20歳 2

私達三人のテーブルは気が付くと私の恋愛相談の場のようになっていて、周囲の馬鹿騒ぎからは大きく取り残されていた。せっかくのお洒落な雰囲気を台無しにするような一気コールが遠くで響く。その輪の中には馬鹿みたいに笑っている勇太の姿もあった。いつの間にかジャケットを脱ぎ、ネクタイも外していた。


「告ったことはあるの?」

 不躾な絢香の質問に私はゆっくりと首を振る。

「キスしたのに?」

 ストレートな次の質問に私は飲んでいたお酒を吹き出しそうになった。それを見て莉奈が笑う。

「そのあと言おうと思ってたの。なのになんかバタバタしちゃって、タイミングが合わなくてさ、しかもそれからずっとなんとなく気まずくて……」

「タイミングなんていうのは私に言わせればただの琴乃の言い訳だね。私が知ってる限りでも告白のタイミングなんて五十回はあったよ」

「ないよ、そんなに」

 莉奈の説教臭さが増してきたと思ったら、五杯目のグラスもいつの間にか空いていた。


「よし、じゃあ今告ろう!」

 グラスかテーブルのどちらかが割れるんじゃないかと心配になるような勢いでグラスを置き、莉奈が立ち上がった。静かだったテーブルから突然大きな音がしたので周囲から何事か、と注目が集まる。焦った私と絢香は頭を下げつつ、納得のいっていない様子の莉奈を座らせた。

「飲み過ぎだよ、莉奈」

 莉奈の肩をさすりながらなだめた。気を利かせた絢香が持ってきた水を一気飲みすると少しすっきりした顔で「水うまっ」と呟いた。


「でもね、琴乃」

 落ち着きを取り戻し、コップに残った氷をほおばる莉奈に一安心したところで、今度は絢香の真顔が私に向けられた。

「多分ずっと引きずってるのって告白してないからだよ。始まってないから終われないっていうのかな。一回ちゃんと好きって伝えて、オッケーだったらもうけもん、駄目だったら駄目だったで諦められるんじゃない? 正直辛いでしょ? 見返りもなく想い続けるのって」


 絢香に言われるまでもなくそんなことは分かっていたし、正直に言えば辛い時期もあった。しかし、いつの頃からかこの報われない想いは私の一部になっていて、この想いの見返りなんて考えもしなくなっていた。私は勇太が好きなのではなくて、勇太を好きな自分が好きなのかもしれないと自分を疑ったこともあった。勇太に告白してうまくいってもいかなくてもこの報われない想いが壊れて、自分が自分で無くなってしまうのが恐くて告白に踏み切れなかったのかもしれない。


 卒業式のキスの後、廊下の角に隠れてニヤニヤと覗き見していた男子達に内心ホッとしてはいなかったか? 彼女がバンドをやってるから俺も何か楽器を始めると言っていた勇太の言葉に本当は胸を撫で下ろしてはいなかったか?

 たった二年で変わってしまったのは同級生達の風貌だけではなかった。野球部の坊主頭が長髪になるように、学級委員長の眼鏡がコンタクトに変わるように、私の勇太への想いも変わってしまったのかもしれない。もちろん、ベクトルは変わっても想いの強さは変わってはいないが。


「よく言った、絢香!」

 絢香の言葉に心動かされたのは、ひねくれ者の私ではなく酔いつぶれかけていた莉奈の方だった。伏せていた顔をゾンビのようにゆっくりと上げ私を見る。

「そうだよ、琴乃。始めなきゃ始まらないんだよ」

 絢香の語った言葉とは少し違っていたが、酔っぱらいに何を言っても無駄だろうと聞き流した。それは絢香も同意見だったようで、苦笑いを私に向ける。が、莉奈本人は私達の苦笑など意に介さないようで再びテーブルに手をついて立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回し始めた。


「勇太!」

 莉奈は勇太を見つけると、私が止める間もなく大声で彼を呼びながら手招きをした。勇太はよほど盛り上がっていたのかシャツのボタンを全開にしていて半裸状態だった。その場にいたほとんどはそれぞれの会話に夢中で、莉奈が勇太を呼んだことなど気付きもしていなかったが、勇太のいたグループや私と勇太との関係、というか卒業式での出来事を知っているであろう数人は何事か起きるのではないかと期待に満ちた目で私達の方を窺っていた。


 勇太がシャツのボタンを直しながらこっちへ来る。一瞬目が合った。この時まで私が考えていたのはどうやってこの呼び出しを誤魔化そうかということだけで、ここで告白をする気などさらさらなかった。しかし、私と目が合ってすぐに逸らした勇太の態度になぜだか無性に腹が立ち、一言言ってやらなくては気が済まなくなった。多分、私も酔っぱらっているのだろう。

「何? 何か用?」

 酒のせいか上機嫌な勇太は私と莉奈の間に座り、くわえていた煙草に火をつけた。煙草を吸い出したのも今の彼女と付き合い出してからだった。

「琴乃がね、勇太に言いたいことがあるんだってさ」

「琴乃が?」

 怪訝そうな勇太と、不機嫌な私を残し、莉奈と絢香はそそくさと席を立った。残された私達は一度目を合わせた後、しばらくの沈黙に耐えなくてはならなかった。


「……元気?」

 ようやく勇太が口を開いたのは、彼が煙草を二本吸い終わり、私が目の前のグラスを空にした後だった。何気ない世間話の常套句のようなセリフだったが、なんで呼び出された俺が先に聞かなきゃいけないんだ? という不満が見え隠れしていた。それに私はこくりと頷く。またしばらくの沈黙。莉奈と絢香の二人は別のテーブルで楽しそうに談笑しつつも私達の様子をチラチラと気にしていた。

「彼女、元気?」

「多分、元気なんじゃない?」

 彼女の話になり動揺したのか、不快に感じたのか、勇太は三本目の煙草に火をつけながら答えた。はっきりとした答えじゃないのは照れなのだろうか。

「ギターうまくなった?」

「ベースだし、関係なくね?」

「彼女とはうまくいってるの?」

「それも関係なくね?」

「それは関係あるよ」


 取りつく島もない勇太の受け答えに私のイライラは募り、告白の決意はそんなマイナスの感情に押し出される形になった。五年間、ずっとタイミングを計っていた慎重だった昔の私に謝りたくなるような最悪のシチュエーションだ。

「関係あるの」

 私はもう一度繰り返し、勇太の顔を真っ直ぐに見つめる。自分のお酒を飲み干してしまっていた私は新しく注文するのも面倒だったので、莉奈の置いて行ったグラスに手を伸ばした。透明な液体に口をつけると消毒液のような味がして、私は思わず顔をしかめた。何飲んでるんだろう莉奈? もうこれには手を付けまいと決めた。


「あのさ」「あのさ」

 私がテーブルに置いたグラスの中の氷がカランと音を立てた瞬間、私と勇太の声が重なった。高校時代、何度となく起きていた私と勇太の「あのさ被り」だった。

 二年振りの懐かしい現象に私達は思わず声を出して笑い合っていた。色んなものが変わってしまったかもしれない。しかし、変わっていないものも確かにあった。それは他人から見ればとても些細で、どうでもいいことかもしれない。それでも私達にとってはかけがえのないほど大切なものだった。少なくともたったこれだけの、たった一言が、二年の間に埃のように溜まった気まずさやわだかまりを一気に吹き飛ばしてくれた。

「俺さ」一通り思い出話に花を咲かせた後、勇太は少し真面目な顔で言った。

「琴乃のこと一番の友達だと想ってる。何でも話せるし、一番分かってくれるだろ? だからこれからもそういう関係を続けて行きたいと思うんだけど、駄目かな?」

 勇太の言葉に私は頷くことしか出来なかった。本当は駄目なのに、私は勇太のことを一度たりとも友達としてなんて見たことがなかったのに、一番の友達よりも二番目でも三番目でもいいから彼女になりたかったのに、それを口にすればまた勇太が遠くなってしまうという恐怖心が私の後ろ頭を押さえつけた。

 勇太が吸っていた煙草をもみ消した時、彼を呼ぶ友人の声がした。「じゃ」と私の肩をポンと叩いて彼は立ち上がった。「また連絡するから」と言い残して。


 勇太と入れ替わりに、ずっと私達の様子を見ていたのであろう莉奈と絢香がテーブルに戻ってきた。私を囲むように同時に席に座ると、顔を近づけて「どうだった?」と心配そうに訊ねる。

「告れなかった」

 私の一言報告に二人は「なんだ」と落胆する。

「お前は一番の友達だって言われた」

「なにそれ?」と二人は呆れたような顔をする。

「でも、話せてよかった。それは感謝する、ありがとう」

 また次のチャンスがあるよ、と二人は慰めてくれた。


 今はこれでいい、強がりでも言い訳でもなく本心でそう思っていた。焦らずに行こう、少なくともこれで仲直りは出来たのだから。二人の言う通りまだまだチャンスはあるのだから。私は諦めてしまわない限りは。

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