「……はい、了解です」

 何となく、リリカノさんに頼むのは嫌な予感がするのだけれど……まぁ、この人、何だかんだ言っても社会人だし、大人との対話も上手くやってくれる……はず。

 そう自分に言い聞かせて、僕は自分の教室に高瀬がいない事を確認した後、鞄を持って生徒玄関へと足早に向かった。

 その後、案の定、僕の嫌な予感が的中していた……なんて事は、この時全く予想もせずに次の章へ続く。


A Preview

「初音くん、大変だよ」

「ん? どしたの?」

「サービスシーンが足りないから、初音くんのメイド姿を本編へ強引に入れるらしいよ」

「意味が分からないよっ! どうして僕?! リリカノさんとか高瀬とかでいいじゃん!」

「中身は男の子だから、多少大胆なのも許容してくれる、とか何とかって事で」

「許容しないからっ! 下手に需要があったら嫌過ぎるしっ!」

「でもなぁ、私はほら、何て言うんだったっけ? モブキャラ? だから、誰も求めて無いじゃない?」

「そこがウリなんだよっ! 高瀬は普通だからこそ求められているんだっ! 普通、最高じゃないかっ! シュビ!」

「えっと、その親指の合図は?」

「最高って合図さ、シュビ!」

「けどなぁ、それに私眼鏡で地味だし、ね? やっぱりダメだよ、シュビ」

「使い方、微妙に違うけど、なかなかノリがいいのな。そう言うやつ、僕は好きだぞ」

「え、あ、ちょちょっと、もぉ……恥ずかしいでしょぉ」

「眼鏡キャラこそ至高だっ! って、何突然」

「そしたら、初音くんが眼鏡キャラになってみては、と思って」

「うおぉぉぉ、目の前がぐらぐらする……こんな度の強い眼鏡だったのか……」

「眼鏡、顔に近付けたり離したりしてみて? うん、そうそう。一発芸の完成」

「コメディアンかよっ!」

「これで眼鏡メイドプラスコメディアンキャラの出来上がり、かな?」

「……眼鏡とメイドは良しとしても、コメディアンキャラは需要無いと思う」

「んー、難しいんだね、アニメとか漫画が好きな人を対象にするのって」

「いや、そんな事無いって……単純だから……凄く」

「そうなの?」

「例えばだ。リリカノさん、あの人をツインテールにしたとしよう。それだけで確実に落ちるから」

「んー? ツインテールなんてしてくれそうに無いからって事?」

「うむ、その通りだ。よく気付いたな、褒めて遣わす」

「ん、有りがたき幸せ。初音くんじゃダメなの?」

「……ダメだろ」

「あぁ、そうか、むしろ喜んでしちゃいそうだもんね」

「ちっがうよっ! リリカノさんの普段の態度とのギャップがあるから、リリカノさんじゃないとダメって事っ」

「あぁ、そうなんだ。でも、リリカノちゃん、見た目が可愛らしいから、あまりギャップは無いような」

「リ、リリカノちゃん……高瀬とリリカノさんってそんな仲良いの?」

「どうかなぁ? だって私達、まだ会話した事無いから」

「え? マジで?」

「うん、本編の中じゃまだ一度も無いよ。あ、でもね、ランチとかデザートとか一緒に食べたりしてるんだ」

「会話した事無いのにっ?! どう言う事っ」

「中の人同士でって事」

「だーはっ、だから、レーデンヤの呪術式が作り物みたいな言い方はダメだって…………って、僕、一度も誘われ無いんだけどっ?!」

「リリカノちゃんがね、これは女子会だから、彼は誘わなくていいのよって」

「ちょっと待ってっ! そりゃね、設定上は男だよ? でも、中の人、れっきとした女子だからっ乙女だからっ! 誘ってよっ!」

「初音くん、作り物みたいな言い方は、良く無いよ?」

「こう言う時だけは守るって、何っ? 僕、嫌われてるのっ?!」

「あはは、ごめんごめん。リリカノちゃんがね、初音くんの中の人はアレルギー持ちだから、しっかりリサーチした後で誘うって。だから、そろそろちゃんとお誘いが来るかもね」

「え、やだ、優しい……惚れちゃいそう」

「んー、初音くんの言うように、ごっちゃにしちゃうと、真面目にややこしくなるね」

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