第1章 おかえりなさい異世界 5

「――ケンゴ様どころか、人が住んでいた形跡はありませんでしたな。ドアも壊されたままで、これは必要ございませんでした」


 マスターから報告と家の鍵を受け取り、がっくりと肩を落とす。

 ひょっとしたらとケンゴから譲り受けた鍵を持たせたが、不要だったか。

 ここにもいない。そして家にもいない。もちろん、交友関係などわからない。

 そうなると心当たりと呼べるところはもうない。

 アザミとカズラだって出会ったのは同時だし、行動もほぼ一緒。僕以上の情報を持っているはずもない。二人の沈痛な表情も、それを物語っている。


「他に何か変わった様子はなかったですか?」

「軽く中も見て参りました。埃の積り具合を考えても、あれはひと月以上は誰も立ち入っていないと思われますな」

「それじゃあ、みんなで手掛かりを探しに行っても大丈夫そうだね」



 久しぶりのケンゴの家。

 出迎えたのは、激しく壊された玄関。なるほど、鍵など不要の入りたい放題だ。

 転がる木片に注意しながら、中へと入る。

 広い家ではないが、二手に分かれて手分けすることに。アザミとカズラは、自分たちの部屋として使っていた寝室へ。僕とマスターは居間へ。


 居間は床が見えないほどに、散乱したペットボトルやガラクタの山。

 ロニスの襲撃を、必死の抵抗で撃退した痕跡だ。思わず目が潤む。

 そして窓には、カズラが攫われたときに割られた窓ガラスを修繕した跡。懐かしさ以上の、複雑な感情が心を覆う。

 ダメだ、何を見ても感傷的になってしまう……。

 だが今は、手がかりを探さなくては。交友関係やお得意さんの記録でも見つかれば、ケンゴの居場所に繋がるかもしれない。

 気を取り直して室内の物色を始めると、飛び込んできたのはカズラの声。


「――ちょっと、どういうことよ! これ」


 寝室から聞こえてきた声に身構える。賊でも潜んでいたのだろうか。

 マスターと顔を見合わせ、寝室へ。

 そして、慌てて開ける寝室のドア。

 振り返ったカズラが目に入ったと思うと、次の瞬間、もの凄い勢いで迫るドア。

 激しく額を打ち付けて、たまらず寝室の外へと転がり出る。


「またあんたなの! この変態変態変態変態、変態!」


 これでもか、と浴びせかけられる罵声。

 さらに家中に響く音を立てて、ドアが閉められた。

 少しアジクの心境がわかった気がした。


「大丈夫ですか? 王子。お怪我はございませんか?」


 駆け寄り、心配そうにのぞき込むマスター。

 だが頭の中に描かれているのは、ついさっきのカズラ。

 なぜ着替えていたのかはわからない。だがあのスレンダーで引き締まった身体は、未来永劫忘れることはない。そう確信できる。


 やがて開く寝室のドア。

 思わず見上げると、そこに立っていたのは、かつてシータウで買った庶民服を身に纏ったカズラ。

 なるほど、衣服もあの時のまま残っていたから、それに着替えていたわけか。


「見たでしょ」

「え? な、何を」

「見たでしょ」

「い、いや。そ、それは……その……」


 鬼のような形相で見下ろす、カズラ。

 端的かつ短的な言葉が、いつも以上の迫力を醸す。


「今すぐ忘れなさい。忘れないって言うなら、強制的に忘れさせてあげるわよ」


 さらに迫力を増して、睨みつけるカズラ。

 忘れられるはずがない。もう頭に焼き付いて、いつでも思い出せるほどだ。

 だが最近ではカズラのあしらい方もわかってきた。こんなときは、おだてた方が効果的。顔を赤らめて照れるのは目にみえている。


「バカだなあ。あれほどの美しい身体、忘れられるわけないじゃないか。芸術作品としていつまでも……」


 ――パァン!


 首が一回転するのでは、と思うほどの勢いで頬を張り倒された。


「ちょっと父さん。こいつ外界に捨ててきて」

「まあまあ、落ち着け、カズラ。王子も王子ですよ、素直に謝ればよろしいのに」

「ごめん、カズラ。でもドアを開けたのは、わざとじゃないから。叫び声が聞こえたんで慌てて……」

「ああ……。でもあたし、助けてなんて叫んだ覚えないわよ。『どういうことよ』って言っただけで……。まさか、あんたが!」


 一度は緩んだ表情を、再び険しくして睨みつける、カズラ。

 一体なにが『まさか、あんたが』なのか……。


「実は、その……。下着ばかりがなくなっていて……。それでカズラが腹を立てて、思わず叫んだんです。脅かしてしまってすいません、兄さま」

「僕が盗むはずないだろう。そんな暇どこにあるっていうんだよ」

「そりゃそうよね。て、ことはあの反国王派のやつらかしら。重ね重ね許せないやつらね――」


 やっと怒りの矛先がよそへ向いたらしい。

 やれやれ、やっと解放か。


「――でも、あんたも許したわけじゃないからね! さっきのこと忘れなさいよ。いいわね」

「は、はい……。きれいさっぱり忘れさせていただきます」



 結局手に入ったのは、わずかなお金と着替えの服だけ。まるでコソ泥気分だ。

 可能性の高かった二か所を訪ねても、ケンゴは見つからない。

 いよいよ胸に抑え込んでいた考えが、頭をもたげる。


(やっぱり、あのままロニスに捕まって、身柄も拘束されているのだろうか……)


 だが、おいそれとロニスのところへ乗り込むわけにはいかない。魔法で返り討ちに遭うのは必然。何しろ王族、そして軽々と捻られた記憶もまだ新しい……。

 いや、まてまて。まだロニスに捕らえられている確証はない。そんなことを考えるのは、捜索し尽くした後の話だ。

 頭を振って、縁起の悪い考えを掻き消す。


「とりあえず、ケンゴの捜索はここまでかしら」

「でも、まだ探し始めたばっかりだよ。もうちょっと探してみよう? カズラ」

「しかしながら……。あてもなく探すというわけにもまいりませんよ。アザミ様」

「あ、そうだ。攫われたカズラを探すときに手伝ってくれた人は? えーと……」

「チョージさん?」

「そうそう、チョージさん。あの人にも聞いてみたらどうでしょう。兄さま」


 確かにケンゴとも面識はある。

 藁にもすがる思いの今なら、可能性がある人物には当たってみるべきか。

 だが大きな問題が一つある。


「でも、あそこにはヘイスケもいるだろ。反国王派の手先だった」

「ああ、そうでしたね……。だとすると……」


 一斉に視線を集めたのは、もちろんマスター。

 この中で顔を知られていないのはマスターだけだから、必然的にそうなる。


「ふむ、わたくしが調べてくるのは構わないのですが、それでしたら提案がございます。先に山王子様を、魔法教官のところへご案内してよろしいでしょうか?」

「確かに。僕たちは大っぴらに動きづらいから、結局マスターに捜索お願いしてる状況だしね」

「それで、その魔法教官の家っていうのはどこにあるんです?」

「マテシュタの東のはずれでございます。ここからですと、距離もありますから馬車で参りましょう――」


 馬車と聞けば、国王の私邸に行った時のことを思い出す。

 ひどい揺れで酔いかけたことや、命からがら逃げ出したこと。そしてケンゴに大金を使わせてしまったこと。


「――そうと決まれば、さっそく馬車を手配してまいります」

「いや、ちょっと。ちょっと待って!」


 全然決まってない。制止する言葉も耳に届かず、マスターは飛び出して行った。

 取り残される三人。

 三人ともマスターのおっちょこちょいな一面を知っているだけに、不安な空気に包まれる。




(ひと騒動起きなけりゃいいんだけどな……)

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