20歳 3

 その年は残暑というにはあまりにも暑い秋だった。もうすぐ十月になる早朝だというのに誰もが半袖姿で過ごしていて、蝉の声がしないのが不自然にさえ感じられた。


 昨日までの準備期間を経て、大学のキャンパスは学びの場からお祭り会場へとその姿を変えていた。普段は色気も何もない校門も横断幕や立て看板で彩られていて文化祭らしい空気が漂う。


 去年までは半日ほどふらふらと模擬店を眺めて帰るだけだった私も、今年はゼミの仲間達とクレープ屋を開くことになっていた。運良くじゃんけんに勝ち、当日の買い出しを免れた私は、みんなよりも遅めの学校到着となったが、それでも飾り付けや、材料の仕込みなどのため、いつもより早い時間に起きなくてはならなかった。


 文化祭初日の今日は平日なのでそれほど来場者は多くないだろうが、今日見学に来ると言っていた莉奈を案内しなくてはならなかったし、何より昼過ぎからは勇太のバンドのライブがある。今朝はいつもよりしっかりと朝食をとり、化粧にも気合いを入れてきた。


「おはよう琴乃」

 私達のテントは早くも準備に取りかかられていた。そんな中、同じゼミの岩佐明日香が私に気付いて手を止めた。なんのコネもない私達が正門からすぐの五号棟前という絶好の場所に模擬店を出せたのはまさに明日香の驚異的とも言えるくじ運の賜物だった。もちろん彼女も私と同じく買い出しじゃんけんに勝った一人だが、作業の進み具合からすると私より一時間位は前に来ていたのではないかと思える。


「私、昔から遠足とかのイベント事の前は眠れなくて早く来ちゃうタイプなんだよね」

 明日香はそう言ってはにかみながら、メニューを書いた黒板をテントの足に取り付けようとしていた。私も荷物を下ろし早速彼女を手伝う。


「今日何時からだっけ? 彼氏のライブ」

「十五時から……だけど二組目らしいから十五時半くらいじゃない? って、彼氏じゃないから。残念ながら」

 勇太の入っているバンドサークルは人数が多く、三組のバンドが野外ステージでライブをすることになっているらしい。サークルの持ち時間はタイムテーブルを見ると九十分になっていたのでおそらく各バンド三十分くらいずつなのだろう。


「あっでも今日高校の時の友達が来るから昼過ぎくらいから抜けさせてもらうね」

「大丈夫じゃない? 今日なんて練習日みたいなもんでしょ? 本番は明日からよ」


 一通りの飾り付けを終えた私達は少し離れた所から自分たちの店を見てみた。大丈夫、他の模擬店と比べてみても遜色のない出来映えだ。


「お待たせ〜」

 ちょうど両手に買い物袋を持った買い出し部隊が到着した。小麦粉や調味料は昨日のうちに用意していたが、この暑さのせいで痛みやすい果物や乳製品はぎりぎりの調達になった。なんせ保存しておく容器がクーラーボックスしかないのだ。


 開場までもう間もなくだったが、それまで少しでもクレープ作りの練習をしておこうということになった。基本的な生地作りは明日香の家のホットプレートでみんな習得済みだが、火力調節の難しいレンタルの鉄板で焼くのは随分と勝手が違っていた。多くの失敗作が誕生し、それはそのままみんなの朝食代わりとなった。家でしっかり食べてきた私だったが、甘い物は別腹という古くからの言い伝え通り、形の悪いクレープを二つ完食し三つ目に手を伸ばしていた。

「彼氏のバンドって何系なの?」

 同じように失敗作のクレープを頬張っていた明日香が、さっきの話の続きとばかりに訊ねてきた。


 成人式で仲直りして以来、私と勇太は昔のような関係を取り戻していた。もちろん彼女と別れた訳ではないので高校時代のようにいつも一緒という訳にはいかないが、同じ講義の時には隣に座るし、時々だが学食で一緒に昼食を食べることもあった。明日香は冗談で言っているだけだろうが、他に男っ気のない私が唯一仲良くしている男は勇太だけなので私達が付き合っていると本気で誤解する者もいただろうと思う。


 そういえば勇太の彼女は私のことをどう思っているのか? そもそも私の存在を知っているのか? 勇太の方から彼女の話をしてくることはなかった。気にはなっていたがそれを聞いてしまうとまたこの関係が壊れてしまうのではないかという不安から私からもその話題に触れたことはなかった。全く、いつまで経っても勇太のことになると私は臆病なままだ。


 だから、彼氏じゃないって。とお決まりの前置きをしてメロコアって言うらしいけど、知ってる? と私が尋ねると明日香は黙って首を振った。無理もない、私だって勇太から聞いていなければ絶対に知らなかった単語だ。

「ハイスタンダードは?」

「んー名前は何となく聞いたことある」

「十年前くらいに活動休止したバンドなんだけど、それのコピーをやってるの」

「ふーん」

 実際それほど興味がなかったのか、明日香から生返事が返ってきた。


 突然上空で破裂音がした。明日香と共に空を見上げ、それが文化祭の始まりを告げる花火だったことを知る。私達はおしゃべりを切り上げそそくさと持ち場についた。莉奈が校門に着いたら連絡をくれることになっていたので、それまで私はクレープの生地を焼き続ける担当だ。食べかけのクレープを慌てて口に押し込んだ明日香が喉を詰まらせ咳き込む姿に少し癒された。

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