No.002

 四月十九日。

 午後六時過ぎ。

 教室。

「……ものっすごい違和感」

 少し時間が経過した事により、冷静な判断が出来るようになった僕は、今の変化した身体に途轍も無い違和感を感じている。

 無かった物がくっついたり、有った物が無くなったり、背が縮み、髪が伸び、声が変わり……あれこれ多大に変化してしまったのだから違和感があって当然だ。

 生徒玄関前で待ち合わせる事になっているリリカノさんから、この状況をもっと詳しく教えて貰わないといけない。

 さすがに詳細を知らない状態で、このままの姿を維持しているのは落ち着かないから、今後の見通しだけでも情報として持っておくべきだと思っている。

「それじゃあ、撮るよー? 笑顔ー」

「可愛く撮ってねっ」

「モデルがいいから大丈夫っしょ」

 僕のクラス二年C組の教室の外から、女子生徒三人の声が聞こえて来た。

 結構いい時間だってのに、まだ帰っていないのか……気楽そうでいいな……僕は大変な事になっているってのにさ。

 まぁ、友人だろうが他人だろうが、自分に関わっていない不幸なんて、知った事じゃないから仕方ないか。

 往年のアニメなんかにはよくある設定だけど、こうして当事者となってしまえば、不便極まりなく今直ぐにでも元の姿に戻りたい……けれど、呪いって言う事だからそう簡単には戻らないのだろう……。

 もしも姿が女になってしまったら……そんな妄想を抱くのは男として生まれた健康な男子であれば、ほぼみんな思う事(たぶん)。

 声を大にして言えないようなイケナイ妄想を色々して……でも、それは絶対に有り得ない妄想だからであって、女体化が実際の出来事となってしまうと、とにかくこのままではマズイ、どうにかしなければいけない、そんな事ばかりを気掛かりにしてしまい、イケナイ事等考えている余裕すらない……ホント、ホントに本当だからっ!

 今、内心はメッチャ焦っているんだからっ信じてっ!

 これが呪いでは無くもっと穏便な事象で、性別変化を意のままに操れていたら、きっとあれやこれやとお楽しみしていた事だろう。

 けれど、僕は今呪いに掛かっているわけで、気楽に構えて楽しめる状況では無い事くらい分かっている。

 リリカノさんから説明を聞かない事にはどうにもならないのだけれど、これから一体僕はどうなってしまうのだろう。

 不安で不安で落ち着かない。

「うう~…………とんだ事になってしまった……」

 大怪我して入院、なんて事だけは避けたいし、完全に呪いから解放されるのか、そもそもこんな呪い発生させたのは誰なんだよ……。

 解放されるにしたっていつくらい?

 何十年も先なんて嫌だぞ…………。

「…………はぁ」

 考えても埒が明かない、気を取り直して、リリカノさんのところへ行くとするか。

「トントントン、入っていますかー? それとも入っていませんかー? どうやら入っていないみたいですねー?」

「入ってるよっ!」

 背後から僕の肩を叩いている人物へと、振り向き様にツッコミを入れる。

「うわっ、入っていたんだ」

「何がっ?!」

 入っている、とツッコミを入れてはいるけれど、具体的には何が入っているのかなんて実は何も考えてはいない。

 僕の独り言に突然介入して来た人物は、姫カットの肩よりも長い黒髪ストレートロング、黒縁メガネスタイルがよく似合うクラスメイトの一人。

「いやぁ、心が何処かへ抜け出している時だったのかなって思ってね。確かめてみたの」

「心なんて出たり入ったりしないからっ」

「嘘っ?!」

「嘘じゃないっ!」

「だって初音くん、女子の間で噂になってるよ? 初音くんは心だけを自由に出入りできて、その時に目が合うと初音くんに弄ばれてる最中だ、ってね」

「お断りだよっそんなスキル!」

 これがゲームだったら、スキル継承時に即上書きする候補になるくらい必要の無いスキルだと思う……役に立つ見込みすら立たない。

 それはそれとして、同じクラスなのにほとんど接点の無い女子生徒の反応を伺う限り、僕の姿を見ても何も違和感を感じていない様子。

 やっぱり僕が以前からこの姿だった、と認識されていると言う事なのだろう……女の姿なのに敬称も先生と同じように『初音くん』だし……。

 まぁ、でもこの姿の状態で問題無い事が、確実絶対的に立証されたわけになる。

「私なんかも、結構、弄ばれていたんだけどなぁ」

「目が合った記憶なんて無いし!」

「それはね、初音くん。その時心が丁度出ている最中で、無意識になってるからだよ」

「何気に説得力があるんだけどっ?!」

「初音くん、ダメだよ、弄んじゃ」

「遊んでないって!」

「妄想もダメだからね」

「男子なら妄想くらい誰でもするからっ」

「うわ、妄想はするんだ」

 勢いで妄想する事、暴露してしまった……。

「すみません、どうか、今のは内密にしてください。よろしくお願いします」

「んー、どうしよっかなぁ」

 妄想してます、なんてハッキリと周知されたくはない。

 だから、僕は頭を深々と下げた。

「あ、じゃぁ、初音くん、なんでさっきから溜め息ばかりしてたの? 悩み事? 良かったら、聞こうか?」

「…………」

「無理には聞かないし、口外はしないって約束するよ?」

 顔を上げて見たその表情は穏やかな笑顔。

 無理に聞かない、口外しないってのは本当である事を感じさせる。

「それは、まぁ、ありがたいけれど、どうしてわざわざ聞いてくれるわけ? 突然だし、僕達ってただのクラスメイトでしかないし」

 一年の時も同じクラスだったのに、学校行事なんかについての会話はあっただろうけど、それ以外で話した事なんてほぼ記憶に無い。

 んー、二度三度はあった、か。

 今、これだけフレンドリーに話しているのは奇跡が起こっていると錯覚しても良いくらいだ。

 奇跡……はさすがに大袈裟だろうけど、周囲はみんな僕を避けると言うのに、ただ一人だけこうして避ける事無く僕にも接してくれるのだから、余程人当たりが良いのか、それとも変わり者なのか判断は難しい。

「高瀬さんが僕と同じクラスメイトだから、放っておけないって事?」

「あー、初音くん」

「何?」

「私の事、ちゃんと呼び捨てで読んでくれるって前に約束してくれたよね?」

 ……いや、まぁ、そうなんだけど…………その約束をしてからだいぶ久し振りに話したから……さすがに呼び辛い……。

「ふーむ、あれはその場凌ぎの建前だった、のかな? どうしようかなぁ? 約束したのにそんな態度だと……妄想している事ばらしちゃおうかなぁ」

 ぐぬっ、そう来たか……クラスの中では至って普通で至って平凡、人気者でも無く目立つ事も無く、一クラスメイトである彼女はズバッと鋭い事を言って来た。

「初音くん、今、酷い事思ってたでしょ?」

「いや、まったく全然これっぽちも」

「知ってる? 初音くんって、嘘を付く時に分かり易い妙な癖があるんだよ?」

「はははっ、そんな引っ掛けに、僕が引っ掛かるとでも?」

「そしたら、これは知ってるかな? 実は初音くん、自分の心の声を声に出して言ってしまうタイプだって事を?」

「なん……だと?」

「致命的だと思うよー? ちゃんと直さないと」

 マジ、か……この僕がまさか……まさか、内心思った事を知らず知らず発してしまう属性(属性名長っ)、だったなんて…………。

 そんな事、有り得ないだろ……?

 いや……有り得ない事だからこそ、むしろ自覚する事が出来ていないのかもしれない。

「有益な事を教えて上げた私に対する、初音くんの答えを教えて貰おうかな?」

 こんな重大な事を教えてくれたのだから、恩を仇で返すなんて出来無いとは分かってはいても、呼び捨てって難しい。

「気にし過ぎなんじゃないかな? 理由が欲しいならクラスメイトだから、で充分じゃないかな?」

 そうは言うけれど、呼び捨てに出来る程、僕達には接点が今までほぼ無かったのだから……本人から気にするなと言われても、さすがに気にしてしまう。

「えーっと、二年C組、高瀬鈴(たかせすず)、十六歳。好きな事は、読書、散歩。彼氏はいません、募集中です」

 突然始まった自己紹介(だよな?)に僕はどんな言葉を返して良いか分からずその場に固まった。

「初音くん、あのね、『イキナリ何言ってるの』的な目で私を見ないでくれるかな? あ、もしかして妄想モード突入?」

「そんなモードないって!」

「私、また弄ばれたのかと思ったよ」

「またも何も一度も無いんだけどっ!」

「まぁまぁ、今回は無かった事にしてあげるから、ほらほら、自己紹介、初音くんの番だよ」

「前回すら無いのですが……」

 やっぱり自己紹介だった。

 なんなんだ、このノリは……。

「……二年C組、初音七、十六歳。好きな事は……特別これと言って無し」

 厳密に言えばゲームは好きだけれど、高瀬さんはゲームなんて興味無さそうだもんな。

「うわぁ、灰色の学生生活だね」

 ちゃんと色は付いているんですけどっ?!

「初音くん、もう一つ忘れているよ」

「何を?」

「彼女はいるんですかー?」

「いませんが何か? キリッ」

「うわぁ、真っ黒な人生になっちゃったね」

「せめて灰色のままにしておいてっ!」

 どちらかと言うと、僕が弄ばれているような気がする……。

 僕の人生の色の事はさておき、付き合う相手が『彼女』になっている事に、少なからず驚いている。

 見た目が女だってのに、彼女ってさ……どう言う認識になっているんだ?

 さっぱり理解出来ない。

「初音くん、これからは友達としてよろしくお願いします。はい」

 そう言って右手を差し出す高瀬さん……じゃないか、高瀬。

 どうやら握手を求めてるっぽい。

「ほらほら、握手握手。あ、女の子と手を繋ぐ事にドキドキ?」

 なんて鋭い事言ってくるのだろうか……。

「だいじょーぶ、噛み付いたりしないから、ね。ほーら、怖くなーい怖くなーい」

 どんな扱いを受けているのか分からないけれど、半ば開き直って、ガっと彼女の右手を握る。

「うわ、びっくりした」

「……そこ、驚くところ?」

「一気に来たから。もっとこう、そろそろ~っと来るのかなぁって思って」

「これが、僕の、握手だっ」

 恥ずかしさを紛らわせるように、握った手をぶんぶんと上下する。

「わ、わっ、わっ、腕が取れちゃうって。初音くんのが」

「僕のかよっ!」

 どうやらこんな簡単なやり取りで、友達となったらしい僕と高瀬……あぁっ、呼び捨ては難しいなぁっ。

「それなら、僕の事だって呼び捨てでいい」

「んー、やっぱり初音くんは初音くんだけど、呼んで欲しい呼び方でもある? あ、それとも他に別のお願いがあるとか?」

「他にお願い、だってぇ?!」

「初音くんの為だったら、いいよ? 何でも、ね」

「何……でも?!」

 正直何か頼みたいっ!

 やっぱり定番でコスプレかっ?!

 いや、膝枕イベントもありかもっ!

 いやいや、両方合わせてコスプレ膝枕でどおだっ!

 うおう、頼みたいっ!

 頼んでみたいんだけどっ……やっぱり、ダメ、だよね……。

 ここで何かを言ってしまったら、僕は妄想だけでは無いヤツにされてしまうから…………あんな事からそんな事まで、頼みたい事がまだまだオリンポス山ほどあるのにっ!

「……分かった、分かりました、くん付けでいいです」

 とても惜しいが極々普通の、苦渋の決断に至った。

「あれ? くん付けで良いって言うお願いで良いの? 私、初音くんの妄想を現実にされてしまう女の子第一号さんになるかもって思ってたのに」

 高瀬の言う事がどこまで本気なのかは計り知れないが、心の中だけで言わせていただこう。

 やっぱり何かお願いしておけば良かった!

 ちくしょーう!

「いや、そこまで決意しているとは思わなかったからさ」

 あくまでも冷静に答える僕、これはこれで自分に感心してしまう。

「と、言う事は。私の決意を知っていたら、お願いしていたわけだ?」

 その場に屈み、僕を下から見上げる高瀬。

「し、てないっ!」

「本当ー?」

 そんな目で見上げないでくれっ!

「たぶん、しなかったはずっ!」

 そこからさらに近付いて来る高瀬。

「本当にー?」

 女子の上目遣いってある意味、特殊スキルだと僕は思う。

 高瀬のパッチリした大きい目がさらにそれを助長させる。

 かわいいなぁっおいっ!

「……すいません、していたかもしれません」

「あははー、どんなお願いをされていたのか、怖いような興味があるようなー」

「まったく……高瀬の方が僕よりもずっと弄ぶのが上手いじゃないか」

「そんな事ないって。そうだとしたら、相手が初音くんだから、かな」

「何故僕限定?」

「んー、それはねー」

 何、この展開……。

 何、この間……。

 何、このドキドキ……。

 高瀬と接点が何も無かったくせに、妙に期待してしまうじゃないかっ!

「それはね……ひーみーつー」

「お約束!」

「まぁまぁ、今回も秘密って事でね」

「前回なんて存在してないよ! この先もずっと秘密って捉え方も出来てしまう!」

「ダメだよー、初音くん。女の子の秘密を知りたいなんて言ったら」

「だって、それ、気になるし」

「うわー、初音くん、えっち」

「なんで?!」

 どうやら女の子の秘密はえっちらしい。

 この場合、高瀬の秘密はえっちらしい、にしておく。

「その言い方は誤解を招くから、秘密を知る”行為”は、に訂正しておいてね」

「口に出してないのに、心を読まれてる?!」

 おいおい、本当に僕は無意識の内に声として内心思っている事を言ってしまっているんじゃないのか……ちょっぴり不安なんだけど……。

 それはそれとして、やっぱり僕が一方的に弄ばれてる感は、否めない。

「さて、これで初音くんと私は友人になったわけだけれど、何故放課後の教室で一人寂しく溜め息なんてついていたの?」

「一人寂しくは余計だ」

「一人空しく?」

「もう好きにしてくれ…………んっとさ、悩みと言うよりも、聞かせて欲しい事があるんだけどいい?」

 今の自分をどう捉えているのか、聞いておきたいと思う。

 おかしな質問だと思われるだろうけれど、どんな感じなのかハッキリと知っておいて損は無いはず。

「スリーサイズは……秘密、だよ?」

「そうじゃないけど教えてっ!」

 見た目文系美少女だってのに……高瀬、出るとこは大分、凄い……からな。

 それこそ正にオリンポス山、まではさすがに無いが、スケール的にはそんな感じ。

「うわぁ、そんなに分かりやすく私の胸見る人、初めてだよ」

「そんな凄いモノを持っている方が悪いっ!」

「そこ威張って言う所、かなぁ?」

「自覚しろ」

「自覚……はそれなりにしているよ? 視線、感じる事はあるし、それに……肩も凝るから」

「ほほぅ、やっぱり肩凝りって来るものなのか」

 特大メロンを二つ持っている人物が言うと、信憑性が相当増す。

「って、そうじゃないよっ! 僕が聞きたいのは胸のサイズじゃないんだってっ!」

「あれ? いいの?」

「教えてくれるのっ?!」

 論点がまたずれているってのに修正出来んっ!

「じゃあ、特別だからね?」

 そう言って高瀬は僕にピッタリ寄り添って耳元で囁くように告げて来る。

「九十二のGカップ、だよ」

「神様ありがとうっ!」

 片手の指を折り返さなければならないじゃないかっ!

「ちょっ近っ! あ、当たってるってっ! やーらかいのがあたってるよっ?!」

「苦労するんだよ? 近付き過ぎるとこうなっちゃうからね」

 名残惜しいけれど、高瀬は僕から一歩下がって続けて言う。

 もっとピッタリしていて良かったのにっ!

「それで、本当に聞きたい事って言うのは?」

「あ、あぁ、それなんだけどさ……だいぶおかしな事聞くけどさ、率直に答えて欲しい。僕の姿見て、どう思う?」

「んー、本当におかしな質問だね。でも、率直な意見が欲しいって事だから答えてあげると、いつも通り、かな」

「具体的には?」

「いつも通り私が大好きな初音くん」

「はい?」

「私がクラスメイトとして大好きな初音くんって意味、だからね?」

「あぁ、なるほど……クラスメイトとして」

 かなりドキッとしたぞ……けど、クラスメイトってだけの相手に『大好き』って使う言葉、か?

 うーむ、おかしな質問に不思議な答えを返された感がして、いまいち、僕の質問の回答として要領を得ない。

 もう少し詳しく聞いてみようか。

「僕、パッと見、変、じゃない?」

「えっと、どこもおかしなところは無いみたいだよ? 髪、切った……とか?」

 姿が全く別人になったと言うのに、おかしなところは無い、か。

 でも、わざわざ変な質問をして改めて確認をしたのだから、姿の事で気にする必要は、全く無くなったと思ってもいいのかも。

「やっぱり初音くんはいつも通り、変わりなく存在そのものがえっちな初音くんかな。だから気にする必要無いと思うよ?」

「そんなだったらむしろ気にするわっ!」

 高瀬の僕を見た時の反応の事は、後で一応リリカノさんに報告して…………あ……。

「ああああっ!」

「わ、びっくりした。どうしたの?」

「僕、用事があったんだよっ!」

 リリカノさん、待たせっ放しじゃんっ。

「用事って、日課のトレーニングの事?」

「違うけど、あ、れ? 何でその事を?」

 僕は格闘術の卒業認定を終えた後も、一応自分なりにトレーニング……と言っても、感覚を忘れない程度の軽い運動を続けている。

 けど、その事をどうして高瀬が知っているのだろうか?

 誰にも話した覚えは無い……はずなんだけど。

「一学年の時に、初音くんが教えてくれたんだよ? ほら、私がインフルエンザで学校を休んだ時あったでしょ?」

「あ、あぁ……あったなぁ、そんな事…………正直、伝えた事を覚えて無いけど……」

 インフルエンザに掛かった高瀬の為に、担任の先生から高瀬の家にプリントを届けて欲しいって頼まれたんだっけ。

 家の方向が同じだからってさ、普通、異性の家に行かせるか?

 そんな事ばかり考えていたから、、妙に緊張していたのだけはよく覚えているけれど、会話の内容は正直あまり記憶に残っていない。

「トレーニング、自宅の外でしているんだったよね?」

 チート人間の母さんと違って、僕はしっかり続けていかないとグングン能力下降しちゃうだろうし、せっかくあの地獄の特訓をして来たのだから、弱体化だけは避けたい一心で続けている。

「今もお母さんから習っているの?」

「いや、今は一人で独学。それに母さん、仕事で県外へ行っているから今は実質一人暮らしみたいなものなんだよ」

「へぇ、そうなんだ。コッソリ見なければならない動画も、ボリューム大きくして見れて良かったね」

「…………いや、見ないからっ! 僕、紳士だしっ!」

「あはは、その間は……何かなぁ? じゃあ、今回はそう言う事にしてあげる」

 くっ……バレてしまっている…………って、そうじゃなかったよっ!

「ごめん、高瀬、僕人を待たせているんだよ! 急いで行かないといけないっ!」

「そっか、じゃあ、今日はここまで、ね。話せて楽しかった。また良かったら話そ?」

「僕で良ければいつでもっ! それじゃあまたっ!」

 僕は片手をパッと上げて、リュックを手に持ち教室をダッシュで退室した。

 マズイマズイマズイッ!

 リリカノさん待たせたなんて事になったら、何言われるか分からないぞっ!

「急げっ急げっ!」

 そんな事を思いながら生徒玄関へ続く廊下を足早に移動していると、自分に起こったベタな身体変化の設定と被るように、これまたベタな状況下の女子生徒に出くわす。

 その手にはバランス悪く何冊も積み上げた本。

 目の前は見えているから落とすような事は無いはず……なんて事を思った矢先、一番上の本がするっと落下した。

「うおっと」

 落としそうだと思っていた事もあり、僕は落下した本を上手くキャッチする。

「……す、すみません」

「そんなにいっぱいの本、重くない?」

 他者と関わる事が好きでは無いけれど、大変そうだと感じたので、手伝いが必要であれば手伝ってあげようと思い声を掛けてみた。

 おお、今の僕、ごく自然にコミュニケーションを取ったぞっ!

「……図書室までなので、大丈夫です」

 ふむ、それなら本人が言うように大丈夫だろう。

 図書室はここから直ぐだし、僕が敢えて手伝う必要も無さそうだ。

「はい、これね。気を付けて」

「あ、ありがとうございます。本当に助かりました」

 キャッチした本を一番上に重ねて、僕はその場を後にしようとした時、視界の隅に気になる事を捉えた。

「……親指のとこ、血が出てるよ?」

「え……あ、傷口が開いたのだと思います」

 パッと見は大きな傷では無く、出血も滲み出している程度。

「……さっき本のページで切ってしまったんです。すぐ止まると思うので、気になさらないでください」

 親切だって相手によっては余計な事、になる場合もあるのだから放って置く事を考える……けれど、怪我をしていると言うのに何もしないってのも気が引けるわけで。

「重いところ悪いけれど、親指だけちょっと立ててくれる?」

「……え?」

「無理?」

「……え、えっと……こう、でしょうか?」

「うん、そうそう」

 僕はスカートのポケットから赤青チェック柄のハンカチを出して、出血している親指から手首に掛けて巻いてから軽く結ぶ。

「うーん、かなり大袈裟に見えるけど後で保健室でも行ってさ、ちゃんと消毒しなよ」

「あ、あのっ」

「そのハンカチは一応洗ってあるけど、念の為って事で。ハンカチは返さなくても捨ててくれても問題無いから。それじゃあ、僕はこれで」

 強引にでも手伝っておけばフラグが立って、何かすらのイベントに発展……は、しないだろう。

 イベントなんて、リアルじゃ早々起こらないモノだから。

 それに小さな親切大きなお世話、になるとも限らない。

 これ以上は関わらないように僕は大して気にも留めず、そのまま生徒玄関に到着。

「……遅いわよ」

「ひぃっごめんなさいっ! クラスメイトと話し込んでしまいましたっ!」

「友達がいない寂しさを、架空の友達で紛らわせていたのね。とても可愛そうだから、許してあげるわ」

「架空じゃないですからっ、ちゃんと存在してますよっ!」

 良い意味でも悪い意味でも、どちらの意味でも目立たない高瀬だけれど、僕と違いクラスの一員として周囲からはちゃんと認識されている。

僕なんていてもいなくても……いや、いなくても良い存在であり、存在するポジションなんて与えられていないだろうから、目立つ存在では無くても、ちゃんとクラスメイトとして周囲から認知されているのだから、正直そんな高瀬が少しは羨ましいと思う。

「あら? 話す相手がちゃんといるじゃないの」

「あーんー……今回はたまたま、ですよ。ほとんど話した事は無い相手ですから」

 本当にたまたま、その通りだと思う。

 ちょうど放課後、僕が一人だったから高瀬は話し掛けて来たのだろう。

 もし違うクラスメイトが一人でいたら、そのクラスメイト相手に話し掛けていたのでは無いだろうか。

 だから、本当にたまたまで、わざわざ気を遣ってくれたのかもしれない。

 高瀬なら悪い噂ばかりが広まっている僕に話し掛けたとしても、何らかのリスクが発生する事はたぶん無い。

 至って普通で至って平凡な、一クラスメイトだから。

 別に僕は高瀬を貶しているわけでは無い。

 どんな理由で目立つ事になっていたとしても、一つ一つの行動ですら注目を浴び、過ごし難くなる。

 だからこそ、普通で平凡、一クラスメイトと感じる存在はとても良いポジションなんじゃないかって、僕個人としては思う。

「全く散々待たされて、暇だったから五回もしてしまったでしょう。自慰を」

「ふぁっ!」

 斜め上を行き過ぎるリリカノさんの発言に、ツッコミを入れる言葉が見付からない。

「手がびしょびしょになってしまったわ」

「だーっ! そう言う事言っちゃダメですってっ!」

「イったのは三回よ」

「リアル過ぎるっ!」

 顔色一つ変えずにお澄まし顔で、よくそんな発言が出来るものだ…………これが、社会人パワー、なのか……?

「はい、これ」

「あ……僕の外履き……と内履き」

「必要でしょう? サイズが合わなくなったと言っても、元に戻れば使えるのだから」

「ちょうど良かった、保健室へ取りに行こうと思っていたんです」

「すれ違いにならなくて良かったわ。あなた、家の方向は?」

「えっと、大雑把に言えば向こう側です」

 靴を入れておくロッカーへ元々の内履きと、リリカノさんから貰った今の内履きを入れる。

 下駄箱にしては案外スペースは広いから、一足増えた所でどうって事は無い。

 そして揃って校門を後にして、ようやく帰宅する事になったのだけれど……。

 ガッポガッポガッポ。

「歩き難い……」

「明日もし初音さんが無事でいたら、靴は換えの物を上げるから今は我慢なさい」

「えと、どう言う意味、ですか?」

「前例者は全員、危害を加えられ入院を余儀なくされているの。だから、あなたも例外じゃなければ、私が用意する必要は無いし、無害で無事に迎えたと言うならば、私にも責任が少しはあるから、制服と同じで靴も用意してあげると言っているのよ」

 用意して貰えるのは助かるけれど……。

「リリカノさんのせいって?」

 どう言う事?

 リリカノさんが、この呪いの発動に関係しているって事?

「そうね、少し長くなりそうだから、あなたの家に行きましょう。夕飯も近いだろうし、好きなモノをデリバリーしなさい」

「えっええええっ?!」

「そんなに驚く必要も無いじゃないの。お金ならいくらでもあるから問題は無いわ」

「そうじゃなくて……家、僕一人だけ、ですよ? 今、家族は仕事の都合でいなくて、その、実質一人暮らしみたいなものだから二人っきりになる……し」

「別にいいじゃない。万が一あなたが私を襲ったとしても、今はその姿なのだから、私のXXXへ入れられるモノが無いでしょう?」

「だーはっ! 女の子なんですからそう言う言葉禁止っ!」

 確かに……リリカノさんの言っている事は一理ある。

 無くなっちゃった……んだもんなぁ……いや、襲わないけどさ。

「あなた、このままだと処女喪失の方が早いんじゃ?」

「嫌過ぎるっ!」

「とにかく、初音さんの家に案内して」

 リリカノさんの事を思って気を遣っているっていうのに、当の本人はどうでも良さそうな態度なんだもん……調子狂うなぁ。

「あぁ、そうだ、初音さん。呪いの名前くらいは先に教えておくわね」

「名前なんてあるんですか?」

「ええ、一応文献もあるから。そっちの内容は後で話してあげる事にして、呪いの名前だけれど、レーデンヤの呪術式、と言うの」

「何処の国の言葉なんですっ?! 意味が分からないから余計に怖いっ!」

「さぁ、何処の国の言葉なんでしょうね。呪術式の部分は呪術文字で記載されていたから分かるとしても、レーデンヤの部分は呪術文字でも、レーデンヤとしか読めないのよ。訳す意味が無いの、レーデンヤ、と言う単語になっているから。何処かの国、特有の言葉なのかしら」

 重体者を何人も出しているレーデンヤの呪術式…………いったい前例者はどんな目に遭ったのだろうか…………。

 このままだと、僕も同じ目に遭ってしまう……リリカノさんの話しをよく聞いておかなくてはいけない……意識不明の入院なんて、さすがにしたいとは思わない……最悪死亡とか尚更ゴメンだ。

 まだまだやりたい事はあれこれある……主に、MAG関係だけどさ。

 リリカノさんと歩く事十五分程で、僕の家に到着。

 家に着くまでの間、事の始まりと、リリカノさん自身がどうして呪いに掛かってしまったのかを教えて貰った。

 簡単にまとめるとこう言う事になる。

 学校が春休みの時、先生達が古くなった物置小屋を新設する為、小屋の清掃を行ったそうだ。

 その時に、たくさんのガラクタの中から、一つの箱と、その箱に縛り付けられた書物を発見。

 中を確認する為にとりあえず箱を開けた所、箱の中にはどう考えて入り切らない無色透明な液体がどんどん溢れ出したと言う。

 その液体は不思議な事に、アスファルトの上に流れ落ちたのにも関わらず、水滴一滴残さないままアスファルトに吸い込まれて消えたらしい。

 書物を見れば、全く読めない文字が数行記載されているばかりで、さすがに不安を覚えた先生の内の一人が、写真に取って、自分の知り合い、その知り合いの知り合い、そのまた知り合いと方々に当たった結果、呪術文字だと判明した。

『レーデンヤの呪術式 この呪術がその地場内に蔓延した時、人間同士が殺戮し合う事になる』

 記載内容が大袈裟過ぎていたずらだろうとは思ったけれど、液体の事も不可解だったので不安が拭い切れ無い学校側は、呪術に詳しい人物を春休み返上で探し始めた。

 でも、なかなか見付からず、ようやく見付かった人物は中途半端に呪術解除を試みて上手く行かないと分かった途端、逃げたとの事。

 学校は余計心配になり海外も視野に入れて、ようやくリリカノさんへと行き着いた。

「それで今度はリリカノさんが解除を? はい、スリッパです」

「ありがとう。お邪魔します」

 リリカノさんはスリッパへと履き替え、脱いだ靴を揃える。

 うーん、揃える姿が凄く様になっているよなぁ……動きの一つ一つが華麗と言うか、鮮やかと言うか…………十六歳にして、そこまでの事を思わせる人間なんて、そう簡単にいないぞ……背はすっごい低いけどさ。

「リビングでいいですか?」

「ええ、何処でも構わないわ」

 リリカノさんをリビングへ案内し。

「……お茶、飲みます?」

「お構いなく」

「あ、すいません……少し言い方が悪かったかも。日本茶なんて、飲みますか?」

 日本人じゃないのだから、渋い味のお茶が口に合うかどうか。

「大丈夫よ。私は好きだから」

「そうですか、じゃあ、あったかいの用意しますね」

 ちなみに夕食は、コンビニ食で合意となりました。

「初音さん、先程の続きだけれど、私は解除をしたわけでは無いのよ。呪いを緩和しただけ」

「そう、なんですか? 適当に座っててください」

 僕はお湯を入れた湯飲みを二つ持って、リリカノさんが座っているソファーの向かい側へ座る。

「はい、お湯です。これ使って自分で濃さを調整してください」

「ありがとう」

 そうしてリリカノさんは、湯飲みにティーバッグを数回浸してからお茶を飲む。

「何かしら?」

「……いや、全然似合わないと思って」

 湯のみプラスピンクブロンド幼女の組み合わせが、ここまで絵にならないとは。

「そう言うあなただって大して似合ってはいないわよ」

「……リリカノさんよりはまだ」

 と言ったところで、リリカノさんは手鏡を制服のポケットから取り出して、僕の姿が見えるように鏡面を向ける。

「……おっしゃるとおりでした」

 湯のみプラス幼女イコール似合わない、との方程式確立。

「そう言えば、リリカノさんって僕の元の姿知らないですよね?」

「いいえ、知っているわ。発見した時はまだ、元の姿だったから」

「そう、なんですか? よく保健室まで運べましたね……」

 身長は一メートル七十を少し超えるくらい、体重は六十キロも無いような体型だけれど、リリカノさんの体躯ではどう頑張っても運べない。

「台車に載せて運んだの。ほとんどはみ出していたから、頭部を引き摺ってしまったわ」

「もっと優しく運んでくださいよっ!」

「冗談よ。男の先生に頼んで運んで貰ったの」

「そ、そうですか……」

 何となく台車でも良かった気がしないでも無い。

「初音さん、話を戻すけれど、私は呪いを緩和しただけなの。地場内に呪術が蔓延しても、人間同士で殺戮し合わない為の緩和よ」

「緩和しなかったらどうなっていたんでしょう……?」

「学園内は正に殺戮場になっていたんじゃないかしら? 相当強力よ、あれは。緩和する事に手を出しただけで、私はこんな姿にされてしまったわけだから」

「……元々小さいわけじゃないんですね?」

「当たり前でしょう?」

 そ、それもそうか……小さいくせに胸は普通にあるわけだし……。

「あの、どうして解除しなかったんですか?」

「出来ないのよ、もうすでに呪いは発呪してしまったから」

「えぇっと……発呪してしまうと、呪いってのは解除が不可能って事?」

「いいえ、呪いの種類にもよるわね。だた、レーデンヤの呪術式の場合、発呪後の解除は不可能で、緩和する以外の方法は無かったの」

「……解除出来無いとか緩和するしか無いなんて、よく分かりますね」

「言ったでしょう? 文献もあったと。そこへ記載されていたの。もし、解除を一気に行ってしまえば、事態は悪化する、と。言葉を読み解けば、緩和は大丈夫、と言うわけ」

「……その記載そのものが嘘だったら? もしかしたら、一気に解除出来るって考えもあるのでは?」

「そうだとしても、人命に関わりそうだから安易に試すなんて事出来無いわ。私に一切の責任は無い、と言う事であれば、試してあげるけれど、こうして呼ばれたからには、危険な手段は取れないの。納得出来るかしら?」

「あ、あぁ、はい……分かりました」

 事態が悪化するかもしれないから出来無いってわけで、リリカノさんは、一気に解除しようと思えば出来るって事かな?

 僕が思ってるよりも遥かに凄い人、なのかもしれない…………見た目は幼女なのに、と言っても、緩和のせいで幼女スタイルなんだから、本当にこの呪いは強力なのだろう。

「けれど誤算だったのは、これが段階呪術式だった事ね」

「段階……呪術式?」

「何か事を起こすと、少しずつその呪いの全容が明らかになって行く仕組み。見てくれるかしら、これを」

 リリカノさんは自分の鞄から、赤茶けて今にも崩れ落ちそうな書類を僕に見せる。

「それ……例の文献ですか?」

「ええ、そう。一番最初は、表紙に呪術の名前と、簡単な効果が記載されていただけだったのよ。そして、ここへ来る前に話した液体。その液体が溢れ出した後に、次のページへ、解除を行った場合は、事態が悪化するとの警告。そして、緩和した後から付け加えられたのがここ」

 ぐにゃぐにゃの文字が落書きのように記載されているだけで、さっぱり理解不能。

「緩和した者、詰まり私への警告ね。そして、次に出現したのがその下。前例者がどのように発見されてしまうかが、書かれているわ」

 うん、本当に全然読めない……こんなのが字、だなんて……。

「こうして、何か事が起こる度、文献に文字が浮かび上がって来て、少しずつ全容が明らかになる呪術を、段階呪術式と呼ぶの」

「……また厄介ですね」

「その通り。何か事を起こさない限り、先が見通せないのだから。それに事が起これば必ず、次の何かが浮かび上がるわけでも無いのよ」

「なんて理不尽な……」

「呪いだから理不尽で当たり前。辻褄や理屈、脈絡なんてお構い無しなの。今後何か自分の周りで、現実では有り得ない事、説明が出来無いような事、考えられない事が起こった場合、呪術式のせいだと思いなさい」

 辻褄や理屈が通らない理不尽なモノだからこそ、”呪い”なんて言葉が生まれたんだろうから、どんなに想像を絶する事が起こっても不思議じゃないし、それこそ当たり前で本来の事象って事になる。

 この事を意識していたとしも、果たして呪いがもたらす現象に、僕は冷静でいられるだろうか……不安しか無い。

「……リリカノさん、完全に尻拭いじゃないですか。よく引き受ける気になりましたね」

「仕方無いでしょう。学校側が本当に困っている、と言うのだから。さ、大筋の概要は分かったでしょうから、今後の話をするわ。心して聞いて」

「お、お願いします……」

 ここからが一番重要な事だから、しっかりと聞く事にしよう。

 リリカノさんの言う通りにすれば、大丈夫、絶対元に戻る、と信じて。

「実の所、今後の対策は何も無いの」

「はい?」

 一瞬、自分の耳を疑った……対策が無いって……どゆこと……?

「前例者は全員、無害のまま無事を迎えた者はいないのよ。おかげで文献に記載は増えていない。だから、呪術式の事態が起こり無事に乗り越えた時、ようやく何かが掴めるのではないかと、私は思っている」

「……現状、打つ手無し、って事……ですか?」

「そうなるわね。初音さん、テレビを貸して貰えるかしら? 前任者が前例者の部屋を録画したデーターを学校側から預かったの」

 リリカノさんは自分の鞄からタブレットを取り出して、リビングのテレビへと接続する。

「今回の私と初音さんのように、運良く前任者も前例者が呪術に掛かったその日に会う事が出来たらしくて、前例者の協力を得て、部屋の中をずっと無線カメラで録画した記録みたいね」

 テレビの画面には何の前触れも無く、前例者の部屋であろう画面が再生され始めた。

「あれ? これ、前例者の人……なんですよね?」

「そうよ」

 映し出されたのは顔も知らない男子生徒。

「あの、呪術に掛かったのに性別が変わっていないんですか? ん? あ、それとも、元は女子生徒? にしては、身長が僕みたいに低く無いし……」

 どうなってるんだ?

「あぁ、帰っている時に言い掛けたけれど、呪術式とあなたの変化には直接の関係は無いの。足元から来た電撃があったでしょう? あれは、私が施した目印だもの」

「え……?」

 理解が追いつかず、僕は固まってしまう。

「呪術式に掛かった人間が校門を通り過ぎようとすると、足元から電撃が走るように仕込んでおいたのよ」

「ええええっ?! もっと穏便に出来なかったんですか?!」

「手っ取り早いじゃない。気絶させてしまえば、逃げられる事も無いのだから。ただ、思いも寄らなかった事に、保健室に運び込んで間も無く性別が変わった事ね」

「……どう言う事、です?」

「呪術式に掛かった人間へ反応をする電撃も、一種の呪術なのだけれど、どうやら呪術干渉を引き起こしてしまい性別が変化した上に身長まで低くなってしまった、と言う事」

「酷いですよぉっ! 理不尽だぁぁぁぁぁあっ!」

「仕方無いでしょう、呪いなのだから」

「リリカノさんのやり方が理不尽だと言っているんですっ!」

「やり方? まだ処女の私にやり方がどうの何て言われたって、理解出来ないわ」

「論点をずらさないでくださいっ!」

 てっきり女体化もレーデンヤの呪術式のせいだと思ってたのに、まさか、原因がリリカノさんだったなんて……いや、でも……待てよ。

「そしたら、こっちは戻せるって事なんじゃ?」

 リリカノさんが掛けたモノとなれば、その本人がいるわけだし性別変化の類は解除が出来るのかも。

「今伝えたように、レーデンヤの呪術式と干渉し合った影響で今は戻せないわね」

 顔色一つ変えず、驚愕の事実を原因の本人から教えられる。

「…………あの、まさか、一生このままって事じゃない、ですよね?」

 凄く不安だ。

 今後もずっとこの姿、なんて事になったら……本当に処女喪失の方が早く訪れる日が来てしまうかもしれない…………。

 いや、別に僕が受け入れたからってわけじゃないよ?

 強引に迫られたとかさ、襲われたとかさ、そんな事になってしまったらって事。

「それは無いわ。レーデンヤの呪術式さえ解除出来れば、干渉が無くなるもの」

「ほ、本当……ですか?」

「ええ、それは保証して上げる」

「……何が何でも僕はレーデンヤの呪術式を解除しなくちゃならないって事ですね」

「そう言う事だから、今は大人しく映像に集中しなさい」

 う、うんー、何だか腑に落ちないけれど、とりあえず映像を見る事にしよう。

「この男子生徒、今も残念ながら病院で入院しているわ。ここから一時間程、何も起こらないから早送りするわね」

 早送りの最中で、前例者が電気を消し就寝に入る。

 再生画面に表示されている時間は、夜零時前。

「さて、今から映像に変化が始まるから、画面をよく見ていなさい」

 リリカノさんに言われたように、画面をジッと見る。

 非常灯が点いているので、部屋の中はぼんやりと薄暗い橙色だけれど、見えない事は無い。

 変化が訪れたのは、それから五分が経過した後だった…………。

 キィ。

 小さな音と共に、ゆっくりと、本当にゆっくり、集中して見ていなければ分からないくらいの遅さで、前例者の部屋のドアが開いて行く。

「……?」

 開け放たれたドアから…………誰か入って来た……?

 一歩ずつ、じっくり……時間を掛けて、前例者の部屋の中へと入って来る。

 ベッドの中で眠っている前例者に変化は見られない。

 家族……?

「でも…………な、んで、あんな時間に制服を?」

 再生画面のタイムカウンターは深夜を過ぎている。

 入って来た人物は、僕の通っている学校の女子用指定制服を着たショートカットの女子。

「調べたのだけれど、家族でも友人でも、クラスメイトでも無い事が分かったわ。ただ同じ学校の生徒だって言うだけ、過去に至っても二人に共通点はほぼ皆無。言ってみれば他人も同然よ」

「……そんな子がなんで他人の家なんかに」

 そしてその女子生徒は、前例者のベッド……頭のある方へ、部屋の中を滑っているような遅い動作のまま、移動して行く。

「何を、しているんでしょうか……」

 移動した先で立ち止まり、前例者の顔を覗き込むわけでも無く正面を向いた状態で、微動だにせずただただ佇む赤の他人だと言う女子生徒。

「彼女、そのまま一時間程、ずっとその位置で立っているのよ」

 リリカノさんがビデオを早送りする。

 カウントのタイムが十分、二十分、三十分と増えていくのに、女子生徒はその場で立ち尽くしたまま動かない。

 眠っている前例者も、まさか自分の寝ている頭の上で、全く知りもしない、関係性も無い人間が佇んでいるなんて思いもしないだろう。

 前例者を見下ろすわけでも無く、何もしない……そんな状況が返って僕の背筋をゾワゾワさせて来る。

 これが実際起こった事実って言うのだから、恐怖どころか狂気と言ってもいい程だ。

 どう見たって異常な行動……普通の人間が取れるような行動では無い。

「そして、一時間後、彼女は想像も出来無いような行動を取った」

 本当に動かないまま一時間が過ぎ、通常再生画面内の女子生徒は、コマ送りのような動きで自分のスカートに手を入れて…………。

 おいおい、本気、かよ……?!

「っ?!」

 ゴガンッ!

 ゴガンッ!

 ゴガンッ!

 彼女は制服のスカートから、黒光りするハンマーを取り出し、躊躇い無く前例者の頭を目掛けて思いっきり振り下ろした。

『くくっ、ふふふっ、アハハハ、キャハハハハハ』

 笑ってるっ?!

 ハッキリとは見えないけれど、口を横に広げて、愉しそうに笑っているっ!

 尋常じゃない……絶対、狂っているっ!

「ちょっ、リリカノさんっ、これどうなってるんですか?!」

「完全に壊れているわね」

 リリカノさんが言う壊れているの意味は、前例者の事でも、前例者のベッドの事でも無く、彼女へ向けて言い放たれている。

「正気の沙汰とは思えないですよっ?!」

「ええ、彼女もまた呪術式の被害に遭っている一人ですもの」

 ゴガンッ!

 ゴガンッ!

 ゴガンッ!

 耳障りな音。

『キャハハハハハ』

 耳障りな笑い声。

 ドキュメンタリー風ホラー映画の場面を見ていると錯覚してしまうような、恐ろしい光景が、リアルで繰り広げられている事に僕は心底恐怖を感じた……それなのに、そんな異質な状況がむしろ目を放させてくれない。

「なんで……ベッド?」

 最初見た時は、前例者の頭を目掛けて打ち下ろしたのだとばかり思ったけれど、彼女は前例者の頭のすぐ横を、取り出したハンマーで何度も打ち続けている。

 そして……。

「え……?」

 つい今ままで、背筋が冷えるような笑顔でハンマーを打ち続けていた彼女の動きが、ピタリと止まった。

「……?」

 ゴドンッ!

 彼女は何もしていない、ただ立ち尽くしていたと言うのに、その目の前で、前例者の身体が一度、大きくビクンと跳ね上がる。

「リ……リリカノさん…………寝ている頭の周り……色がおかしくない、ですか……?」

「何かすらに頭を殴られたのでしょうね。彼は今、生きてはいるけれど、意識は戻っていない。他の前例者も同じような状態で生かさず殺さず、絶妙な加減で殴打されてしまったと考えられるわ」

「で、でもっ、どうしていきなり?! だってこの映像の女子生徒は何もしていなかったっ、なのに……人があんな飛び上がるような衝撃、誰が加えたんですかっ?!」

 おかしいっ!

 おかしいだろっ、この映像っ!

 彼女は全く彼に触れていない……それなのに、何で、あんな……見る見るうちにシーツの色が変色して行く程の衝撃が加わったって言うんだっ?!

 そもそも、彼女はいったい何をしに部屋に来たんだよっ!

『あーぁ、逃げられなかったんだね。くす、まだ生きてはいるみたいだし、救急車だけは呼んであげるから、運が良ければ死なずに済むかもねぇっキャハハハハハハ』

 そう言った彼女は口元を歪め、愉しそうに、嬉しそうに、悦びに満ち満ちた笑顔を浮かべて、無残な姿になっている男子生徒を間近に覗き込んでから、全く気に掛ける様子も無く部屋から出て行った。

「この後、本当に救急車が来て、彼を運んで行った」

 リリカノさんは映像を停止して、片付けて行く。

「……リリカノさん、この女子生徒今はどうしているんですか?」

「普段通り登校していたわ。映像に日付も入っていたから、その日のその時間、何をしていたのか問い質したけれど、本人は寝ていた事しか記憶無いみたい」

 そ、んな……こんな事していたってのに記憶に無い、だなんて。 

「あ、じゃあ、この映像を見せてみたらどうですか? 少しは反応が変わるかも」

「止めておいたほうが懸命ね。見せた後、彼女の身に何も起きない事がゼロだとは言い切れ無いもの。呪いの影響がって事だけれど、理解出来ているかしら?」

「え、あぁ……はい…………」

 今、彼女の身には何も起きていないのに、この映像を見せた事がトリガーとなり、呪いの影響が出てしまうかもしれない、そうリリカノさんは言っているのだろう。

「け、警察には見せたんですか……?」

「こんな映像を見せたところで、何処まで信じ切る事が出来る? 今時これくらいの事なら、少し努力するだけで誰もが作れる事じゃない」

「そう……ですけど、少なくとも、何かの手掛かりに出来るんじゃ……?」

 だって、前例者は今も意識不明で入院しているんだ……それなら、この映像から掴める事があっていいと思う。

「私やあなたは呪術に掛かった影響もあって、これが呪術の成した事だと思えるけれど、影響を受けていない人間は、呪いの仕業だ、なんて思わないでしょうね。先にも言ったけれど、警察はすでに怨恨の線で結論を出しているのよ? こんなものを公開してみなさい。公開した私達が捜査妨害で警察の厄介になってしまうわ」

「…………う、ん。それは……分かりますけど……。じゃ、じゃあ、先生達は? 大人が加わればちょっとくらい」

「無理なのよ。今あの学校の中で呪術が発呪している事は、誰も知らないの」

「……どう言う、事ですか?」

 発見したのも、目の前で箱の中から溢れた液体が吸い込まれたのを見たのも、前任者やリリカノさんに頼んだ事も、全部先生の内の誰かなのに、誰も知らないって……そんなバカな。

「私があの学校へ到着して間も無くの事よ。溢れた液体、あれが、完全に学校一帯の地場に巡った。その影響によって、レーデンヤの呪術式に関する事を誰もが一切覚えていないわ」

 僕とリリカノさんは現状呪術に翻弄される側だから、記憶は無くならないとリリカノさんは付け加える。

「そんな……そんなのって、都合良過ぎじゃないですか…………」

「言ったでしょう? 呪いなんて辻褄や理屈、脈絡なんてお構いなしだと」

 どう考えたって、一方的に呪術の方が有利じゃないか……こんなのに、抗う事なんて可能なのか?

 前例者のように、僕も結局、あの映像のように危害を加えられてしまう……のか?

「呪術式を最善で解除出来るとすれば、方法は一つ。レーデンヤの呪術式に打ち勝つ事だけ。もし、あなたも前例者のような事態になってしまったら、呪術に抗い負けた事になって呪いから解放はされる。解放されれば干渉も消失するだろうから、姿も元に戻るでしょうね。意識不明で入院は免れ無いでしょうけれど。もちろん、呪術式の記憶は綺麗サッパリ無くなるわ」

「その後は、どうなっちゃうんでしょうか……?」

「分からない。ずっと意識が戻らず眠り続けてしまうのか、容態が悪化してしまい死亡してしまうのか、意識を取り戻し普通に生活出来る状態まで回復するのか。私には検討も付かないわ」

 どうしよう……どうしたら、いんだろう……?

 この先何が起こるか分からないのに、呪いに抗い勝つ事なんて可能なのかな……?

 そもそも、抗えるような事態になるんだろうか?

 有無を言わさず、危害を加えられたって事も考えられる…………。

「初音さん、悪いと思っている。私自身が影響を受ければ良かったのだけれど、私にはこの身体以外は何事も起こらないの」

「……あの、どうしてリリカノさんには身体以外に何事も無いんですか?」

 同じレーデンヤの呪術式のはずなんだから、リリカノさんにも何かすら起こるモノなんじゃ?

「私の場合は、緩和したせいで呪いに掛かってしまっただけの事。呪術式の本来の対象者は、あの学校の地場内、領域の中の人物に対してなのよ」

「学校の領域?」

「ええ、分かり易く言えば、学校の関係者でしょうね。職員と生徒、常にあの場へ出入りしている人間が対象。私のように、元々部外者だったり、ほとんどあの学校へ足を踏み入れない人間は対象外。そう考えて間違い無いでしょう」

 そうなると……先生と生徒、後は、管理人の人、くらいだろうか?

「そ、うですか…………リリカノさんが悪いわけじゃ無いですから、気にしないでください」

 そう、リリカノさんは全然悪く無い。

「せめて次の記載が増えてくれたら、私にも何かすら対処方法を考えられると思う。それが出来無いこの状況では……私は役立たずのいなくてもいい存在よ」

 わざわざ外国からやって来て、緩和する必要だって無かったのに緩和して、その挙げ句自分も呪いのせいで小さくなってしまったのだから、リリカノさんは巻き込まれた被害者だ。

 だから、リリカノさんは一切悪く無い、むしろ、こうしてまだ何とかしたいと考えているのだから、感謝するべきだ。

「今日一日、私が残ってあなたの様子を見ていましょうか?」

 それは、確かに心強い…………けれど……記録の中の前例者は突然何かすらの危害を加えられていた。

 あれでは誰が残っていたって、防ぎようは無い……それに。

「僕の傍にいたせいで、リリカノさんまで危害を加えられる事だって考えられるじゃないですか。辻褄や理屈なんてお構いなし、なんですよね、呪いってのは……」

「ええ」

 正直、心細いけれど、僕がもし抗えなかった場合、そしてそれと一緒にリリカノさんまで危害を加えられてしまったら、今後、新たに呪術の対象となった誰かが一方的に打ち負けてしまう事になる。

 けれど、リリカノさんがいてくれたら、説明をして貰う事が可能だ……何も知らないまま呪術式に翻弄されるよりはきっと良いと思う。

「だから、リリカノさんは一度帰って下さい」

「本当にいいのね?」

「はい」

 何が起こるか何も分からないけれど、僕に出来る事は、これから起こる事にどうにかして抗う事しか残されていない。

「分かった。それなら今見せた映像から、私の見解を言うけれど、あくまでも参考程度に聞いて。今日、これから数時間の間に必ず何かすらの事態が起こる。そしてたぶん、この呪術式は追跡者と呼ばれる者に悪夢の世界で危害を加えられてしまうパターンだと考えられるわ」

「……呪いの知識は全く無いですけど、被害者に起こった事を考えれば、素人の僕でもそうなんじゃないかって思います。けど、その何者かってのは?」

「こればかりは分からない。呪いの世界には同じような事象がいくらでも存在するから。人型であったり、動物型であったり、はまたま全く予想も付かないような怪異だったり。それを総称して追跡者と呼んでいるのよ。この追跡者から逃げ切るか、悪夢の世界から脱出するか、恐らくどちらかを成し遂げれば文献に記載が、と私は思っている。けれど、それは私の見解だから、全面的に当てにしてはダメなのよ」

「リリカノさんの見立てでいいので、何割くらい当てに出来そうですか?」

「良くて七割くらい」

 少し不安な割り合い、か。

 でも、気に留めておく分には悪く無い感じがする。

「案外落ち着いているのね?」

「そ、んな事は無いですよ……正直、怖いですし……」

 悪夢の世界ってところから脱出するだけって言うならまだしも、追跡者と呼ばれているいかにも危険な呼び名の何者かから、逃げなくてはならないとなれば、さすがに強がりを言う余裕は正直無いと言っていい。

 でも、呪いに掛かってしまったわけだから、呪いの事象から逃げるにしても逃げられない状況なのも確かだ。

 そうとなれば、覚悟を決めようと決めまいと、やりたくなくてもやるしか無い……。

「追跡者ってのを倒す……事もアリ、なんですか?」

「止めておきなさい。出来る限り……いえ、出来る限りでは無く、遭遇したらまず逃げなさい。命を無駄にしているようなモノだから」

 となると、脱出する事を優先して行動する、べきか。

「リリカノさん、脱出方法に決まりなんてあったりしますか?」

「いえ、ハッキリと決まっていないと考えて……初音さん、本当にごめんなさい。役に立つような事を何も言えなくて…………」

 その通りと言えば、そうなってしまう……けど。

「何も知らないまま、よりはだいぶマシですから……気にしないでください」

 とは言ったものの、物凄く不安。

 追跡者ってヤツには少しくらい抗えるとは思うけれど、呪術の知識がゼロだから……あるとしても、ゲームやアニメ、ホラー映画の知識くらいだし。

 持っているそれらの知識のセオリーが通用すれば、まだ少しは光明が見える……まぁ期待は薄い、だろうけど…………やるしかない、よな。

 その後、リリカノさんとの話しが一区切りして、すっかり冷め切ったお茶を淹れ直し、リリカノさんとコンビニで買って来た夕飯を食べ終わる頃、夕飯に手を付ける前に呼んだタクシーが家に到着した。

 リリカノさんを玄関で見送る事にする。

「あなたが無事に明日、私と会えたのなら、あなたにも報酬を分けてあげる」

「報酬、ですか?」

「ええ、慈善事業じゃ無いから、報酬を前金で半分、五百万頂いているわ」

「前金で五百万っ?!」

「山分けで宜しいかしら?」

「いい、いいですってっ! 報酬なんて貰わなくていいですからっ!」

 これは本心。

 僕が解除するわけじゃ無いのだから、リリカノさんの報酬を貰うわけには行かない。

 しかも大金……嬉しい気持ちなんて湧き上がって来ない……むしろ怖い。

「何でも好きな物が買えるわよ?」

「それはそうですけど、本当に報酬は要らないですから、その代わりに、僕がもし……前例者と同じように抗い負けた時、次の誰かの為に、説明だけはして上げてください。何も知らないよりも知っていた方が少しは納得も行きますから……」

 納得、か…………正直、あまりの理不尽さに納得なんて出来無いけれど、何も知らないまま危害を加えられるよりは、たぶんマシ……だと思う。

「初音さん、ちょっといいかしら?」

 そう言ってリリカノさんは僕を手招きする。

「何ですか?」

「もっと屈んで。視線を合わせるように」

「はい? こう、ですか?」

「ええ、そのままジッとしていなさいな」

 何だ?

 リリカノさんはいったい何をしようと。

「ちゅっ」

「んぐ?!」

「んっ……ちゅ……っ」

 ななななななななっ!

「んんむっ!」

「ちゅく……んっ…………」

 ど、どうして、イキナリキスをっ?!

「ん……ちゅっぱ……」

「リッリリカノさんっ、いいいったい何をっ?!」

「キスよ」

「それは分かってますっ、何故、キスなんてしたんですか?!」

 僕、動揺。

 心臓、バックバク。

 頭の中、フワフワ夢心地。

 キスって……こんなに気持ち良かったのか…………リリカノさんの舌、柔らかくて弾力があって、うあああぁぁぁぁ。

「嫌だったかしら?」

「嫌とか良かったとか、そう言う事じゃなくて、ですねっ」

 身体全体が熱いっ!

 風邪で高熱が出たような熱さ!

 ななななんで、こんな事に?!

 どうしてっ?!

「嬉しくなかったのなら謝るわ。ご免なさい、勝手な事をして」

「う、うう、嬉しいに決まってるじゃないですかっ! 謝らないで下さいよっ!」

 僕は思った事をそのまま口に出してしまう。

「そ、そのっ、何て言うか、えっと……気持ち良かった……って、あぁっ! 何言ってるんだ、僕はっ!」

「私からのおまじない、激励だと思って頑張りなさい。初音さん、最初から諦めてはダメよ。絶対に負けない、そう思う気持ちが呪いに抗い勝つ事だってあるのだから、馬鹿な事を言わないで。私が日本に来てからあなたが最初の対象者なの。数時間前に会ったばかりだけれど、それでも、私はあなたに怪我なんてして欲しくないわ」

「……リリカノさん」

「私には……今は、キスくらいしかして上げられない。文献に記載が増えたら、出来る限りの事を全力でして、呪術式から完全に解放して上げる」

 そう淡々と告げるお澄まし顔のリリカノさんだけれど、僕に向ける視線は真剣そのもので、嘘や冗談を言っているようには、微塵も感じられない。

 僕が頑張れば、文献に何かすら記載が増える……そしたら、リリカノさんも行動を起こせる……リリカノさんが行動を起こせたら、きっと、呪術式に抗い勝つ事が出来るはず。

「だから、次の誰かへ説明を、と言うあなたの願いは聞かない、聞いてあげない」

「…………」

「友達は、あなただけで……充分ですもの」

 そう言ったリリカノさんは、出会ってから初めてみる穏やかな笑顔を向けている。

「そう、ですか……じゃあ、僕……頑張らなくちゃいけませんね」

「ええ、その通り。同じ説明なんて二度もしたく無いわ。面倒でしょう?」

「それはクーデレ特有の照れ隠し、ですか?」

「さぁ、どうかしらね」

 リリカノさんはその言葉を残して、玄関を出て行った。

 しばらく呆然となる僕。

 何かが起こる事はほぼ確定している事だし、浮かれている場合じゃないのも重々分かっているつもりだけど、リリカノさんのおまじない効果は絶大、根拠は無いけど、呪いに負ける気が一切しない。

 頑張れそうになって来た……よしっ!

「ぜぇったいに負けないからなぁっ!」

 呪術式へ宣戦布告。

 まだ始まったばかりじゃないか。

 それなのに、気持ちで負けてちゃダメだ。

「リリカノさんのおかげで気合が入ったし、軽くトレーニングして、風呂入って、寝るっ!」

 そう思い至り、僕は一度家の外へ出て、家の空きスペースを使い、日課のトレーニングをする事にした。

「この変化だけは……どう考えてもリリカノさんのせい、だよなぁ…………」

 トレーニングを終えた後、女に変化してしまった自分の身体のせいで、風呂へ入るってだけの行為に一時間も要した事は内緒である。


A Preview

「前回の予告、途中で終了したのが納得出来ないんですけど……」

「時間が来ちゃったから仕方なかったんだよ」

「お、おう……今回は高瀬が当番なわけね」

「詳細は初音くんから聞いてくださいって言われて来たんだけれど、何をする場所なのかな?」

「予告……らしい……けど、予告なんて一切してない。必要の無い場だと思う」

「予告? アニメ化でもするの?」

「そんな予定は一切ありませんっ!」

「そうだよねー、そんな事になったら、初音くんの卑猥な日常が放映されちゃうもんね」

「そんな日常送ってないしっ!」

「あれ、そうだった?」

「そうだよっ」

「んー、じゃあ、今回だけはそう言う事にしてあげる」

「これからもずっとにしてよっ!」

「あ、そうだー、前回もあったんでしょ? くじ、引かなくちゃだよね」

「僕のツッコミはスルーですかっ!」

「えっと、何々、高瀬鈴(モブ)のプロフィールを教えてください、だって」

「相変わらず失礼な事を括弧書きにしてくるな……」

「モブって?」

「メインでは無い、要するに街人AとかモンスターAとか、替えがいくらでもいるキャラクターって事だ……」

「なるほどー、むむー、じゃあ、私は初音くんの卑猥ポジションを取ってモブを脱出しようかな」

「僕は卑猥ポジションじゃないけど、なりたいならなっていいぞっ! むしろ、なれっ!」

「さてさて、プロフィール、だよね」

「またもやスルーっ?!」

「身長は一メートル五十七センチ。体重は内緒。スリーサイズは92、57、86」

「……」

「うわぁ、私の胸、すっごい見てるよね?」

「見られたくないのなら、縮めるんだな。キリッ」

「なんだろう、間違った事をしているはずなのに、最後にキリッて付けると間違えてないように聞こえちゃう」

「本質は正しい事だからさっキリッ」

「でも、これで証明されたよね。初音くんは卑猥ポジションだって」

「はっ?! し、しまったぁぁぁっ!」

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