第3話 淡き日の山田苑

 僕はいつの間にか、週に一度は山田苑に通うようになっていた。プロジェクトの山は越えたとはいえ、まだまだ忙しいことには変わりなく、総じて帰りは遅い。普段は節約のため自炊しているのだが、疲れてどうしても帰宅後に料理をしたくない時もあって、そういう時に山田苑を重宝していた。


 山田苑のメニューには、いつしか豆乳鍋がラインナップされていた。主婦だけでなく独り身サラリーマンの強い味方でもあるクックパッド先生で検索してみると、豆板醤や甜麺醤を加えた中華風豆乳鍋というものもあるようだ。一方、山田苑の豆乳鍋は白だしベースだった。しかし、恵子ちゃんにかかれば、

「ここ一応中華料理屋なので、シメは中華麺です」

という理論が成り立つのである。ちなみに、本当はうどんの方が好きなのだそうだ。

「ところで、これもらってくれません?」

 恵子ちゃんは、ピンクのリボンで飾られた綺麗な箱を差し出してきた。

 僕はカレンダーを思い浮かべ、記憶を探った。今日は2月14日。最後に山田苑を訪れたのは、少なくとも四日以上前だ。そして、三日前には、同じ部署唯一の女性社員(御年48歳)から板チョコをもらった覚えがある。この町に来てからというもの、ずっと仕事に追われていた僕には年頃の女性と仲良くなる機会もなく、その板チョコが唯一の戦利品だった。

「深道さんがお店来てくれるの、ずっと待ってたんですよ」

 包装紙をよく見ると、チョコ業界に疎い僕でもさすがに知っている、高級チョコのブランド名が書いてあった。

 小躍りしそうになるのをこらえ、平静を装いながら、ありがとう、と言って僕は箱を受け取った。

「三日前にゆいさんが来たんですけどね」

 急に雲行きが怪しくなってきた。

「ゆいさんがくれたやつなんですよ、それ」

 最近は逆チョコといって、男性が女性に贈る場合もあると聞いている。以前掛川さんは毎日恵子ちゃんの仏壇にお線香あげているなどと言っていたが、実はというかやはりというか、恵子ちゃんに好意を寄せていたのだ。


「私、チョコが世界で一番嫌いなんですよ」


 好意のかけらもないかもしれない。

「これ、チョコ業界に疎い私でもさすがに知ってる高いやつですよね。捨てるのも忍びなくて、深道さんに譲ろうと思ってたんです。既製品ですし毒は入ってないですよ、多分」

 平静を装っておいて良かったような、かえって恥ずかしいような複雑な気分になった。

「ゆいさんからの生ごみ押し付けるお詫びといってはなんですが、実は私からもあるんですよ。お返しは、服がいいです。足が長くシュッと見えるパンツが欲しいなぁって思ってて。もう、トリックアートでもいいから足長く見せたい」

 そう言って恵子ちゃんがくれたのは、偶然にも部署唯一の女性社員(御年48歳)からもらったものと同じ板チョコだった。

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