第5章 もう一人の異邦人 2

「…………だんな、旦那ってばよ。無視すんなって――」

「近寄るな!」


 汚らしい手で肩を揺すられ、我に返る。

 シータウにもそこいらじゅうに居た、人生を捨てたような人々。

 不意にそんな男に近寄られ、どん底の生活を送っていた昔を思い出してしまっていた。

 男を再度振り払う。しかし、男はしつこく付き纏う。


「へっへっへ、そう冷たくすんなってばよ。旦那もよお、これから新しい生活始めるつもりなんだろ? だったら――」

「いい加減にしろ! それ以上話し掛けたら容赦しない」


――咄嗟に右手を突き出し、左手を添え、威嚇してみせる。


 しまった。ここはヒーズルではない。

 魔法のないこの世界で、こんな構えをしたところで威嚇になるはずもない。構えついでに本当に使えないのか試してみたが、やはり魔法は発動はしなかった。


「お、なんだ、旦那。あんた、魔法でも撃つつもりかい?」

「む。貴様は魔法を知っているのか?」

「当たり前じゃねえか。魔法使いやら、魔法少女とやらが空を飛び回ったり、人を氷漬けにしたりと大活躍だからな――」


 この世界では魔法は使えないと聞いていたのに、一体どういうことなのか。

 それに、魔法使いはわかるが、わざわざ別に分類される魔法少女とは一体……。


「――物語の中で、だけどな」


 この世界でも魔法を使う方法があるのかと、期待した私がバカだった。

 だが、魔法が存在しないこの世界にも、その言葉や概念のようなものがあるのは興味深い。


「と、とにかく……。私のことは放っておいてくれ」


 こんな男と、会話を弾ませてしまったこと自体が屈辱的だ。

 男に背を向け、道の隅に膝を抱えて小さくなる。また変な奴に絡まれると面倒だ。

 しかし、ここは本当に道なのだろうか。

 座り込んでも服が汚れないほど奇麗だし、表面に光沢すらある。とするとこれは廊下? ひょっとして、今入り込んでいるのは誰かの家の中なのだろうか。いやいや、だったらこれだけ多くの人々が行き交うとは思えない。

 やはり外界は謎だらけ、一人置き去りにされたこの状態ではどうすることもできない。ここで一夜を凌ぎ、明日になったら同胞のいる拠点に向かい、合流しなくては。だが、本当に可能なのだろうか……。


 昼間と見まごうようなこの地下の風景も、店が次々と金属のカーテンを降ろして閉められ始めると、明かりも消えだしてここにも夜が訪れるらしい。祭りかと思う程の賑わいもなくなり、静寂に包まれる。どうやら、これで静かに眠れそうだ。


「ちょっと、あんた。こんな所で寝られちゃ困るんだよ。帰った、帰った」


 厳つい服に身を包んだのような人物が、左手に持った光る筒で私を照らしながら声を荒げた。

 この世界の仕組みなど全然わからない。無視して寝ようとすると力ずくで身体を起こされ、さらに激しい口調で詰め寄られる。


「言葉わかんないの? あんた外国人? ちょっと交番まで行こうか」

「まあ、まあ、まあ。すぐに連れていくんでご勘弁を」

「お前の仲間かよ。臭せえから、とっとと連れて消えろよ」


 現れたのは、さっき私に付き纏った体臭のきつい男だ。

 やり取りを見るに私をかばってくれたようだが、礼を言う気は起きない。そして、昔の貧しかった時代を思い起こさせるこの男には、体臭も相まって嫌悪感しかなかった。


「ここは夜になると閉鎖されちまうんだ。こっち来な」


 どうやらこの男についていけば、一夜を凌げる場所に案内してくれるようだ。好きにはなれないが背に腹は代えられない、素直に男についていく。


「旦那も世の中が嫌になったって口かい? それとも……」

「貴様と一緒にするな」

「へへへ、そいつはすまなかったな」


 同類と思わたようで、さらに嫌悪感が増す。

 しかし、一体どこまで連れていこうというのか。

 この廊下のような道は、明かりの大半が消されてしまって薄暗く、どこも同じに見えてしまう。何度も同じ所を回っているのでは? そんな疑念も浮かぶが、今はこの男に付いていくしかあるまい。

 階段を上り、地下から地上へと出ると冷たい風が吹き付け、一気に眠気を吹き飛ばす。身体を縮こまらせ、身震いをすると男が毛布を差し出してきた。


「使いなよ。さっきゴミ置き場から拾ってきたばっかりだから、そんなに汚くないぜ」


 この世界では、本当にこんな上等な物がゴミとして捨てられているのか?

 男の『そんなに汚くない』という言葉が気になり、薄暗い街灯の下で確認してみたが、使い古した感はあっても確かに汚くはない。借りを作るのは癪だが、面子を優先するあまり、この寒さの中で凍えて死んでは元も子もない。


「す、すまない。使わせてもらう」

「俺は拾っただけだから、礼なら捨てた奴に言ってやるんだな」


 毛布で身を包み、またしばらく男について歩くと、公園のような所へ入っていく。

 そこには青いツルツルした布や、とても分厚い紙で作った小屋が何軒かあり、中へと招き入れられた。

 招き入れた男も、案内してくれた男に負けず劣らず体臭や口臭がきつかったが、もはやどうでも良い。今はとにかく早く眠りたい。


「新入りらしいんだ。とりあえず、今晩だけでも泊めてやっちゃくんねえかな」

「おう、お前の頼みなら仕方ねえな。で、お前さんは泊まっていかねえのかい?」


 二人の男のやり取りを、朦朧としてきた頭の中でぼんやりと聞く。

 ダメだもう眠い、限界だ……。

 家主の許可を得るまでもなく、すぐさま小屋の中で身体を横たえると、そのまま気が遠くなり、深い眠りに落ちていった……。




「――達者でな。防魔服の旦那」

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