第5章 逃亡者

第5章 逃亡者 1

 屋敷からは逃げ出したものの、その先のことまでは考えていない。

 とりあえず決めているのは、ケンゴをマスターの魔法で日本へ送り届けることぐらい。カズラでも可能だが、彼女を日本に独りぼっちにするわけにはいかない。


「ケンゴさん、もうすぐ念願の日本に帰してあげますよ。マスター、お願いしていいですか?」

「ええ、もちろんです。こうしてお助けいただいた、ご恩もございますし」

「本当かい? 本当に帰れるのかい?」

「約束したでしょ? でも、ちょっとだけ我慢してください。ひとまず、アヤメさんの家に行ってからにしましょう」


 モリカドの魔法で外界に渡ると、日本のどこへ出るかわからない。

 ケンゴのことだから、このまま飛んでもなんとかなりそうな気もするが、備えはあった方が安心できる。

 向こうの世界から持ち込んだ荷物は、アヤメの家にあるはず。そしてその中には日本円や、向こうで着ていた洋服が入っている。


「アヤメさんてえのは、信用出来る人なのかい?」

「ええ、心配して王宮にまで忍び込んでくれた人ですからね。無事も報告してあげないと……」

「綺麗な人ですよ。ケンゴさんも骨抜きにされちゃうかも」

「おいおい、馬鹿言っちゃいけねえよ。俺には、かわいい妻と娘がいるんだからな。そんな誘惑にゃ、惑わされねえぜ」


 アザミの冗談にも、ブレない愛妻ぶりのケンゴ。

 しかし、日本で待ち受けているのは辛い現実。

 ここまでに打ち明けるチャンスは何度かあったものの、未だに話せずにいる。


 夜道を一時間ほどの逃避行。もうすぐアヤメの家に辿り着く。

 夜明けにはまだ時間があるものの、あの騒ぎで王子が囚人を脱獄させて、一緒に逃亡したことぐらいはバレているはず。

 となれば、街中に捜索の手も伸びているだろう。アヤメの家にも長居は無用だ。




「みんなぁ、無事だったのねぇ……。ほんとに良かったわぁ」


 涙を浮かべてのアヤメのお出迎え。

 チャイムを鳴らしてすぐの応対といい、やつれ気味の目の下のクマといい、心配で夜もろくに寝ていなかったのは簡単に推測できる。


「アヤメさんが、王宮まで危険を顧みずに危機を伝えてくれたお陰で、みんなを助け出すことができましたよ。ありがとうございました」

「お見事よぉ、王子様。きっとやってくれるって信じてたわぁ」


 豊満な胸を押し付けての熱い抱擁。

 さらに顔を押し付けての、キスでもされそうな勢いの頬ずり。

 思わず顔がにやけかけるが、アヤメの実年齢を思い出して我に返る。

 そんな苦境を開放してくれたのは、マスターの一言だった。


「慌ただしくて申し訳ないが、みんなの荷物を取りに来た。案内してもらえるか?」

「奥の部屋にまとめて置いてあるわぁ、こっちよぉ。あなたたちは、応接室で待っててねぇ」

「あたしも行くわ。アザミと自分の荷物があるから……」


 マスターとカズラが荷物を取りに、アヤメと共に家の奥へと消えていく。

 残された僕、アザミ、ケンゴは、玄関先に立ち尽くしていても仕方がないので、アヤメの指示通り応接室へ。

 ソファーに座り、ホッと一息ついたところで束の間の団らん。

 やっとケンゴとの再会を果たせたのに、あっという間にお別れになるとは……。


「それにしても、ありがとうな。俺なんかのことを覚えててくれてよ」

「忘れるわけがありません。ケンゴさんは、私たちの命の恩人なんですから……。ねえ、兄さま?」

「もちろん。あの時、ケンゴさんが身を挺してくれていなかったら、今頃どんなことになっていたか……」

「ああ、やっと日本に帰れるんだなぁ……。ほんと、恩に着るぜ。やっとあいつらの顔が拝めるかと思うと、心臓が破裂しそうなほど緊張してきたぜ」


 その言葉にアザミが反応、こちらをじっと見つめた。

 無言でも言いたいことはわかる、『あのことを話していないの?』だ。

 その圧力に後押しされるように決断した。やっぱり黙っているわけにはいかない。


「あの……、実はケンゴさん。帰る前に話しておきたいことが……」

「おう、どうした。何でも言ってくれ」

「じ、実はですね……。とても言いにくいんですが……」


 ――バタン!


 会話を遮るように響く音は、玄関の方から。

 どうやら、乱暴にドアが開かれたらしい。

 そしてそのまま、人の声と共にドカドカと複数の靴音が近づく。

 応接室前で歩みを止める者、さらに奥へと踏み入る者。ドア越しで姿は見えないが、やかましい音でその様子は想像がつく。


(もう国王の警護兵が駆けつけてきたのか……?)


 咄嗟にアザミとケンゴを背後にかばい、今にも開きそうなドアと正対する。

 そして、念のため発動する王族の血統魔法。

 奥の三人も気がかりだが、今はこの二人を守るのが精一杯。できることをやるまでだ。


 ――そしてついにドアが開かれる。


「いました! 三人です!」


 ドアを開き、僕たちの姿を確認するなり、報告の声が張り上げられる。

 身に纏っているのは防魔服、そして色はだ。


(ということは、こいつら……)


 部下の報告に呼応して、姿を見せたのはやはりロニス。

 国王から逃げたら、今度は反国王派。この国では、右も左も敵ばかりだ。

 そして僕たちの姿を確認したロニスは、口角をあげつつも笑顔にならない険しい目で、威勢よく啖呵を切る。


「久しぶりだな。よくよく見れば、奇しくもあの時の三人じゃないか。よもや、貴様が王子だったとはな。あの場では始末し損なったが、今度こそ片付けてやる。王位継承者の一位と二位をな!」

「どうしてここがわかった」

「王子が見つかったと報告を受け、王宮に向かってみれば馬車を止める女。なかなかの美女だったんで親切にしてみれば、『王女がさらわれたことを、王子に伝えなくちゃいけない』なんて言うじゃないか。それ以上は言うまでもないな?」


 どうしてアヤメが王宮に入りこめたのか、その謎が解けた。

 なんとか僕に惨状を伝えるために、すがった相手がロニスだったというわけか。

 反国王派の首謀者なんて知らずに話した結果、きっとここや国王私邸に監視がつけられたのだろう。

 しかし、あのアヤメの伝令がなければ、みんなを助けることはできなかった。

 アヤメの行動を責めるわけにはいかない。

 今は、どうやってこの窮地から脱するか。ただそれだけだ。


 考察を掻き消すように、ロニスの声が室内に響く。




「――さあ! こないのなら、こちらからいかせてもらうとしようか!」

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