第6章 決断の時 4
「――こ、こっちの世界の服も似合うんじゃねえか? 詩音……」
「…………」
なんとか言葉を見つけて声を掛けてみたが、返ってくるのは無言か。
最後に言葉を交わしたのは十年前。
いきなり思春期になっちまった娘に掛ける言葉なんて、見つかりゃしねえ。
借りたカズラの服を着て、三歩ほど後ろを黙ってついてくる詩音。
敬意を表して、三歩下がって師の影を踏まずっていうなら嬉しい話だが、どうみても並んで歩きたくないだけだろう。あれ? 三尺だったっけか……。
「ここが、女物の服を売ってる店だ。外で待ってっから、好きなの選んで買いな。金は……こんだけありゃ足りんだろ」
こっちで過ごすための詩音の服を買いに来たのはいいが、やっぱり女物の服屋にゃ入れねえ。
だから、金だけ渡して後は本人に任せようとしたが、無言で裾を引っ張る詩音。
そりゃ、そうだよな……。文字だって読めねえだろうし。
仕方なく一緒に入店、店内まで付き合わされる破目になった。
(それにしても、人質になってたときに着てた服は、制服みてえな感じだったな。だらしなく着崩すわ、化粧までしてるわで、どうみてもヤンキーじゃねえか。あいつは、どんな育て方したんだか……。でも…………)
思わず、ため息が出た。
七歳で突然父親が失踪したんじゃ、グレても当然じゃねえか。
母娘共々、考えもつかねえほどの苦労をしたに違いねえ。
そう思うと、胸の奥がキューっと締め付けられる気分だ。
再会からの大団円ばっかり思い描いていたが、現実はそんなに甘くねえ。
服を選ぶ詩音を眺めていたが、何やら店員と話がかみ合っていない様子。
下手なことを口走って、外界人とバレてもまずい。
慌てて現場に駆け寄る。
「このデザインで、もっと小さいサイズはないの?」
「でざいん? さいず? すいません、ちょっとわかりかねます……」
そういや自分も、こっちに来てしばらくは同じことをやらかしたっけ。
普通に日本語が通じるからって調子に乗ると、突然通じなくてビックリする。
そんな経験を踏まえて、コッソリと詩音に耳打ち。
「……外来語は大抵通じねえよ。柄とか寸法って言わねえと……」
ギロリと睨まれた。
『そういうことは先に言っておけ』と言わんばかりだ。
だが、何も言い返せない。どうしても、罪悪感が先に出ちまう。
服選びだって、一緒にしてやれねえ。
照れ臭いのもあるが、どんな色、どんな柄が好みなのか、ちっともわからねえ。
日々一緒に過ごしていれば、普段の服装から好みも察することができるだろう。
詩音に言われた、『十年の歳月を甘く見るな』。全くその通りだと痛感した。
結局店員と相談しながら、自分で服を選んだ詩音。
預かってきたお金で支払おうとしていたが、強引に割り込んで俺の金で清算。
今、してやれることと言えば、金を出してやるぐらいのもの。
それでも、娘のために
「……ねえ、ちょっと……」
「ん? ど、どうした?」
店を出たところで、詩音から声を掛けられてドギマギする。
遠い昔の、女房との初めてのデートの頃まで遡りそうな心境だ。
不覚にも、声が裏返っちまった。
「これ、なんて書いてあんの?」
詩音が差し出したのは、買い物のメモ。
さすがに十年も暮らしていれば、こっちの字でも綺麗か汚いかはわかる。この字の汚さは、きっと王子だろう。
俺と詩音にメモを渡すなら、日本語で書いた方が手っ取り早いだろうに。
「これは、靴とカバンだな。今使ってるのは、向こうのやつだから目立つもんな」
「こんな、わけのわかんない記号、よく読めるわね」
「そりゃ、こっちに十年もいりゃ、嫌でも読めるようになるさ」
なんだか、会話が弾み始めた。
ひょっとして、あいつは嫌でも会話せざるを得なくするために、こっちの文字でメモを書いたのか?
だとしたら、憎い演出だと感謝しなきゃなんねえ。
「十年か……。ねえ、十年前なにがあったのか、ちゃんと教えてよ」
そう言って、真剣な顔でこっちを見上げる詩音。
てっきり余りにも憎くて、言葉を交わすのも嫌なほど嫌われちまったのかと思ってたが、そうでもないみたいだ。
詩音も俺と一緒で、久しぶり過ぎてどう話していいのか困ってたんだろう。
やれやれ、娘からきっかけを作ってもらうなんて、カッコ悪い父親だ。
もう遠い昔のような、それでいてついこの間だったような、そんな思い出を話して聞かせる。
「お前もこっちの世界に来たってこたあ、あの界門てやつをくぐっただろ? 飛び込んだ先が、この世界に繋がってるあれな。あれが家の近所にあった【谷代公園】に出現したらしくてな、たまたま通りかかったせいで飛ばされちまった」
「小さい頃よく遊んだ、あの公園?」
「ああ、そうだ。会社帰りに近道してみれば、突然の別世界。何が起こったのか、全然わかんなかったよ」
「じゃあ、とう……、……こんなところに、いきなり飛ばされて、ずっと一人で十年間暮らしてたってこと?」
「ああ、いつかきっと帰れる日が来るって、それだけ信じてな……」
そこまで話すと、黙って何やら考え込む詩音。
何かまずいことでも言っちまっただろうか……。
少し不安になりながら顔を覗き込もうとすると、再び詩音が問いかけてきた。
「じゃあ……。あたしや、お母さんが嫌になって居なくなったんじゃないんだね?」
「あったり前じゃねえか。最愛の女房と娘を残して、こんなわけのわかんない世界に、誰が飛び込もうなんて思うんだよ。家も建てて、さぁこれからだってときによ」
「そっか…………」
またしても黙ってしまったが、今度は口元がほころんでるようにも見える。
少しは機嫌も直ったんだろうか。
「こんな店先に突っ立ってても迷惑だからよ、この先の甘味屋行こうぜ。あんみつが美味いらしいから」
「うん!」
笑顔を浮かべた詩音。これは、許してもらえたんだろうか……。
少しの安堵感と、今なお残る不安感。どっちつかずで揺れ動く。
そんな、甘味屋へと向かう道すがら、すぐ隣の詩音が語り始める。
「あたしね……学校でいつも悪口言われてたんだ。『父さんに逃げられた』とか『父さんに捨てられた』とかね」
「辛い思いさせて、すまなかったな」
「ずっとそんなはずないって、自分に言い聞かせてたつもりだったんだけど……。繰り返し周りにそんなことを言われ続けて、心が弱っちゃったのかもしれないね。ひょっとしたらそうなのかもしれない、なんて考えるようになってた……」
「いきなり姿をくらまされちゃ、そんな不安が芽生えても仕方ねえさ。気に病む必要はねえよ」
きっと一家の大黒柱が居なくなって、みんな苦労してるとは思ってた。
でも、いくら思いを巡らせたところで、それはただの想像。当の本人の気持ちには、遠く及ばない。
こうして生々しく詩音の口から心情を聞くと、胸が張り裂ける思いだ。
もちろん不可抗力だが、あの日近道をした自分の行動が悔やまれてならない。
「だから……。母さんが、あの人と再婚するって言い出したときも止められなかったの……。ごめんなさい、母さんのこと止められなくて……。父さんが出て行くはずないって、もっと強く訴えかければ良かった……。そうしたら、今でも……」
そう言って、本気で謝る詩音。
表面上は悪ぶってたが、根は素直で優しい良い子に育ってるじゃねえか。
こんなにしっかりと詩音を育て上げてくれた女房にゃ、感謝の言葉しかねえ。
何年も消息不明のままだと、死亡扱いで離婚も成立することは知っていた。
だけど、まさか自分がそうなるなんて……。
いや、本当はそんな考えがなかったわけじゃない。考えないようにしてただけだ。
でも、綺麗ごとだけじゃやっていけないのが現実。きっとあいつにも、それなりの事情があったに違いない。
「いや、母さんの判断は間違っちゃいねえさ。きっと母さんだって、俺に愛想を尽かして再婚したわけじゃない。きっと、お前を守るために……、自分一人じゃ守り切れないから、他の男の人を頼ったに違いねえさ」
「そうなのかな」
「あたりめえだろ。俺が選んだ女房なんだ。私利私欲で安直な道を選ぶような、そんな安っぽい女じゃねえよ」
こぼれた涙を拭う詩音。
泣き止んだ顔は、スッキリと胸のつかえが取れたような清々しさ。
きっと離婚は自分のせいだと、罪悪感を抱えていたのだろう。
しばらく歩き、目当ての甘味屋が視界に入る。
そのとき、しばらく途切れていた会話がまた始まった。
「さっき話してくれた十年前の出来事ね、実は日本にいたときにあの人たちが訪ねてきて、一度聞いてたの」
「あの人って、王子様御一行かい?」
「うん。そのときは感情的になって、追い返しちゃったのよ……。でも、帰った後で考え直したの、やっぱりちゃんと会って話を聞くべきだって。お陰でその後に来た、あのアジクって奴にコロッと引っ掛かっちゃったんだけどね……」
「ひどい目に遭っちまったもんだな。でも、無事で良かったぜ」
詩音は自分の失敗談が恥ずかしかったのか、顔を赤らめる。
だが次の瞬間、突然左腕にしがみついた詩音。そのまま腕を絡ませ、満面の笑みを浮かべる。
両頬にはえくぼ、下がった目尻、その表情は間違いなく十年前に『どんなことがあっても俺が守る』と誓った娘の面影。
そして俺を見上げながら、天使が言う。
「――あたし、本当はね。父さんに会いたくて、この世界に来たんだよ」
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