18歳 2

 衣替えを終えたばかりの通学路の坂道はブレザーを着た生徒と、それを脱ぎシャツやブラウスになっている者が半々で、初夏の晴れやかな陽射しに照らされて紺と白のコントラストがなんとも美しかった。そんな爽やかを絵に描いたような朝だったのに、私の心中はその青空とは真逆のどんよりとした曇り模様だった。


その理由は私の目の前を歩く二人にある。二年間私が片想いをしていた平井勇太と、その隣を寄り添うように歩く渡辺さんだ。その日のうちに学校中の噂になった衝撃の告白劇から一ヶ月、付き合いたての二人はその期間に相応しい初々しさをもって肩を並べて歩いていた。時折二人は顔を見合わせて笑っているようだ。どんな話をして勇太はあんな笑顔になるのだろうか? 気にはなったがここからでは会話の内容までは聞こえなかった。


一ヶ月前までは自分の特等席だった勇太の隣を突然奪われた私は、今までよりも電車一本分早く家を出るようになっていた。もちろん二人が仲良さげに登校するのを目に入れたくなかったからだ。私が登下校の時間をずらし、彼が昼休みは彼女と中庭で一緒に弁当を食べるようになりで、驚くほど私が彼と一緒に過ごす時間が減った。今までずっと、一日中一緒にいたような気になっていたが、離れてみるとたかだかそれくらいの時間だったんだな、と考えてまた少しうつむいてしまう。

「暗いねぇ琴乃ちゃん」

 ふいに私の背中をバッグで叩いたのは同じクラスの莉奈だった。後ろから見てよほど沈んだ背中に見えたのか、いつもより叩く力が強い。しかし、そんな莉奈の気遣いよりも前を行く二人に私が後ろをつけていることを気付かれてしまうのではないかという心配の方が先に立った。わずか三メートル先の二人の様子を確認してから莉奈の方を振り返る。想像していた通り彼女は少し意地悪な笑みを浮かべていた。

「朝からストーキングお疲れさま」

 人として最低レベルの冗談を爽やかに吐く莉奈の表情はますます小悪魔ぶりを増していた。

「あんまり人聞きの悪いこと言わないでくれる?」

「いやいや、この状況は誰がどう見てもそうでしょ」

「ホントうざい」

 思い切り睨みつけながら言ったが、莉奈は全くこたえていないようだった。


 一年生の時から同じクラスの彼女はこう見えても親友の一人だ。私が勇太のことを好きだと知っている数少ない人物の一人でもある。渡辺さんの告白の後には数え切れない程の励ましのメールをくれた。感謝していて、信頼しているからこそ面と向かって「うざい」なんて言える。

「ひどいな、琴乃ちゃん。せっかく元気づけてあげてんのに」

 唇を尖らせて言う彼女もそれを分かっていて私の暴言を受け入れてくれる。


 十数人の生徒達が赤信号で足を止める。この信号を渡ってしまえば私達の高校はすぐそこだ。私と莉奈がその最後尾だったのも一瞬のこと、すぐに後ろにも同じ制服の列が出来ていく。

「ねえ、琴乃。まだ勇太のこと諦めきれないの?」

「それ、今ここでする会話?」

 赤信号で間隔が詰まり、勇太達との距離はわずか三人の生徒を挟んだだけになっていた。何かのきっかけで振り向かれでもしたら見つかってもおかしくなかった。それもあって私は莉奈と話をしながらも二人から目を離せない。

 それともう一つ、莉奈にも言っていないことだが、私は密かにあの二人が手をつないで歩いている姿を見つけたら勇太のことを諦めようと思っていた。幸か不幸か勇太は大して寒くもないのにポケットに両手を突っ込んでいた。つい先日まで、私と並んで登校していた時には見られなかった姿だ。彼女の前で格好つけたいのか、手をつなぐのをためらってのことなのか、いずれにせよすっきりはしない。

「私はね」

 信号が青に変わり、ゆっくりと列が動き出すと同時に莉奈が口を開いた。

「本当に好きなんだったら諦めることなんてないと思うよ? 琴乃、勇太と同じ大学行くんでしょ? 東京でしょ? そしたらあの子なんかより長い時間一緒にいられるんだから、いつかチャンスが巡って来ることもあるよ。一般的に言ってあの二人がこのまま遠距離も乗り越えて結婚するなんてことよりもいつか別れちゃう可能性の方が高いわけだし、タイミングを待った方がいいよ」

 まだ若いんだし、と言って莉奈の説教とも取れるようなアドバイスは私が口を挟む間もなく締められた。「分かってるよそんなこと」私が言い返せたのはそれだけだ。


 ほどなく校門をくぐった。一年と三年では校舎が異なるため、前を行く二人はここで別れる。顔の横で小さく手を振る渡辺さんに勇太もポケットから右手を出し答えていた。

「おはよ! 勇太」

 一人になった勇太に早速莉奈が声を掛ける。予想外の行動に私はつい莉奈の後ろに隠れてしまったが、それで隠れきれるはずもなく、三秒後には勇太と目があった。

「おう、おはよ」

「おはよ」

 変に思われていないだろうか? 私の気持ちを悟られてはいないだろうか? こんな些細なやり取りにさえ気を使ってしまう自分が面倒くさい。

「朝から仲良いじゃん、彼女と」

 冷やかす莉奈に勇太は照れ隠しのためか不機嫌そうに「うるせえよ」とだけ返し、ちらりと私の方を見た後すぐに目を逸らした。

「あのさ」「あのさ」

 意を決して彼に声を掛けられたのは昇降口で上履きに履き替えている時になってだった。そんな時に限って勇太と言葉が被る。よくあることだったがそんな時彼はいつも発言の順番を私に譲ってくれた。

 言いたいことは山ほどあったし、聞きたいことも山ほどあったのに私の口からようやく出た言葉は何とも無難で、ありきたりで、どうでもいい話だった。

「今日数学小テストだよ。勉強してきた?」

 私の言葉に勇太がホッとしたように見えたのは気のせいだろうか? 彼の表情が少し緩んだような気がした。

「お前には負けないし」

 小憎たらしい口調でそう言う勇太は一ヶ月前の彼と変わっていなかった。そんな彼の反応に私は少し安心する。誰と付き合おうが、誰のものになろうが、私の前では勇太は勇太のまま、私の好きな勇太だった。先程の彼とはおそらく全く違う意味で私もホッと胸を撫で下ろした。

「勇太は? なに?」

 廊下を三人で歩きながら私が訊ねると「う〜ん」と天井を見上げながら何かを考える素振りをした後、

「忘れた。また思い出したら言うわ」

 と、溜め息まじりに言った。

 結局その日勇太からその話を聞くことはなかった。本当に忘れてしまったのか、それとも何か言いづらいことだったのか、それさえもこの時は分からずじまいだった。彼が何を言おうとしていたのか、それを私が知るのはもっとずっと先のことだった。

 

 その日予定通り行われた数学の小テストは何とも散々な結果で、私は初めて勇太に負けた。勇太に彼女が出来た一ヶ月前から私はほとんど勉強が手に付かず、学年上位だった成績も最近は右肩下がりになっていた。そしてその数日後、私の心をさらに乱す出来事が起きる。それは長い梅雨も明けて夏休み直前の暑い日のことだった。

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