無法遊戯《白》
わたしの前に彼が現れると、いつも胸が苦しくなります。
ベタな表現で面白くない、とリナは思うかもしれませんが事実なので仕方ありません。
彼からもらった東京ドームのチケットは、一枚だけ。
待ち合わせ場所の駅名と時間を告げた彼は、暖かい春風に流されながら爽やかに去っていきました。
さて、どうしましょう。このチケットをリナに渡してもいいのですが、
「私、野球に興味ないし。あいつにはもっと興味ないし」
という痛烈なセリフと一緒に突き返されるでしょうね。そして、嫌な顔をされるでしょう。
「イライラしないでください。可愛い顔が台無しですよ」と、わたしが茶々を入れればリナは更にヘソを曲げます。分かりやすい女の子なのです。
仮定の話ばかりしていても進まないので、結論を先に述べます。わたしは彼に抱かれませんでした。
当日、ユニフォームを着た観戦者達が改札口近辺で集団になっている駅にて。約束の時間より五分ほど遅れてやって来た彼に手を引かれ、ふっくらと焼かれたメロンパンのような建物の中へと吸い込まれました。其処では一個の白球のために必死になって戦っている二組のアスリートが、数万人に罵声を浴びせられながら見守られていました。
リナが言っていたように、野球というスポーツの面白さがわたしにも解りませんでした。
今年度上半期で最も無駄な時間を過ごしたような気分を味わい、観戦後の遅い夕食……レストランで出されたハンバーグステーキは胃袋へ押し込む対象でしかなく、空漠たる余韻が続いていました。
美味しいか、と彼が訊いてきたので美味しいです、と端的に返しました。彼はワイングラスを片手に野球選手の名前を具体的に出して批判行為を延々と続けていたかもしれませんが、わたしの耳には届かず脳内はリナの勝ち誇った顔が映されていました。
「あいつと居ても何一つ楽しくないだろ。遊ぶ相手を間違えたな」
ざまあみろ、と吐き捨てるリナは仮定の存在であっても、わたしの反抗心を生むトリガーになってくれました。
さて、突然ですが出題いたします。
これまで語らせていただきましたわたしのエピソードに一つだけ嘘がありましたが、何処にありましたでしょうか。
賢いリナならすぐにお解りいただけたかと思いますので、簡単なクイズでしょうかね。
「長い問題文だったな」
スマートフォンの画面を閉じた私は自室のベッドに横たわる。
ヨシカから来たメールは、あいつとのデート報告だった。相変わらずくだらない遊びをしているやつだ。ろくな大人になれねえぞ。
ヨシカは、私よりもずっと可愛い女の子だ。
だから、ヨシカから可愛いって褒められても良い気分はしない。鏡に映っている女子高生の方がよっぽど魅力的だと思わないか、と心の中で嫌味を言いたくなる。
彼と呼ばれているあいつとのデートについて、なんとなく気分で行っただけ……みたいな感じでヨシカは私に思わせている。同時に、メール文もとい問題文の裏側に潜む真理をチラつかせているヨシカは狡賢い。
そう、ヨシカはそういう女の子なのだ。私が賢ければ、ヨシカは狡賢い。光よりも白く輝く笑顔の角で黒く蠢く魔物が私を挑発しているかのように……。
閉じた瞼のスクリーンに、あいつとヨシカの二人で夜道を歩いている姿が投影された。あいつは人を不快にさせる細い目をギラつかせて、ヨシカの全身をねっとりと見定めている。想像の世界でも生理的に受け付けられないあいつに、想像のヨシカは嬉々としてあいつの話相手になってくれている。
--どうして、好きでもない男と共にするの?
今に始まった疑問でない。前々からヨシカの異常性を知り得ていた私は、口癖のように問い質していた。
--なんででしょうかね。
大抵、ヨシカは適当に答えていた。自分の感情をコントロールできない園児みたく恍けて、三角の舌を出してわかりませんと言った。
私はヨシカの本心を知りたい。自分の価値をドン底まで落としてゲームを続ける理由を知りたい。
なのに、いつもヨシカは私に本音を打ち明けてくれないのだ。信用されていないから? 私も遊ばれている対象だから?
悔しいことに、私はヨシカの掌の上でもがいている。誘導されていることを覚悟で、私の指は返信文を打ち……送り返した。
《嘘は先に述べた結論、だろ?》
スマートフォンを枕元に置いて起き上がり、クローゼットから着替えを取り出してシャワーを浴びるつもりだった。疲れた身体を少しでも休めたかったのだが、振動するスマートフォンに呼び止められてしまった。
私の回答をずっと待っていたかのように、ヨシカからのメールが早速来た。
《大正解です》
だから何だよ、と私は怒鳴りたかった。けど、怒るのも違う気がしたから黙って部屋を出て、重い服を脱ぎ捨ててお気に入りのスクラブで身を浄めた。
汚れているのは、私でないのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます