無法遊戯《紫》

 今日、ヨシカは学校を休んだ。

 メールで《風邪でもひいたか》と送ってみたが返信はない。なので、朝のHR後に担任へ訊いたところ、

「体調不良で病院に行っているらしいですよ」

 心配そうな声で言い伝えられた。私も心配だったが、恐らく担任とは違うベクトルで危惧しているだろう。

 一応、高校内の私は優等生でカテゴライズされているらしいので、内心では一刻も早くヨシカを探しに早退したかったが……一通り授業を受けてから校舎に弾かれるように駆け出した。

 ヨシカを見つけるのは簡単だった。それは女の勘だとか愛の力といった抽象的な因由ではなく、ヨシカが常に所持している本革の通学鞄に追跡用小型GPSを仕込んでいるからであった。


(この前の……ヨシカの遊びにおける真相を知っていたのは、そういうことなのだ。夜十時から二時間の間……位置情報がホテルに滞在している以上は疑いようのない穢らわしい事実が確定していた)


 連動しているスマートフォンの地図を確認しながら街を走っていると、私の記憶に残っているセダン車がコインパーキングに入っていった。ハッとして反射的にパン屋の看板に身を隠した。ほどなくして、マル暴と漫才師しか着ない紫色のスーツに袖を通すが姿を現した。

 追跡対象が一人増え、私はあいつを優先した。というより、あいつの行き先にどうせヨシカがいることだから、GPSと生身の人間何方を追いかけても同じことだと思う。

 意に違わず、あいつはヨシカの所在地を示す場所へと赴いた。其処は山手線内に居住する人々より発するマイナスの符合を全て掻き集めたような街。風俗嬢らしき女がボロボロの肌を露出しながら大きなトートバックを持ち歩く路地裏にて、耳を塞ぎたくなるような猥雑な音楽が漏れ出ている地下階段があった。あいつは此処を下りた。ヨシカも……ずっと此処にいる。

 迷うことなく、私の身体は下へと沈む。罅割れたガラスのドアには《

Stone Hospital》との張り紙があった。私がドアを開ける前に部屋の内部より開かれ、見るからに頭が悪そうな顔面ピアス男(耳と鼻と唇と舌にピアスが溢れかえっていたので、安直なネーミングをしてしまった)にパーの形をした手を見せられた。クルクルパーの意味も恐らく含蓄されていると思われるが、それを言表してしまうと顔面ピアス男の反感を買って強姦されてしまう最悪のシナリオが頭を過ったため、私は素直に千円札五枚を渡して入室した。


 ヨシカは確かに病院に来ていたが、通俗的な病院とは一線を画す空間だった。ナースのコスプレをした女達が白目を剥きながらポールダンスを披露し、顔色の悪い患者みたいな観客が音楽に合わせて一心不乱に腰を振っている。人の形をしたゴミの隙間を縫って進むと、獣の手が私の二の腕を掴んだ。こういった事態に備えてブレザーの内ポケットに仕込んでいたスタンガンを取り出そうとしたが、私の骨肉を鷲掴みにする手は赤子よりも弱い握力であったので止めた。

「お嬢ちゃんもこれ、やってみろよ」

 涎を垂らした男は包装された六粒のタブレットを私の手に握らせる。いらない、と言おうとする前に男はズボンとパンツを脱ぎ、薔薇色の細い棘を振り回しながら附近の観客の後頭部を殴り始めたので無難に立ち去った。

 私が居ていい場所ではないが、ヨシカを見つけるまでは帰れない。もしかしたらヨシカも麻薬中毒者になってポールダンサーとして活躍しているかもしれないが、そこまで落ちぶれてはいないはずだ。


「ーー樋野ヨシカはクレイジーパーティーに参加しながらも自我を捨てていない、ときみの眼は語っているな」

 フロアの角にいた紫の物体に声を掛けられた。目を凝らすと次第にそれは人間の外線を現し、私がこの世で最も憎んでいる相手だと解った。

「ヨシカは何処よ。どうせあんたが呼んだのでしょ」

「僕は知らない」

「ふざけんな」

 タブレットをあいつの顔に投げ当てたが、蝋人形のような表情を保っていた。あいつはいつもそうだった。正常な感情を奪われたマリオネットのような気持ち悪さで私を不快にさせている。

「あんたにとってのヨシカは何だ」

「同類」

「じゃあ、ヨシカにとってのあんたは何だ」

「革命家」

 このように、支離滅裂な対話を強いられるのは私が動揺しているからではなく、現実を逸脱した言動を途絶えさせると限り私の心は深い闇に飲み込まれてしまいそうだったから……と、抽象表現で有耶無耶にさせてしまおう。

「ヨシカとあんたにとっての私は?」

「ーー」

 最後の質問はあいつを黙らせた……いや、黙らせたのは私ではなくヨシカであるかもしれないな。

「答えられないということは、あんたも所詮はヨシカに虐げられて生きているのね」

「何を言っている。僕がヨシカを独占していんだ」

「違うわよ。あんたはそうだけ。ヨシカの得意技でサイキッカーのように他人の記憶と感情を改竄しているの」

 私の挑発は成功し、眉根を寄せたあいつは距離を詰める。植物のような腕を出して私の首根っこをむしり取ろうとしたらしいが、私のスタンガンが先手を打った。

「ああああああああああああああああああああっ!」

 醜い悲鳴が響いたはずだったけれども、あいつの声はベース音の重低に負けて思ったよりも小さく聞こえた。その代わり、私の視覚には血飛沫があいつの苦痛として映った。

 電撃で出血するかね、と訝ったが謎は瞬時に解けた。私の左手に持っていたのはスタンガンではなくナイフだったのだ。処女膜の万倍は不潔であるあいつの掌を貫通させたのだと思われる。

「ヨシカはあんたのものじゃない。いつまでも夢見ていると、あんたが今感じている痛みでは済まないってことよ」

「……夢を見ているのはどちらかな」

 あいつの目力は衰えていなかった。気に食わなかったので、ナイフを逆手に持ち袈裟斬りをした。赤を纏う紫の背広は裂かれ、祈りの詩とは程遠い野蛮なミュージックのリズムに合わせて身体を揺らし、クライマックスに至るとあいつの股間を蹴り上げた。


 --私はヨシカを欲している。卑しい世界と連関を持つことを厭わず、私自身が卑しい人間になればきっと……史上最低なる彼女の遊びを止められるはずだった。

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