第5章 もう一人の異邦人
第5章 もう一人の異邦人 1
――これが外界という所か。
魔法は使えず、文字は読めない記号の羅列、そしてこの寒さ。
地面はとても固く、断崖絶壁のように高い建物が立ち並び、それぞれに上から下まで明かりが灯されている。
かなり上を見上げなければ見えない空は、吸い込まれるような漆黒だからやはり夜なのだろう。それなのにこれほど街全体を明るくするなど、一体どれだけの魔力が必要なのか。いや、外界には魔法は存在しないのだった、だとしたらどうやってこの明るさを得ているというのか……。
一瞬の闇の後に吐き出されたこの土地に降り立って、激変したこの環境に頭がおかしくなりそうだ。事前に話を聞かされていたから良いようなものの、何の知識もなくこんな場所に放り出されたら、きっと路頭に迷った末に野垂れ死にだろう。
「くそっ、なんで私がこんな目に……」
それにしてもあの女、何度思い返してもはらわたが煮えくり返る。
王女だと欺かれた上に外界に飛ばされるなど、これ以上ない屈辱だ。
あの魔法は、遠い昔に目の前で見たあれと同じに違いない。そう、抱えた王子と共に目の前から忽然と姿をくらまし、同時に激しく吹き荒れた風に飛ばされて、しこたま壁に叩きつけられたあの魔法だ。
となればあれは王女の侍従、モリカド一族に違いない。
我々、反国王派の中にもモリカドの血を引く者は居る。その者たちから得た、血統魔法の話に照らし合わせれば説明がつく。
――しかし、外界というところは一体何なのだ。
ついさっきまで、防魔服一枚ですら鬱陶しく感じるほどの暑さだったのに、今ではヒーズルの冬に負けず劣らずの寒さだ。
そして、寒さしのぎのために地下へ続く階段を下りてみれば、そこは地上以上に明るい、まるで昼間のような街だった。外はとっくに日が落ちているというのに開いている店の数々、そしてすれ違う人々のなんと多いこと。祭りでもやっているのかと思ったが、俯きながら歩くその陰鬱な表情を見ればそんな様子ではない。
こんな服装なのでとても寒いが、この地下の街は思ったよりも暖かい。この分なら何とか耐えられそうだ。とりあえずここで一夜を明かし、昼になったら外界の拠点に向かってみるとしよう。
そう考えた矢先、誰か肩を叩く者がいる。
「よお、旦那。新入りかい?」
鼻を突くような酸っぱさを感じる体臭に、吐瀉物でも口に含んでいるのかと思わせるような口臭。煤で汚れたような色の、穴だらけのぼろ布を幾重にも身体に巻きつけた衣服。髪は伸び放題に伸び、ひげも伸びるにまかせた状態で、精彩を欠いた眼はまるで死んだ魚のようだ。
「触るな!」
――肩に置かれた彼の手を振り払うと同時に、思い出したくもない幼い頃の記憶が目の前に蘇る……。
「没落貴族ー」
「やーい、魔抜けの子ー」
どっちも本当のことだから言い返せない。
父はそれなりに名のある貴族の一人息子だったが、魔力を持たずに生まれた。もちろん魔力がないからといって、いきなり地位を剥奪されたりはしない。たとえ、自分に魔力がなくても子供が魔力を持って生まれてくれば、成人し次第家督を継がせ、素知らぬ顔をして自分の代をやり過ごすことは珍しくない。
全ては要領次第なのだが、不器用な父は事もあろうに酔った勢いで口論となった相手から、決闘を挑まれるという失態を犯した。
――決闘。
武器や防具は持たず、素手で対決するのが伝統だ。
もちろん魔法の使用は制限なし、結果的に魔力の強い者が圧倒的優位に立つ。
勝敗は命のやり取りまで発展することもあったが、大抵はどちらかが負けを認めたところで決着がつく。負けた者は勝った者に対し屈服という、自尊心の塊のような貴族としては、最大限の恥辱が待ち受けている。
だが、今時の貴族は決闘など普通はしない。
もちろん、禁止されているからという理由もあるが、勝負に意味などほとんどないからだ。
大昔は、貴族同士の序列争いで決闘に明け暮れた時代もあったらしい。だが、そのときの決闘の積み重ねで、家柄による魔力の強弱の序列というものが自然と出来上がった。魔力が伯仲している家同士ならいざ知らず、大抵はその序列通りに決着がつく。
格下から見れば、下剋上などそうそう起こらない上に痛いばかりで、得るものはただ相手より優位に立てるというだけ。格上から見れば格下の者を改めて屈服させても何の意味もない。それよりも、負けたときに失うものを考えたら、決闘など不毛でしかないのだ。
――金持ち喧嘩せず。
格式の高い家柄ほどその風潮は強い。
もしも格下に負けたりすれば、これまでの力関係が一変、さらに格下から難癖をつけては決闘を挑まれ、その都度序列を下げる事態もあり得る。
だから、そもそも決闘を挑まれないように格下の者には手厚く、媚びることなく敬意を持ってもらえるよう立ち振る舞い、円滑な人間関係を構築しておくべきなのだ。人徳のある人物にまで下剋上を挑むほど、今の貴族同士の関係はギスギスしていないのだから。
その点でも父は要領が悪かった。
挑まれた決闘のせいで『魔抜け』と呼ばれる、親から魔力を引き継げなかった者だということが露呈した。そして元々、人間的にも好まれていなかったせいで、勝ち目のない決闘を挑まれ続ける結果となる。
後は絵に描いたような転落の一途。
不名誉とされる決闘拒否を繰り返し、貴族としての誇りは地に落ちた。そうなると、労働者や奉公人からもそっぽを向かれ、生活もままならなくなる。
マテシュタに居を構える貴族という身分から一転、シータウで味わったどん底の生活。屈辱的な言葉で毎日蔑まされ、魔力で全てが決まるこの世の中に憎しみを募らせていった。
同じような不満を持つ者同士で決起して、反乱を起こしたこともある。しかし、それも国王の強大な魔力にねじ伏せられ、呆気なく失敗に終わった。だが、そのときに悟ったのだ。
――力だ、全ては力だ。
魔力、権力、財力、とにかく力を持たなければ、虐げられてきた恨みを晴らすことはできない。しかし、魔力は今さら増えない。そして権力、財力ともに魔力絶対主義の元では、魔力に見合ったものしか手に入らない。
それならばと大きな力に擦り寄った。この国で二番目に大きな力となりうる人物、『ソウガ=ロニス』に。そして、この男にこの国最大の権力を与えて裏から操れば、権力は私に与えられたも同義だ。
「――必ず、私は大きな力を手に入れてみせる」
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