第1章 おかえりなさい異世界 4

「――ちょ、ちょっと変なところ触んないでよ」

「きゃっ」

「おっと、大丈夫ですか? ナ……アザミ様」


 突然立ち止まり、振り返ったカズラ。

 間隔を空けずに一列縦隊で夜の道を行進していたので、玉突き衝突が起きる。

 もちろん疑われたのは、先頭を歩くカズラのすぐ後ろにいた僕だ。

 そしてその後ろにいたアザミ、最後尾のマスターも巻き添えになった。


「誤解、誤解だよ」

「誤解なわけないでしょ。今触ったじゃない、あたしのお尻」

「歩いてたら、自然と手が当たっただけだってば」


 狙ったわけではないが、当たってしまったのは事実。

 そしてその柔らかい感触を、嬉しく思ったのも事実。

 だが、認めたら間違いなく返ってくるのは罵詈雑言。


「じゃ、じゃあ、順番変えよう。カズラの後ろはアザミってことで」

「ダメよ。あんただって、この暗がりはよく見えないんでしょ? だから、後ろからアザミに見ててもらわないと、心配で仕方ないわ」

「でも、また手が当たったら……」

「当てないようにしなさいよ、この『痴漢』! 今度当てたら、後ろ手に縛ってやるからね」


 隊列を変えることも許されず、事故も許されない。

 斯くして僕は腕を振らず、ペンギンのようにカズラの後をついて歩く破目になった。




「――これはひどいですな」

「あんたたち、よくこんな所で生活してたわね」


 到着した懐かしい隠れ家を、クロルツの優しい灯りが照らす。

 誰もいない、ガランとした広い空間。

 そして、散乱したままのゴミの数々。

 密封容器に詰めたように、埃っぽい空気さえもあの時のままの気がする。

 さっそく、散らかっているゴミを片付けようとする、きれい好きなモリカド親子。

 だが思わず口を衝く、制止の言葉。


「ごめん。ちょっとだけ、そのままにしておいてもらっていいかな」

「思い出しますね、あの時のこと……」


 リュックから取り出した懐中電灯で、隅々まで照らしてみる。

 ほとんど外食だったから、痕跡はそんなにたくさんあるわけじゃない。トウモロコシの皮や芯、梅干しの種、おにぎりを包んでいた笹の葉。どうみてもただのゴミ。

 だがその一つ一つが、当時の記憶を蘇らせる。

 そして、隅に転がっていた大和煮の空き缶を懐中電灯が照らした時、感極まった。


「ひょっとしたらと思ったんだけどな……」


 思わず口からこぼれる独り言。

 ここにくるまでの道中、一歩一歩近づくごとに、ケンゴがいるんじゃないかと期待に胸を膨らませた。

 そして到着してみれば、残念な結果。

 しかも出た時のままということは、あの後もここには来ていないのだろう。

 だが、ここは仮住まいの場所。きっとケンゴは他のところで元気にしているはず。そう自分に言い聞かせながら、丸められていた紙袋を広げ、ゴミを拾い上げては片付ける。


「こんな薄汚い場所に身を隠しておられたなんて、おいたわしい限りです」

「こうして無事なんですから、気にしないでください。それに今となっては、いい思い出ですから」


 目に付くゴミを拾い集めたところで、カズラが右手をかざす。

 すると、扇風機の強ほどの風が巻き起こる。

 細かい埃が吹き飛ばされて、そこそこ奇麗になった床。そこへ、またさっきのようにクロルツの灯りを取り囲むように、輪になってみんなで座る。


「魔法? 今の」

「汎用魔法は苦手だから、あの程度の風しか起こせないけどね」

「いや、でもすごいよ。カズラの魔法初めて見たからびっくりしたよ」

「そりゃ、王女に成りすましてたからね。でも、あんただってこっちの人間のはずでしょ? ましてや王子なら、さっきのゴミごと吹き飛ばせるぐらいの風は、簡単に起こせるはずよ」


 その気になって、右手を突き出してみる。

 風をイメージして念じてみるが、やはりダメだ。起こった風は、思わず漏れたため息だけだった。


「何がダメなんだろう。構え? それとも念じ方?」

「前に教えてあげたでしょ? 型なんて効率を上げるためだけのものよ。大事なのはクローヌへの意思の乗せ方。説明しろって言われたって、できるもんじゃないわ」

「まあまあまあ、そのために魔法教官という者がいるわけですから。教官に引き合わせることも含めて、まずは今後の予定を立てるとしましょうか」


 やるべきことは色々ある。

 今マスターが言ったように、魔法教官から魔法も習わなくてはならない。

 ちゃんと落ち着ける場所も見つけなければならない。

 だが、なんと言っても最優先はケンゴの安否確認だ。


「さっそく明日は、ケンゴさんを探しに行きたいんですが」

「どこか心当たりでもございますか?」

「まずは、ケンゴさんの家に行ってみたいんだけど」

「それはさすがに危険すぎるわ。反国王派に知られてる場所なんて」


 やっぱりそうはいかないか。

 だがここにケンゴがいない以上、次に確認したい場所なのは間違いない。


「じゃあ、場所を教えますんで、様子を見てきてもらえませんか? マスター」

「そうですな。そう言うことでしたら承りましょう。ですが、あまりいつまでも人探しに割ける時間もありませんぞ」

「っていうと?」

「あんたが正真正銘の王子なのか早いところ確認しないと、いつまで経ってもアザミが危険に晒されたままってことよ」


 僕が王子として名乗りを上げる。それも、この世界に帰ってきた大きな理由だ。

 タイムリミットだってある。それはアザミの成人式典の日まで。

 アザミの成人式典が開かれなければ、王位継承者はロニスの娘に。あんなひどい目に遭わされた人物に、権力を渡すわけにもいかない。


「アザミの成人式典ていつ?」

「二十歳の誕生日に開かれるのがならわしですから、十二月三日です。兄さま」

「それで今日は、こっちでは何月何日なの?」

「六月二十八日ね」

「五ヶ月以内に、僕が王位継承者にならないといけないってわけか……」

「時間は待ってはくれません。ケンゴ様の捜索も、そんなに時間をかけてはいられませんな」


 突き付けられた捜索期間。

 そして成人式典というタイムリミット。

 思った以上に、ハードスケジュールになりそうな予感だ。




「――よし! 明日から本気出す!」

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