1.『悲しさは押し付けられる』

髪がぜーんぶ抜けてつるっぱげになったことがあった。

わたしがまだ8歳の頃の話だ。

その当時わたしは半年ほど、小児白血病の治療のために入院をしていた。いわゆる抗がん剤治療による副作用だった。


と、ここまで書くと誰もが思うかもしれない。

なんて可哀想なの、と。


でも26歳になった今はっきり覚えているのは、当時髪が抜けることなんて実は全然悲しいとは思っていなかった、ということだ。

まだ思春期じゃなかったということも大きかったかもしれないが、母に髪をといでもらうとパラパラと抜け落ちる髪がクシに絡まるので、それをもぎ取って遊んだりした記憶もあるぐらいだ。親というものは皆おしなべて親バカなので、

母もそんなハゲていくわたしの頭を見ても「まみってきれいな形の頭をしていたのねぇ、気づかなかったわ」ぐらいに思っていたらしい。母もなかなかの強者である。


よくドラマや小説なんかでは、主人公か主人公の恋人役なんかが白血病に掛かっていて、髪の毛が抜けてとっても悲しいのでもう会いたくないわ!うわーん!なんて描写がある。


そんなシーンを観るたびに、そんなこともないのになぁ、そんなこと思わない患者さんだってきっとたくさん居るはずなのになぁ、なんて思ってしまうのだ。もちろん、個人差はどこにでもあるので、悲しくて仕方のない人がいるのも当然なのだけれど。


そんなことを、ある芸能人の闘病ブログに載せられた金髪ウィッグの写真を観て思い出した。


確かに、黒髪ロングの美しい女性の髪が抜け落ちるというシーンはショッキングだろうし、観客の涙も誘いやすそうである。

でも本当の悲しさというのは、言葉や映像にしてしまうときっとチープなことばかりなんだろう。


当時免疫力の低下から食事制限を受けていて、大好きだったアイスクリームが食べられなかったこと。


毎週欠かさずに通っていたスイミングの教室に行けなくなったこと。

その教室後必ず食べていた肉まんが食べられなくなったこと。


血小板の輸血の際に必ず蕁麻疹が出たこと。

痛みよりも痒さに人は耐えることができないと、悟る8歳の子供も珍しいだろう。


でもこうして当時を思い出して、悲しかったことを書き出してみようとすると、それ以上に楽しかったことや嬉しかったことが思い出される。人間の脳というのはよくできているものだ。


この日だけは、と夏の花火の日に患者全員にハーゲンダッツのアイスを差し入れてくれた小児科部長の先生のこと。


動けないけど何かしたい、と始めたフェルト手芸に熱中して、クラス全員にキーホルダーを作ってプレゼントしたこと。

近所のおばちゃん、当時はまだ生きていたひいおばあちゃん、違う部屋に入院していた年下の女の子と文通していたこと。


さてはて、わたしのこれまでの人生でおそらく一番死に近かったあの時期は、本当に「悲しい」思い出なんだろうか。


そうやって、悲しさは人の手で作り上げられて、本人に押し付けられていくのかもしれない。

だから、悲しいのね、可哀想ね、と言っちゃいけないんだと思うのだ。


幸せは伝染するというけれど、悲しみは押し付けられるから。


いつか、押し付けられない悲しみを感じられる作品を観たいなぁ。

みんなが笑っているようなシーンで、ひとり、泣いてしまうような。

そんな、優しい悲しみを描いてあるような。


だって、金髪ウィッグはとっても似合っていたんだけど、全然イメージじゃなくて「誰!?」って思ったんだもの。

わたしはその方とは面識はないけれど、いつか友人がそんな立場になったら、

「イメージが違いすぎる!わはは!」

と言って笑える自分でありたいなぁと思うのだ。


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