【実践練習第10日目】指先の物語

○ルール 実体験でも創作でもよいので〈指〉を主人公にえがく。感覚を重視する。視覚や聴覚が中心になりやすい散文で、触覚を描写する練習である。


 わたしは〈ゆび〉だ。りゆう一鬼といううれない小説家の右手ひとさしゆびだ。といえども平平凡凡なるゆびではない。何時那辺であろうと〈森羅万象しつかいにふれられる〉ゆびなのである。ようごうすると主人りゆう一鬼が超能力者のようだがめいちようとして役立つことはない。成程性的なるよく望を充足せしめるがために性的なる悪戯いたずらをすることも可能だ。実際りゆう一鬼は思春期にわたしをもって悪戯いたずらしていたこともあるが統合失調症を治癒するための向精神薬の副作用やよる年波の影響でせいよくそのものが逓減して諦念した。現在ではもつぱら不眠に猛襲される真夜中の玩具おもちやにされている。しやくねついんうんたる真夏日には北国の線路の表面にふれて安眠する。北国の線路の表面をあいするとしようりようたる冷気がわたしをつたってくる。もんぜんじやくを張る線路や廃線の表面はさびいていて砂糖をなでるような不快感があるが主人りゆう一鬼はこれが好物だ。また線路をえんえんとなぞってゆくと定期的にでくひくしているので睡眠の導入にさわしい。へんぽんとして冷気りんれつたる真冬日には大陸の砂漠の表面にふれて安眠する。砂漠というのは分析哲学的にこうかくしても一種の概念にすぎず実際には巨億の砂粒で構築されている。いんの砂粒ひとつひとつにかくやくたる陽光によるしやくねつはらまれている。しやはんの砂粒のしやくねつかいしておりわたしがあいするとひとつひとつのしやくねつなぎなたほこのように皮膚をつきさしてくる。針地獄のような砂漠の表面をなでるだけでも不愉快なのだが主人りゆう一鬼は不満足でわたしを砂漠の内部までつきさす。無論ゆびの神経はゆびさきだけではない。わたしはにくたいぜんたいを――おおならばひとさしゆびぜんたいを――しやくねつの針地獄に埋没せしめられててんてんはんそくする。やがて満足してりゆう一鬼が熟睡するまでである。余談だがりゆう一鬼は奇妙な発想をした。〈わたしみずからにわたし自身をさわらせる〉というのである。わたしはわたしをあいした。けつけつたるわたしの皮膚が意想外に湿潤なことに気付く。りゆう一鬼はまだ若造なのかもしれない。わたしはりゆう一鬼がはじめてこいびとにくたいにふれたほうふつとしたが無駄話なのでやめておく。

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