No.004
四月二十日。
午前零時過ぎ。
学校。
「なんなんだ、ここ……」
気付けば僕は自分の通う学校の中にいた。
最初は夢でも見ているのかと思ったけれど、夢では無くて、別の現実の世界とでも言えばいいだろうか……現実だけど僕が知っている現実では無い現実の場所。
明かりは無い……厳密に言えば電灯はあるけど無反応、でも、真っ暗と言う事でも無くて、目が慣れてくればそれなりに視認出来る範囲の暗さ。
そして、奇妙な事が一つ。
教室や空き教室、実習室やトイレ、屋上へ出るドアと言うドアが全てガッチリと固定されていて、ぴくりとも動かす事が出来なかった。
突然こんな場所にいた事に驚いたけれど、リリカノさんの言葉を思い出して、今は随分冷静に物事を考えられている。
『呪いだから理不尽で当たり前。辻褄や理屈、脈絡なんてお構い無しなの。今後何か自分の周りで、現実では有り得ない事、説明が出来無いような事、考えられない事が起こった場合、呪術式のせいだと思いなさい』
当然、この世界は呪術式がもたらした呪いの効果。
「リリカノさんの話をちゃんと聞いてて良かった……」
説明は出来ないにしても、とにかくこれが呪術式の効果だって事が分かっていれば、気の持ちようは変わって来る。
さて、どうしたものか。
外には出られないし、ここから連絡をしようにも、連絡する手段が無い。
ちなみに僕は風呂上がりに着替えた服の状態で、ぶかぶかのロングTシャツとハーフパンツ姿。
多少動き難さはあるけれど、どうにか動けない事も無い。
キーンコーンカーンコーン。
「うおうっ?! な、なんだよ……びっくりした……」
突然のチャイムに、少し飛び上がってしまうくらい驚いた。
こんな時間に何でチャイムが……?
あ、んー、これって意味なんか無い、のかもしれない……呪いの世界なんだし。
それとも何かの合図、とか?
「今は気にするだけ無駄か……それよりも……」
どうしようかな……まずは出口を探す事が先決か。
これはたぶん、リリカノさんの憶測が的中していたのだと思う。
ドアが全く開かないと言うのであれば、それは僕をここから脱出させない、と捉える事が出来る。
となれば裏を返すと、この世界から出る事が出来れば、万事解決って事になるのだろう。
「試してみるか……」
キョロキョロと辺りを見渡して、目的の物を発見する。
「現実じゃないってんなら、やりようはいくらでもある」
腰のひねりを使い、手にした消火器を窓ガラス目掛けて思いっきり投げた。
「おりゃああああっ!」
ブオンッ!
ガダンッ!
ガランガランガランッ!
消火器は窓ガラスに跳ね返されて、盛大な音を立てながらリノリウムの床へと転がる。
「…………ヒビすら入ってない」
まぁ、予想は付いていた事。
こう言うパターンの場合、簡単には外へ出られないってのがセオリーだもんな。
物をぶつけてもダメだって事になると、開かない窓やドアを片っ端から開けて行くしかない、か。
「開かない事があまりに不自然過ぎる……」
とりあえず、地面に近い一階から順に開けて行ってみよう。
もしこれが、上の階となると飛び降りる事になるけど……それはその時考えるか。
今いる棟の突き当たりまで移動して、僕は一つずつ窓とドアを開けて行く。
「動かない……」
窓やドアの姿をしているけれど、そこはまるで壁の一部のようになっていて、目一杯の力を使っても壁とドアの間に隙間すら出来無い。
それからも黙々と窓とドアを開けては見るものの、開く気配は全く無く、自分の考えは間違っているんじゃないかと思い始めた。
「……もしかして隠し扉とか? それとも、壁の一部が忍者屋敷のようになっていたり?」
考え出したら切りが無い。
そもそも、外に出る方法そのものが間違っている?
窓やドアがどれか一つくらい開く前提にしちゃっている、それこそが間違い?
「あーもぉ……せめてリリカノさんと連絡が出来れば……」
そう言えば学校に公衆電話があったっけ、と思い至ったけれど、リリカノさんの連絡先を僕は知らない。
それなら職員室に行けば生徒一人一人の連絡先が分かるかも、と思ってもみたけれど、ドアが開かないのだから、職員室にだって入れない。
「……どうしよ」
さすがに焦る……このままじゃ、いつまで立っても、このおかしな現実の世界から出られないじゃないか。
「やっぱり、窓とドアを調べてみるしかないか……」
途方も無い作業、そして見落とした、なんて事になれば、それこそやり直しをする気力が沸いて来ないだろう……でも、今出来る事を試すしか無いのだから、嫌でもやるしか無い。
気を取り直して開く場所を探そうとしたその時。
「ん? 今、何か音が……」
聞こえたような……耳を澄ます。
聞こえる……微かにだけれど、金属を引き摺るような音が向かい側から。
「…………こっちに来ているような」
何が来るか分からない以上、何処かに隠れるのが最善だろう。
くそ、隠れるったって教室のドアは開かない……上の階に行くしか無いか。
急いで引き返して棟の中央階段を静かに駆け上がる。
僕は階段の手摺りの隙間から身を屈めて、近付いてくる何かを確認する事にした。
うぐ……さすがに怖い…………。
いったい何が来るんだろう……?
追跡者ってヤツ?
夢では無い、別の現実の世界……呪いの影響によって存在する世界って事だと、どんなのが出て来てもおかしくは無い…………。
怪物はさすがに勘弁してくれよ……体術のトレーニングはしているけれど、僕は至って極々平凡な人間なんだから、人知を遥かに超えるようなのを相手にするのは絶対無理。
「……来てる」
シャー、シャーと規則正しく聞こえるあの音は、もうすぐそこまで迫って来ている。
こ、こえぇぇええっ!
見、見ないほうがいいかっ?!
で、でも……ここを抜け出して明日リリカノさんへ伝える為にも、チラッとだけ見ておく方がいいだろうし。
「……」
チラッと、本当にチラッと見たら、すぐ逃げよう。
僕は階段へうつ伏せになり、とにかく身を低く低く屈み、手摺りの間から下の階を、呼吸する事を忘れる程注意しながらジッと見守る。
も、もう現れる……すぐそこまで……来てるっ!
そして僕の視界に入ったモノ、それは……。
「?!」
長いストレートの黒い髪、どこか虚ろで陰のある伏し目がちな瞳、色白で全身黒基調の服装…………そしてその手には自身の身長よりも長い大きな剣。
見覚えがある……そう、ついさっき……画面の向こう側で動いていたゲームのキャラクター……アリス・ザ・ナイトメアその物だ……。
なんだんだよ、この世界はっ!
どうしてゲームのキャラクターが存在しているんだ?!
おかしいだろ、こんな事が……実際起こるなんて、考えられないっ!
いや、でも待て……もしかしたら、友好的なのかもしれない……。
でもっ……でも、どうしてもそうは思えない……。
友好的ならあんな大剣を隠す事もせず、引き摺り歩くか?!
ゲームの設定と同じであれば、あの武器は本人の意思で出現させたり消失させたり自由自在だった。
それなのに……ああして持っているって事は…………何かを……誰かを狙っているから、と考えてもおかしくは無い。
「…………そうか」
前例者はこの現実の世界で、僕と同じようにゲームのキャラクターだったのかは知らないけれど、たぶんアレに襲われたって事なのかも。
このおかしな現実の世界で危害を加えられると、僕の世界の現実で事実として事が起こってしまう……理屈は考えなくていい、呪いなんだから理屈なんて無くったっていいんだ……。
『呪いだから理不尽で当たり前。辻褄や理屈、脈絡なんてお構い無しなの。今後何か自分の周りで、現実では有り得ない事、説明が出来無いような事、考えられない事が起こった場合、呪術式のせいだと思いなさい』
リリカノさんの言葉が再び脳裏を過ぎる。
本当にその通りだ。
「常識なんて何も通用しない世界……」
笑ってる……口の端を歪めて、笑っている……。
正気の沙汰とは思えない……あんな物騒なモノを引き摺り歩きながら、この薄暗い世界の中を笑顔で歩くなんて……狂気としか言いようが無いっ!
に、逃げよう……今はとにかく、あれから少しでも離れるべきだっ!
「見つけました」
「っ?!」
き、気付かれた!
長い髪の隙間から見えた瞳が見開かれていて、完全に僕を……笑顔で目視しているっ!
「逃がしませんから……」
ドギィンッ!
「ま、じかよ……」
僕のすぐ横……階段の下から、アリスが持っていた大剣がコンクリートを突き抜けて飛び出して来た。
振り被りもせずこの剣を投げて来たのか?!
に、逃げろっ、今直ぐこの場所から逃げなくちゃっ!
こんな物を食らったら……大怪我じゃ済まないぞ……。
「くそっ」
階段を上がり切って、あれが歩いていた方向とは逆側に走る。
考えが甘かった。
多少抗えると思っていた自分の浅はかさに、呆れ返ってしまう。
人知を遥かに超えた存在に、どうやって抗えばいいんだ?
容姿も武器も僕が目にしていたゲームキャラと全く同じであれば、たぶん、身体能力だってゲームの設定通りだと考えられる。
しかも理由は分からないけれど……僕を確実に狙っていた……。
どうにかしてここを早く脱出しないと……いくら何でもずっと逃げ続けるなんて無理だぞ。
「どうやら……追って来てはいないみたいだけど、別棟に移動した方がいいか……」
本当に出口なんてあるのか不安で仕方が無いけれど、今はそれしか思い付かないし、他に名案があるわけでも無い。
「……出来る事をとにかくしよう」
各階に設けられている渡り廊下、僕は一度三階まで上がり、三階から別棟へと移動する事にした。
アリスが何処へいるのか分からない以上、出来るだけ今は距離を取っておく。
向こうの棟から窓越しにこっちが見えてしまっているから、なるべく教室側を移動して、あっちから見えないようにしないと。
あ、けど……今の背丈なら見える事は無いか……。
だとしても、一応たまにこっそり向こう側を覗いて確認もしておこう。
アイツから逃げながら確認して行くのはちょっと大変…………ん?
「もしかして……」
アイツから朝まで逃げ切れば、現実に戻れる……とか?
校舎のあちこちに設置されている時計はちゃんと機能している……今だって、そこに見える時計は秒針が正常に動いているし、僕がこっちに入ってから、三十分より少し経過したのが見て取れる。
感覚的にもそれくらいだから、時計は信用しても良さそう。
「逃げ切れば戻れる線……悪く無い考えかも」
となれば、再開しつつ、アイツに捕まらないように逃げ切る事、これが今出来る……考えられる脱出方法になる。
もしかしたらアイツは徘徊しているだけで、積極的に僕を狙って動いたりはしな……いや、その考えは捨てよう。
それは僕の隙になってしまう……だから、アイツは僕を捕まえる事前提で考えて行動を起こすべきだ。
「さっきも剣を突然、投げて来たしな……」
コンコン。
こうして校舎の壁を叩けば身体に感触がしっかりあるわけだから、あれを食らったら最悪……瞬殺されるだろう。
一階から確認して行くか……棟は違ってもアイツも同じ階にいる可能性があるから、多少落ち着かないけれど、現実的に考えて三階に出口があるとは思えないし。
「……現実レベルで考えちゃダメなんだっけ」
そう言う事になると、もし出口がある前提とするなら、むしろ三階にあるような気もしないでも無い。
辻褄や理屈が通用しない世界だからこそ、常識とは反対の非常識こそがこの世界において常識になっているのかも……ややこしいな……自分で言ってて意味が分からなくなって来る。
でも、待てよ……そもそも、逃げ切るったって、時間制限なんかあるのか?
勝手に朝まで逃げ切れば、と思っているけど……そんな制限、無いかもしれないじゃないか。
……やっぱり、逃げ切るのではなくて、脱出する事を優先に考える方が良さそうだ。
「気を取り直して再開するか」
再開するスタート位置はこの際気にしていられない。
目に着く所から手早く調べて行こう。
薄暗い校舎内の三階から、窓とドアを調べ始める。
やっぱりどちらも微動だにせず、壁の一部と化していて、ピクリとも動かない。
開ける、開かない、開ける、開かないを繰り返していると、自分のしている事に意味なんて無くて不毛な時間を過ごしているのかもしれない不安が芽生え、やる気がドンドン削がれていく。
それでも何とか今できる事はこれしか無いと言い聞かせながら、僕は三十分くらい作業に取り掛かった。
「う、ここも……ダメか。全く開かない」
結果は散々なモノ。
時間だけを無駄に費やした感が否めない。
分かってはいたけど、結構大変な作業。
普段は気もしない窓とドア。
片っ端から開ける作業を繰り返すと、相当数ある事を実感させれる。
「屋上に出る時も重いドアを開けて出る必要があるし、トイレの中にだって、外に面する窓があったっけ……」
あれだって一応外に出ようと思えば出られるのだから……下の階へ降りる前に行っておいた方がいいかも。
とりあえず、屋上のドアから確かめてみよう。
「……」
でも、もし屋上へ向かった途端、例のアイツが下から上がって来たら……逃げ場が無くなってしまう。
屋上のドアだって絶対開くとは限らない、階段の幅だって、せいぜい人間四人分の幅しかない。
「…………」
下の様子を伺う。
例のアイツが持っている大剣の、床を擦る音は聞こえない。
「よし……」
僕は一気に階段を駆け上がり、屋上へ通じるドアノブを回してから、押したり引いたりを数回繰り返す。
「やっぱりダメか……」
目一杯押し引きを繰り返してもビクともしない屋上へのドア。
これだけ繰り返せば見落とした、なんて事にはならないだろうし、ここを離れてもいいだろう。
今度は下の階を目指して一気に駆け下りる。
違う階へ行く為には、階段を折り返して下りなければ行けない。
折り返し地点まで一段飛ばしで下り、後はここを下りきれば三階に到着。
あの音が聞こえない事を確認しながら、ちょうど半分を降りた時の事。
「見ぃつけたぁ」
階段からは死角になっている廊下側から…………見知った人物が姿を現した事に、自分の目を疑った。
「な、んで……?」
姫カットの肩よりも長い黒髪ストレートロング、黒縁メガネスタイルがよく似合う女子生徒……クラスメイトで、僕に対して唯一気兼ねなく話し掛けて来る顔見知り。
「高瀬、さん……?」
「びっくりだよね。こんな世界が本当にあるなんてさ」
ど……う言う、事だっ?!
何でこっちの世界にっ……?
「本当に高瀬さん、なのか……?」
例のヤツが姿だけ高瀬さんになっている、と言う事だって考えられる。
油断したその隙に……そう考えると、有り得ない事では無いはず。
「あー初音くん。また呼び方が余所余所しくなってる。言ったよね、私。呼び捨てでいいって」
姿も声も、口調も、僕が知っている高瀬さんそのもの。
でも……接点は正直あまり無かったから、いまいち信じきる事が出来無い。
「えっと……高瀬、何しにこっち側へ来た……?」
少し……意識して気を付けるようにした方が良いだろう。
警戒しておくだけでも、反応する速さは随分変わるだろうし、この場所だったら下の階に逃げるなり、すぐ横の別棟へ繋がっている廊下へ走り逃げる事だって出来る。
「くすくす、何しにって? 決まってるじゃない……初音くんと一緒にこっちの世界でずぅっと二人で暮らそうと思って来たんだよ?」
「何、を言っているんだよ……」
こっちの世界で暮らす……?
校舎内から出る事が出来無いような、こんな世界で一緒に……?
やっぱり偽者なんじゃ……?
呪いとは関係の無い高瀬がこっちの世界にいるなんて、考えられない。
「ねぇ、初音くん、いいでしょ? 私、夢だったんだよ? 初音くんと一緒になる事が。知らなかったでしょ? 私の思いなんて、知ろうともしなかったでしょ? どれだけ苦しかったかなんて、全然分かろうともしなかったでしょ?」
高瀬はいったい、僕に何を伝えているんだ?
今までに至っても、ほとんど接点なんか無かったじゃないか。
それなのにそんな事を一方的に言われたって、分かるわけが無い……言ってる事に対して理解する事でさえ難しい。
「悪いけど……そんな事を今突然言われたって、僕には分かるはずが無い。僕と高瀬がこれまでどれくらいの会話をした? 回数はそれなりにあったかもしれない……でも、時間にしてみたら極僅かしか無いじゃないか……それで、僕に知らなかったとか分からなかったとか言われたって、無理な話しだって……」
「……」
黙ったまま、何も言わず僕を真っ直ぐ見詰めている高瀬の瞳は、少しゾッとしてしまうくらいギラギラと光が射している。
「……今はとにかくここを出なくちゃならない。言いたい事があるなら、現実世界へ戻ってからにして欲しいんだよ。そしたらちゃんと聞くから」
目の前にいるのが本物の高瀬なのか疑わしいけれど、念の為聞いてみる。
「ここあら出る方法とか知ってる?」
「……知らない」
「じゃあ、どうやって来たわけ?」
「……知らない」
さっきまでの楽し……いや、愉しそうな声とは全く逆で、僕の言ってる事なんて意に介さず冷めた口調で答える高瀬。
「……不貞腐れている場合じゃないんだって。何処からも出られないし、ヤバイ雰囲気のヤツもいた。今はここから脱出する方法を見つけないと……なぁ、高瀬」
「……知らない」
高瀬は俯いて僕と目を合わせようともしない。
くそ……もう少し上手く話を進めるべきだったか。
ここは素直に謝って、少しでもヒントになるような事を聞き出さないと。
「……少し言い過ぎたよ……ごめん」
「じゃあ、考え直してくれるの?」
「……それは今後次第」
「どう言う意味?」
「僕達はお互いにまだ知らない事が多い、在り来たりだけどさ、だから友達か」
「そんな関係じゃ私が満たされないっ!」
高瀬は僕の会話を遮って声を荒げる。
びっくりした…………本当に高瀬、なのか……?
普段が穏やかだから、そんな態度が余計に僕を驚かせている。
「分かってない……初音くんは全然分かってない。私の苦しみなんて、どうでもいいんだよね? 毎日毎日、何度も何度も……私は初音くんを思って……自分を慰めた。でも、満たされる事なんて無かった……そればかりか余計苦しくなって、辛くなって……こんな苦しい思いをさせている原因が、初音くん自身にある事をどうして……どうして理解してくれないのっ!」
僕が知らないだけ……なのかもしれないけれど、僕が知っている高瀬が……こんなに鋭く冷たい…………他者に対して怒りを露にするような表情をするなんて想像も出来なかった。
ここが呪術式の影響による世界であれば、やっぱり別人……だと考えられなくも無い。
けど、もし……本物だとすれば、こんな世界に一人にはさせられないし…………。
「じゃあ、僕にどうしろって言うんだ?」
様子を見る為に、もう少し会話を続けてみる事にする。
「だから言ってるでしょ。こっちの世界で二人で暮らそうって」
「わざわざこんな危ない世界に拘る必要は無いじゃないか」
「……」
「外にすら出られない。暮らそうたって、実際問題食料が必要になる。探せばもしかしたら非常食くらいは出て来るかもしれないけど、それだって何時まで持つか」
「……もういいよ」
「ん?」
「もういいって言っているの……」
聞き分けが良いのか悪いのか……それに、本物か偽者なのかも、全く分からないままだ。
「……もう一度聞くけど、こっちの世界にはどうやって来た?」
「……知らない」
「…………出る方法は?」
「……知らない」
振り出しか。
どうする……どうしたらいい?
偽者だとしたら一緒に行動するのは危険過ぎる……僕の隙を突いて、危害を加えてくる可能性がゼロでは無いのだから。
でも、本物だとしたら……一人残して、僕だけ動くわけにも行かない。
「なぁ、高瀬」
僕は何とか説得を試みる事にする。
「こっちじゃない現実の世界に帰ったらちゃんと話し合うから、今はここから出る事を考えてくれないか?」
「……どうしてここをそんなに出たがるの?」
「どうしてって……さっきも言ったように、校舎からは出られないし、危険そうなヤツもいるって。そもそもここは現実の世界じゃない、居られるわけが無いだろ?」
「嘘でしょ」
「嘘じゃないって……窓やドアが全く動かない。試してみれば分かる」
「嘘」
「本当だって」
「嘘だよっ!」
凄い剣幕の高瀬の態度に、僕は少し気圧されてしまう。
「……分かった、分かったよ」
「……何、が?」
「そう言う事か……初音くんがあっち側へ帰りたい理由」
「だからこんな世界にはいられ」
「私じゃない他の誰かが好きなんでしょっ!」
「何を言っているんだ……」
どうしてそうなる……。
「……仕方無いよね。こうなってしまったら、誰かに取られるのは嫌だもん」
「仕方無いって何が……?」
「……」
高瀬はぴたりと会話を止めて、俯きながら床をジッと見詰めている。
勝手に何かを納得している高瀬とは対照的に、僕の思考はすっかり混乱してしまい、迂闊にも高瀬へと近付いてしまった。
「なぁ、高瀬」
ヒュンッ!
「?!」
俯いたまま、近付いた僕へ右手を振り上げる。
「あーぁ、残念。でも、初音くんが悪いんだよ? 他の子に現を抜かすから……もう、こうするしか手段が無いんだもの……」
ゆっくりと、振り上げた右手を向けるその手には……。
「カッターナイフ……?」
「新品だよ。ほら、切れ味が良過ぎて、切られた事に気付かなかったでしょ?」
言われてようやく僕は、高瀬に伸ばした手の平がちくちくと痛む事を感じるようになり、その手を見てみると。
「……マジかよ」
血がドロドロと傷口から滴っていた。
「くすくす……見て、こーんなに買ってきちゃった」
ジャラジャラジャラ。
着ている制服のポケットから、何十本ものカッターナイフを乱暴に取り出して、廊下の上にばら撒いて行く。
「私は初音くんの事が好き、大好き。それなのに初音くんは私の事を見ていないばかりか、他の女の子の所へ帰ろうとしている……そんな事させないから、絶対に」
「お、おい……高瀬、それは……完全に勘違いしているって……それに、僕は女だぞ? 他の女の子のところへって……おかしいだろ」
そう、僕は呪いの干渉の効果によって、姿が幼女へと変わってしまっている。
それは今、この世界においても有効事項で、元の男の姿の面影すら全く残っていない。
「初音くんはなーんにも知らないんだね。だから、私の気持ちも知らないんだよ」
言ってる事が無茶苦茶過ぎる。
「ほら、これ見てよ。この写真、初音くんが写ってるでしょ?」
僕へ向けられたスマートフォンの液晶には……確かに僕の姿が写っている……男の姿の僕が。
「撮影した時の日付、四月十九日の放課後六時過ぎ。それが何を意味しているか、分かる、よね?」
四月十九日の放課後……確か、呪術に掛かって変化した日の事になる。
その放課後って…………えっと、リリカノさんに言われて、自分の制服を教室のロッカーに入れに行ったんだっけ……え?
ちょっと、待て……どうして、その時の姿が”元の姿”なんだ……?
だって……六時過ぎの時、僕はもう”幼女の姿”になっていたんだぞ?
「ほら、やっぱり初音くんは何も知らない。こうして、カメラで撮影すると……ほら、この通り」
フラッシュと一緒にシャッター音が鳴り、撮影したばかりの画像を僕へ向ける。
「な、んで?」
今の僕の姿を撮影したと言うのに、高瀬のスマートフォンの液晶には、元の姿の僕が映し出されていた。
「くすくす、良かったね、制服も男の子の時のままで」
そんな事は重要じゃない……あ、いや、結構重要だけど、今はそこが焦点では無い。
「私はね、初音くんが別に女の子の姿でも構わないよ? 私が理想とする犯され方で初音くんにエッチをして貰えないのは残念だけれど、女の子同士でも気持ち良い事は可能だもん。何より、私が好きになったのは、初音くんの心、だから。外見は二の次なの」
分からない、何処までが本音の高瀬の言葉なのか……目の前にいるのは、僕が知っている高瀬なのか…………僕と高瀬には接点が無さ過ぎて、見極める要素が余りにも不足している。
「でもね、もう初音くんの言う事は聞かないから。私が私の思うようにして、初音くんと二人っきりになるの」
……高瀬のヤツ、目が正気では無い…………リリカノさんが見せてくれた、あの映像の中の女子生徒と同じ目だ。
薄暗い校舎の中にいると言うのに、高瀬の瞳には一筋の光が宿っていて、それが寒気を感じる程にギラギラと光り、とてもじゃないけれど、平常だとは思えない。
僕を愉しそうに見る目、歪んだ口元……ハッキリ言ってこれは、恐怖だ。
「初音くん……今から楽にしてあげるね。他の子に言い寄られているんでしょ? もう、心配しなくていいから……」
言っている事がメチャクチャだっ!
話し合いなんて出来る状況では無くなっているっ!
「初音くんを殺して、ずぅっとこっちの世界で一緒に暮らそう、そうしよう? ねぇ、初音くん。くすくすくす…………キャハハ、キャハハハハハッ」
愉しそうに笑い、悦びに満ちた表情を浮かべ、にたりと口を歪めて僕を見る高瀬。
ヒュンッヒュンッ!
「くっ! 殺す気かよっ!」
「そうだよ……殺しちゃうんだからぁっ! キャハハハハッ!」
偽者の確証があれば、応戦も可能だけど……分からない以上は、本物だって可能性も考えて行動しなくてはならない。
となれば、さすがに手を出すわけには行かないか。
「ほらほらぁ、初音くん~、逃げないと殺されちゃうよぉ? 私に、キャハハハ」
残して行くのは不安だけど、ここは一度退くしかない。
「高瀬、おかしなヤツもいるから気を付けろよ」
「それって私の事かなぁ?」
「そう思うなら冷静になれ」
「私冷静だよ? 至っていつも通り……だから、今すぐ私に殺されてっ! 初音くんが死んじゃった後はどうしようかぁ? バラバラにしちゃう? あぁ、それよりも、内臓をぜーんぶ取り出して剥製にしちゃおうかぁ? クスクス……アハハハハ」
どこがどう冷静でいつも通りなのか、って言いたいところだけど、高瀬をその場に残し、僕は全力で別棟へ続く渡り廊下を走り抜ける事にした。
「…………追いかけて来ない、な?」
別棟へ着いてから、高瀬がいるだろう方向の様子をそっと伺ってみる。
「……」
走って追い掛けて来る様子は無い……でも、あの高瀬が呪術の影響による事象であれば、神出鬼没である可能性だってある。
「まったく……なんなんだよ、この世界……」
ダメだ、焦るな……冷静さを欠いてしまっては呪術の思う壺になってしまう。
とにかく、先ずは出口だ。
出口を見付けて……そしたら高瀬を捕まえて、強引に出口へ入れて…………現実世界へ帰ってどうなるか。
これ以上おかしな事にならなければいいけど……不安は拭えない……でも、今出来る事をして行かなければ…………。
そしてまた、黙々と窓とドアの開け閉めを繰り返す。
「何で高瀬なんだ?」
本物であるとしたら、高瀬は呪術式の影響を受けている事になる。
呪術式のターゲットは僕、以外にもなり得るって事、なのだろうか。
「あ……そう、か……」
あの動画……前例者の部屋に入って来た女子生徒。
僕に対してはそれが高瀬って事、なのかもしれない…………。
となれば、異常な行動に出ているけれど……あの高瀬は本物と言う事になる。
「お互いの関係はあまり意味は無いって事、だよな」
前例者に対しては、前例者と接点が何も見当たらないとリリカノさんが言っていた。
けれど、無関係な相手だけじゃ無い、と言う事が高瀬の出現によって証明されている……関係の深さに意味は無い……それにしたって高瀬が巻き込まれてしまうなんて冗談じゃないぞ。
「……早いとこ校舎内のドアと窓を調べて……それで出口が見付からなかったら……あぁ、もぉどうすればいいんだ?!」
居るはずの無い人物、居るとは考えも及ばない人物が居た事によって、僕は完全に失念してしまっていた……アレの事を。
廊下の角を曲がった直後、黒い服のアリスが目の前にいて、手に持っている武器を振り下ろそうとしている瞬間を視界に捉える。
「しまったぁっ!」
ビュオッゴガンッ!
間一髪、横へ飛び退き、直撃を避ける。
おいおいおい、あんなの食らったら、打ち所が良くったって粉砕骨折確実だぞっ!
最悪……死亡。
廊下の硬い床は、大剣の打撃により盛大に砕かれ陥没している。
ブオンッ!
「うわぁっ!」
薄く笑みを浮かべながら、意図も容易く重そうな武器を横へ凪ぐ。
ドギンッ!
バガンッ!
ゴドンッ!
躊躇い無く僕へ殺人武器を振り下ろすアリス。
「くっそ、なんなんだよっ!」
狙われる理由が何処にあるってんだ?!
これもまた呪術によるモノなんだろうけど、理由も知らず狙われる事に納得出来るわけが無いっ!
全速力で逃げ、校舎の一階まで階段を下りる。
「はぁ……はぁ……今のは危なかった……完全に油断した…………」
けど、アイツのおかげで、理解出来た事が一つ。
それは……この校舎は絶対に破壊出来無いってわけじゃ無い事。
なら、ここから出る方法は、何処でもいいから破壊出来る程の打撃を加えればいいっ!
さすがにコンクリート部分の箇所ともなれば、アレが持っているような打撃武器が必要になる……ならば、コンクリートじゃない箇所……そう、今まで僕が開けようと頑張っていたガラスの部分なら破壊する事が出来るかもしれない。
そこで思い付く場所を目指して、猛ダッシュした先は生徒玄関。
ここなら目の前にガラスがあるから、打撃力を伝えるにはちょうどいい。
「下駄箱のロッカー……には、さすがに使えるようなモノは入ってないな……」
自分の下駄箱が近くにある事に気付いて中を覗いて見たけれど、元々の内履きとリリカノさんから貰った内履きが二足入っているだけ。
「消火器ぶつけてもダメだったけど……試すだけ試してみるか……」
生徒玄関のドアのガラス部分。
そこを目掛けて思いっきり踵を入れる。
さすがに裸足では足が壊れるだろうから、リリカノさんから貰った内履きを履く事にした。
「ふぅ」
呼吸を整え、目の前のガラス……打撃を入れる箇所へ集中し……腰を落として、構えを取り、遠心力を加えての回転蹴り。
消火器を投げ付けてひびが入らなかった。
ならばそれ以上の力を加えなくちゃいけない。
「頼む、壊れてくれよっ…………伊達に何年もトレーニングして来て無いんだ……」
一瞬だけ間を置いてから。
「壊れろおおおおおおおお! 断っ空っ」
ガラスへインパクトする瞬間、遠心力を増す為、腰を捻り更に回転による打撃力を上げる。
「蹴っ!!!」
ガッッッッッシャアアアッ!
「いってぇぇぇぇえええっ! くううぅうぅぅぅうぎぎ~!」
靴を履いたおかげで、返って来る衝撃は大分抑えられたはずだけど、物凄く痛い。
「あううぅぅ、こ…壊せた……」
粉々になった生徒玄関のガラス。
「こんな硬いの……よく壊せたな……ぐぅぅ」
手に取ったガラスはガラスよりも遥かに硬い感触を受ける。
「うぐぅ……」
割れたドアから僕は這いずるように外へ。
出た後はどうしたらいいんだ?
校内を離れればいいのだろうか?
そんな事を思いながら、生徒玄関から完全に脱出する事に成功すると。
「えっ?! え? 何?」
あ、れ?
えっと、えっとえとえと……。
一瞬にして世界が変わった。
そう、ここは見覚えのある自分の…………僕の部屋だ。
「帰って来れた……?」
時計は午前一時前……あっちの世界とこっちの世界での時間間隔はリンクしていると考えて良さそう……でも、僕ではこれからの事は何も分からない。
「高瀬の事があるし……急がないとっ」
リリカノさんに連絡さえ取れれば……あぁっ連絡先聞いておくべきだったっ!
そうだ、タクシー会社……あそこへ電話すれば、リリカノさんの行き先を教えてくれるかもっ!
ホテルに泊まっているらしいし、ホテル名が分かれば連絡が取れるっ!
「よ、よし、非常識な時間になるけど、緊急事態だ……」
ベッドから出ようとすると、身体に重さを感じたので横を見る。
「高瀬っ?!」
どう、なっているんだよっ?!
何で高瀬が僕の部屋にっ?!
「お、おいっ、高瀬っ! 目を覚ませっ!」
肩を掴み、軽く揺する。
「高瀬ってば!」
ぺしぺし。
ほっぺを叩く。
「あ、ん……うんん?」
「き、気付いたか?! 高瀬っ目を開けろ!」
「ん、んん…………あ、れ? 初音、くん?」
「お、おお、良かった……生きてるな」
「何で……初音くんが?」
事態を把握出来ていないの……か?
「高瀬、何処かおかしなとこ、無いか? 身体、大丈夫?」
あっちの世界の高瀬と今目の前にいる高瀬は別、なんだろうか?
何も覚えているような感じじゃないし……。
「身体……?」
そう言った高瀬は僕を見て、元々大きなパッチリ二重を更に大きく見開いて行く。
「きゃああああっ! 何で初音くんが私の部屋にいるのっ! えっちっ!」
バチーーーーンッ!
「ぶふわぁっ!」
僕のほっぺに平手打ちがクリーンヒットする。
「何するんだよっ! お前が僕の部屋に上がり込んでいるんだろうがっ?!」
「え…………? あ、れ……? ホントだ、私……何で…………」
「ったく、叩かれ損じゃないか……」
「あ、う……ご、ごめん……」
いってぇ~、さっき生徒玄関のガラスに入れた打撃による痛みと同じくらい、ほっぺがジンジンする。
「……踵、痛み」
踵の痛みはまだハッキリ、ズキズキと残っている……やっぱり、あっちはあっちで現実って事?
「高瀬、お前……何で僕の家に居るのか分からない、のか?」
「え、あ……う、ん……」
どうなってるんだ……戸締りはちゃんとしたはずなのに。
「いつ来た……?」
「…………分からない。学校から帰って来て、少し勉強して……それから、確か休憩したような…………えっと、それから……」
「それから?」
「う、ん……ごめん、分からない……」
となれば、その分からない所から、高瀬は僕の家に来たって事だろう。
まさか……向こうの世界から僕の部屋に、僕が脱出した事によって引き摺られてしまった、なんて事じゃないと思う。
「家に入った事も分からない?」
「……」
「学校から帰って来て、外出もしてないってのに……いつの間に入り込んだんだよ……」
「…………」
心当たりさえも無い、のか?
本人は分からないって言うし、何にしても今は高瀬が無事なら良しとしよう。
これなら今すぐリリカノさんに連絡を取る必要は無い。
明日学校へ行ってから、ゆっくり今の出来事を伝えればいいか。
「とにかく高瀬、今は家に帰れ。何も言わずに出て来たっぽいし」
「う……ん、そうするね……」
もぞもぞと僕のベッドから這い出して、高瀬は見た所、しっかりした足取りで僕の部屋から出て行く。
「そ、それじゃあ……私、帰るね……」
「あぁ、夜遅いし、送って行こうか?」
「ううん、大丈夫。明るい道を選んで帰るから」
そう言って高瀬は僕の部屋から、一人で出て行ってしまった。
せめて玄関くらいまでは見送らせろっての。
高瀬の階段を下りて行く足音を聞いて、玄関のドアが開き、閉じる音が聞こえる。
ベッドの横にある窓から、ブラインドをずらし姿を確認。
「家に向かっている…………みたいだな。あ~疲れた……足は痛いし……」
とんだ目に遭った。
呪術式の影響が、本当にまさかの異世界だったとは。
暗い学校の中、出口無し……しかもその中にはゲームのキャラがいて僕を狙って来るし、更には、自分の知り合いにまで殺す宣言されたのだから、精神が疲弊して疲れるのは当然だ。
リリカノさんの話しをちゃんと聞いておかなかったら、絶対混乱して危険な目に遭っていたと思う。
何にしても、このまま朝を迎えて、学校へ着いたらリリカノさんの所へ直行しよう。
「っと、そうだ……高瀬が出て行ったんだから、玄関の鍵、掛けておかないと」
僕は自分の部屋を出て、玄関へと向いながら考える。
「ん~、寝直してもいい……のかな?」
もし、寝ている時だけあっちの世界へ行くって事であれば、リリカノさんに相談もせずまた入るのはさすがに避けたい。
いざとなれば、ガラスの部分を壊せばいいんだろうけど、あれ……メチャクチャ痛いからなぁ…………今だってまだジンジンするし。
「仕方無い、起きる時間まで結構時間があるけど、寝るのは止めとこ……」
疲れた身体、特に精神的な疲れのせいで、朝まで起きているってのは正直シンドイだろうけど寝てしまう事のリスクが大きい。
だから無理をしてでも、起きていた方が賢明なはず。
玄関でサンダルに履き替え、シリンダーを回していた最中の事。
ガダンッ!
「うわぁっ!」
シリンダーが中途半端に回っていた所を、向こう側から思いっきりドアを開けられたモノだから、鍵穴にシリンダーが引っ掛かり、大きな音を立ててドアが開け放たれた。
「……な、なんだよ。驚かすなよ高瀬」
ドアを開けた人物は、さっき家に帰ったはずの高瀬。
「どうした……? 忘れ物……?」
「あのね……大事な事を言い忘れていたんだ」
「大事な事?」
もしかして、あっちの世界の事で何か思い出した、とか……?
「明日は……明日こそは…………」
少し間を開けて、高瀬はゾクリとするような笑顔で僕へ告げる。
「ぜぇったいに、逃がさないから……クスクス」
「なっ! 高瀬……お前っ?!」
今、僕の目の前にいる高瀬は……あっち側の世界で会った高瀬だっ!
「せいぜい残り少ないこっちの世界を楽しんでおくといいよ……キャハハハ」
「お、おい、ちょっと待てってっ!」
ヒュキンッ!
「くっ!」
「だーめ、こっちの世界で殺しちゃったら意味が無いでしょ? だから、私に初音くんを今は殺させないでくれないかなー? あっちの世界だったら、ゆーっくりと楽しみながら……殺してあげるからぁっ!」
切りつけようと思えば出来たのに、わざと外しやがった……。
「あぁ、そうそう、初音くん。外に出る時はちゃぁんと、鍵掛けなくちゃダメだよ? 外で運動している時、鍵掛けないと物騒だからね。気を付けないと、とぉっても危ない人が入り込むんだからぁ~、クスクス」
呆気に取られてしまう僕の事なんて見向きもせず、高瀬は去って行った。
どうなってんだよ……こっちとあっち、どっちも本物って事か?
そう言う事、なんだと思うけど、僕の部屋で目を覚ました時の高瀬は、普通に感じたってのに……芝居でもしていた?
「……」
そんな事は無い気がする。
目を覚ました時の高瀬はいつもの……と言ってもそれ程知った仲じゃないけれど、それでも、普段通りの高瀬に思えた。
「……やっぱり僕一人じゃ憶測でしか無いから、考えたって埒が明かない」
今日登校したら、朝一でリリカノさんの所へ行こう。
僕には呪術の知識が無いのだから、他人任せになっちゃうのは仕方の無い事だ。
「ふぅ……」
キィ。
パタン。
カシャン。
開け放たれたままのドアを閉め、チェーンロックを掛ける。
そして、シリンダーロックを掛け……。
ガダンガチャンッ!
「ひぐっ?!」
掛ける寸前、ドアが思いっきり引っ張られ、驚いた僕は玄関に尻餅を付いてしまう。
そして、チェーンロックが掛かり、十数センチくらいの隙間から……。
「た、かせ……」
ぱっちりした高瀬の瞳はギラギラと怪しく光り、そして……愉しそうに歪んだ笑顔で、僕を見下ろしながら言う。
「なぁ~んだ、今度はちゃんと鍵を掛けたんだね。もう一度、侵入して……朝まで初音くんの部屋の前に佇んでいようって思ったのに……クスクス、残念」
本当に愉しそうに、嬉しそうに…………普通の人間が平然と言えない様な言葉を高瀬は笑いながら言う。
「明日は死んじゃうかなぁ? 私に傷付けられて、私に弄ばれて、クラスメイトの私に殺されて……どんな気持ちになるんだろうね? クスクスクス」
「……自分が、何を言っているのか分かってる、のか?」
「もちろん」
「矛盾してるだろ……僕と一緒にいたいなら、殺すとか、意味が分からない……」
「そお? 別に難しい事なんて無いじゃない?」
口元を更に歪めて寒気すら感じる笑顔を向けながら、僕へ言う。
「初音くんを殺した後はねぇ…………ゆっくりと、時間を掛けて」
一言ずつ区切りながらもったいぶるように続けた言葉に、僕は一瞬理解が追いつかなかった。
「食べちゃうからぁっ!」
「な、にを……言っているんだよ…………」
「そのままの意味。焼いて食べちゃう? あぁ、それともそのままがいいかなぁ? クスクス、キャハッ、キャハハハハッ! 美味しいよねっ、初音くん、ぜぇぇぇったい美味しいよねっ! 私の栄養となって、私と一つになるのっ! これでもう初音くんは誰にも取られない、私だけの初音くんっ!」
目の前の人物はクラスメイトの高瀬なのか?
それこそ呪術で現れた”何か”なんじゃないのか?
人を……食べる、だって……?
「それじゃあ、初音くん、せいぜい余生を楽しく過ごしなさい。こっちの世界で未練のある子がいたら、襲っちゃえばいいんじゃないかな? だって、どうせ……最後だしねぇ! キャハハハアッ! バイバイ、こっちの世界の初音くん、おやすみなさい」
バタン。
ドアが閉まったのを合図に、僕は急いで立ち上がって、シリンダーロックを掛ける。
そして、家中のドアの鍵を念入りに確認してから、自分の部屋へと戻り、部屋の鍵も掛け、ベッドの上に布団を頭から被り丸くなる。
さすがに心底恐怖を感じた……!
尋常では無いっ!
「今の高瀬なら……本気で僕を殺せる……」
さっきまでは現実だけど違う世界の現実だったから実感が乏しかったけれど、自分の住む現実の世界へ帰って来て心に多少の余裕が生まれた……その余裕が、余計、高瀬の変貌ぶりに怖さを感じてしまっているんだと思う。
精神が傷付く感覚……それが、心底理解出来る。
「本当に、疲れた……」
一息付きたい気分からキッチンに移動して、風呂の追い焚きスイッチを押し浴槽のお湯を温め直す。
こうして待っているのも落ち着かない……入っていれば適温になるか。
僕は着ている服をパパッと脱ぎ捨てて、ぬるま湯の中へと入り込んだ。
「う……さすがに温過ぎる」
少しでも体温を逃がさないようにと、浴槽の中で体育座り。
「まさか……高瀬のヤツ、また来たりしないよな……」
入ってからそんな事を思ってしまったけれど、戸締りはきちんとした、大丈夫なはず。
あの狂気をはらんだ高瀬なら、窓ガラスくらい割って入って来るかもしれないけれど、僕の家は一階が車庫になっているから、そう簡単に人が侵入出来るような高さに窓は無い。
それに、次からは警戒する事だって出来る。
本当に危険なら、少しは抵抗しないといけない……高瀬に怪我をさせないように注意して加減をしなければ。
「まったく……母さんから習った格闘術が、本気で役に立つ時が来るなんて思っても無かったっての……ぶくぶくぶく」
目の下までお湯に浸り、ちょうど良いくらいに温まった湯船が心地いい。
少し、今後の事について、自分なりに考える。
「ぷはっ」
まず、向こうの世界でも幼女体型なのは正直厳しい。
「色々動き難い……」
パワーが足り無い、リーチが足り無い、そう言えば……ちょうど良い靴も無い、そして更に……動きやすい服装も必要になって来る。
となるとやっぱりジャージ、だよな。
「一番無難と言えば無難……スニーカーと合わせて買っておくか……」
パワーやリーチに関してはもうどうしようも無いから、そこは小さい身体を活かして代用するしかないだろう。
その分、瞬発力や機敏さに関しては、元の姿よりも良くなっているはず。
後、他は。
「髪の長さか……」
身長が低くなり、長さが腰まであるのだから邪魔な上に結構な重さがある。
「いっその事、切る方向で」
それが一番手っ取り早い。
「あぁ~もぉほんと……疲れた。前例者も……あんな目に遭った、んだよな……」
僕の場合はゲームのキャラクターだったけれど、前例者はどうなんだ?
同じ……だった、なんて事は無い気がする。
ゲームをプレイしていた直後の事だし、あまりにも出来過ぎだ。
となるとたぶん、異世界に引き摺り込まれる前の現実で、印象に残った事が関係しているんじゃないだろうか。
憶測だけれど……これは当たっていると思う。
「けど、どっちに襲われたって、意識不明の重体……」
魔法騎士少女はともかく、実際に存在する人物からも、そんな酷い事になる程の危害を加えられるなんてさ……理不尽過ぎるよ、ショックで立ち直れないっての……。
あ?
いや、確か呪術に掛かっていた事なんかは全て忘れるんだっけ?
「……忘れるのもそれはそれで酷い話だ」
死んでしまえばそれでお終い……抗える方法があるなら、出来るだけ抗って、何もかも元に戻したい。
「どうにかこうにか、がんば……れるかなぁ…………」
その後、風呂から上がった僕は、朝までぐっすり…………眠らずに、結局また高瀬が来るんじゃないかって思いのせいで、精神的な疲れが増加。
詰まる所、やっぱり僕は追い詰められた状態なわけで、呪術式に翻弄されながら、ふらふらした足取りのまま、基本的に精神弱者である事を再認識しつつ、朝を迎え学校へ登校するに至った。
A Preview
「うーん」
「真面目な顔して悩んでいるようだけれど、どんなに悩んでもあなたの大好きな声優が、あなたの名前を呼んでくれる事なんて無いわよ」
「誰もそんな事考えてないですよっ! あ、いや……過去には何度かありますけど……」
「現実を見なさいな」
「夢くらい見てもいいじゃないですかっ! 朝のおはようから夜のおやすみまで、好きな声優さんが挨拶をしてくれる……最高じゃぁないですかぁ」
「あなたの好きな声優が誰かは知らないけれど、私がその声優の思っている事を代弁してあげると、気持ち悪いけれど喜ばせておけば印税のカモに出来るし、我慢して頑張ろう、本当に気持ち悪いけど、と言うのが本音でしょうね。夢を見過ぎなのよ、あなたは」
「そんなの分かってますよぉっ……じゃなくて、僕は今すっごく悩んでいるので、一人にしておいてください……」
「ふむ、何について悩んでいるのかしら? 悩みが解決出来ないようなら、誰かに話してみるのも良い方法だと思うけれど?」
「…………将来の事です」
「学校を卒業したら、と言う事?」
「はい、これと言って目指している事とかやりたい事とか無くて……」
「あら、二次元のキャラクターのくせに、とても現実味のある発言をするじゃないの」
「僕は現実の人間ですっ!」
「そうなの? 私は作り物だけれど?」
「何度も言ってますけど、扱いがややこしくなるので、二次元世界である事を言わないようにしてください……」
「いいのよ、この場だけは。それはそうとして、初音さん、今の学生生活で部活でも同好会でもそれらしい事をしていな……あぁ、ごめんなさい、友達居なかったものね」
「現実はあんなふうに都合良く、メンバーが集まったりしないんですっ!」
「集まるどころか当ても無いじゃないの」
「そこは置いといてっ! バンドメンバー募集とか、ゲーム制作メンバー募集とか、ゲーム同好会とか、そんなの実際に申請しても却下されるんですよっ!」
「でしょうね。どんなに本人達が本気だとしても、傍から見れば遊び、ですものね。そんな事に学校側が許可をして部費なんてモノを出すわけが無いでしょうから」
「……そう言う事です。部費が貰えない部活にしろ同好会にしろ、活動しても限界はすぐに来ます……詰まりは結局……お金、なんですよ……」
「良い事を思いついたわ。初音さん自身が声優デビューして、初音七を演じればいいじゃないの」
「だから、そう言うややこしいは禁…………って、それ、いいですねっ!」
「あわよくば、あなたの名前を好きな声優が呼んでくれるかもしれないわ」
「おほーっ!」
「良かったわね、ちゃんと将来が決まって」
「ですねっ! リリカノさん、ありがとうございましたっ! 早速……将来は声優っと、これ、提出して来ます!」
「嬉々として行ってしまったけれど、哀れね。ノベル作家と同じで、デビュー出来たとしても、売れる事が出来る人間は一握りしかいないと言うのに。まぁ、挫折した後にでも、霊の依り代として雇って上げるくらいは、してあげようかしら」
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