第13章 闇の中へ再び 2

「――もう、兄さまたちは着いたかなー」


 十分も経たないうちに、同じ言葉を繰り返すアザミ。

 気持ちはわからないでもないけど、さすがに同じ返答をするのも面倒になってきた。


「まだでしょ。まだ、十時過ぎたばっかりよ」

「そっかー」


 コタツに入って、ミカンの皮を剥きながらテレビを見ているけど、内容なんてちっとも入ってこない。本音を言えば、あたしも思っていることをアザミが先に口に出してくれるので、救われている気もする。

 むしろ、心配なのは主任だ。

 さっきからテレビの方を向いてはいるけど、目の焦点が合っていない。

 仕事で遅くなってしまって、帰ってきた時にはもう二人は出発した後だったのだから、今は心残りの塊だろう。掛ける言葉が見つからない。


「主任さん、お茶入りましたよ。主任さーん」


 さすがアザミ。彼女の辞書には物怖じという言葉はないらしい。

 しかも、返事が返ってこないからって、あそこまでしつこく食い下がれるなんて。


「主任さん、お茶ですよー」

「……あ、ありがとう…………。あっちゃちゃちゃ」


 ぼんやりしていたようで、湯飲みを掴み損ねて、差し出した右手にお茶を浴びる主任。火傷していないか心配だけど、少しは抜けかけていた魂が帰ってきたみたいだ。


「いくら考えてもひどいと思わない? 最後の挨拶が電話なんてさ……。そりゃ時間までに帰ってこれなかったあたしも悪いわよ。でも……でも、あと三十分ぐらい待っててくれても良かったじゃない。ねえ、そうは思わない? アザミちゃん、カズラちゃん」

「あ、ええ、そ、そうですね。兄さまも、もうちょっとぐらい待ってあげても良かったですよね」

「で、でも……。また主任さんの顔見ちゃったら、別れ辛くなっちゃって出発がどんどん遅れちゃってたわよ。きっと……」


 こんなことなら、もうしばらく魂を彷徨わせてもらってればよかった。

 お茶しか飲んでいないはずなのに、酔っ払いに絡まれている気分。

 とはいっても、やっぱり最後に顔を合わせることなく旅立たれた主任には、どうしても同情心が湧いてしまう。普段だったら『メソメソしないの』と一喝するところだけど、今日ばかりは慰めの言葉しか出てこなかった。


 主任の携帯電話があまり聞いた覚えのない、いつもとは違う着信音で鳴る。

 テーブルの上からひったくるように掴むと、主任はそのまま居間から出て行った。


「ねえねえ、アザミ、今のって男の人からなんじゃない?」

「うーん……、確かになんかいつもと雰囲気違ってたねー」

「彼氏かしら?」

「でも主任さんて、兄さまが好きなんじゃないのかなー」

「あ、やっぱり? それはあたしも間違いないと思うわ」


 あんなにみえみえの態度の、主任の気持ちに気付かないのは王子ぐらいのものだ。

 わかってる上で、はぐらかしてるんじゃないかとすら思えてくる。だとしたら、他に意中の人でも居たりするんだろうか……。いやいや、なんでそんなことを考えているんだあたしは。


 電話を終えて戻って来た主任は、妙に表情が険しい。

 何か面白くない内容だったのだろうか。


「やっぱり、じっとなんてしてられないわね。あたしたちも行くわよ」

「行くってどこへですか?」

「決まってるでしょ、二人の所よ」


 突然の提案に思考が追い付かない。どうして急にそんな話になるのか。

 でも、主任がここまで抑えつけていた感情が限界に達して、ついに爆発してしまったのは間違いなさそうだ。

 今まさに、父さんと王子が行動を起こそうとしているこの時に、こんな所でくすぶっているのはあたしだって耐え難い。でも、話し合いで決まったことだからと気持ちを抑えつけていた。


「よーし、行っちゃいましょ!」

「私も行きます!」


 主任の言葉に感情が抑えきれなくなり、手を上げて同調する。

 力強く同意するアザミも、きっと同じ気持ちだったんだろう。何のことはない、みんなこんな所で黙っているのは我慢ならなかったんだ。


 みんな普段だったら支度に三十分は掛かるはずなのに、あっという間に準備完了。

 部屋着にコートを引っ掛けた程度の、着の身着のままと言っても過言じゃない服装で、駐車場の主任の車に一斉に乗り込む。

 助手席に座った途端、足元から寒気が襲ってきた。

 でも今さら戻っている暇はない。助手席でシートベルトとやらを締めて、そのまま小さく身体を丸める。


「でも、今から行って間に合うの?」

「絶対、間に合わせるわよ。この子の命に替えてもね」


 そう言って主任は、ハンドルを軽く叩きながらエンジンを掛ける。

 何度も乗せてもらっているこの車は、まるで主任の相棒という感じで、生き物ではないはずなのに愛着すら湧いてくる。

 主任の「さあ出発するわよ」の掛け声と共に、その相棒は『任せておけ』とでも言わんばかりに、やや高めの音で一度大きく吠えると、あたしたちを乗せて力強く走り出した。



 どこまでも続く単調な景色の一本道から外れてしばらく走ると、普段良く見かけるような街中の景色へと周囲が様変わりする。さっきの道は信号もなくて快適に走っていたのに、ここは道も狭まり信号にも阻まれ、一気にイライラが募り始める。


「ナビによるとこの辺のはず……、なんだけど」


 主任は、地図を映し出している小さいテレビのような物とにらめっこしながら、独り言を呟く。そして、携帯電話も活用して色々調べているのか、必死に操作している。

 ああ、こんなことならもっと日本語を勉強しておくんだった。勢い付いて一緒に乗り込んだものの、あたしは何の役にも立てていない。


「ここかしら」


 いくつも白線で四角が描かれている空き地へと、車が入っていく。

 そして、何もないと思っていた所に一台だけ、今乗っているこれよりもかなり大きい車が停まっていて、その車の運転席をライトが照らし出す。


「ユウノスケ!」

「ユウちゃん!」


 二人が同時にびっくりした声を上げると、主任は何やら叫び始めた。


「お父さん、お母さんごめんなさい! 先立つ不孝をお許しください!」


 いやいや、それって自殺するときの言葉じゃないの、縁起でもない。

 そう思っていたけど、やがてその言葉の意味を理解する。


「ちょっと、ちょっと。危ない、避けて、避けてー!」


 目の前にユウノスケの乗る車が迫る。しかも速度を落とすどころか、早めながら一直線に。目前に大きく迫る車から目を背け、身の安全を確保しようと頭を抱えて備える。

 次の瞬間、いかずちの魔法を浴びせられた時のように、耳をつんざく音と衝撃に襲われる。一瞬、前方へ向かって身体が浮き上がったように感じたけど、その後のことは良くわからない。気付いた時には目の前は真っ白い物で視界を塞がれ、元々座っていたように、座席にシートベルトで繋ぎ止められていた。


 どうしてここにユウノスケが?

 そして、なぜ主任はそこに自分の車をぶつけた?

 次々と浮かぶ疑問に、納得のいく理由を見つけられずに呆然としていると、隣で主任が大声でまくし立てている。その声に正気を取り戻して主任を見ると、額から鮮血が、顔のくぼみをなぞるように顎へと達していた。


「あたしはいいから、早くあっちを!」


 大声で叫びながら主任が指差す先を目で追うと、さっきまで膨らんでいた白い風船のような物は既にしぼみ、ユウノスケよりも後ろの座席に座る人影が目に入る。


「父さん!」

「兄さま!」


 二人とも後ろ手で縛られ、猿ぐつわをされているらしい。

 その姿が目に入った瞬間、頭で考えるより先に身体が動く。シートベルトを外し、ドアのすぐ横に詰め寄る男をドアを蹴り開けて跳ね飛ばす。なりふりなんて構っちゃ居られない。あたしは車の外へと飛び出した。




「――あんたたちは反国王派ね。ちょうど、むしゃくしゃしてたところなのよ。モリカドカズラが相手してあげるわ。相手があたしだったこと、光栄に思いなさい」

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