第9章 忘恩の徒 5
「――山王子くん、納得いく説明をお願いするわ」
迫力ある音で映画を映し出していた、部屋の広さに見合う大画面の液晶テレビをリモコンで消すなり、主任はそれに負けないほどの迫力ある口調で切り出した。
十二畳ほどはあろうかという広々としたリビングに、僕、アザミ、カズラ、マスターの四人が並んで正座し、テーブルに頬杖をついたまま睨みつける主任と向き合う。
一体どこで行き違いがあったというのか。
「お伺いしても大丈夫っていう話だったんで……。お言葉に甘えさせてもらいました」
「ええ、確かに。それで、あなたと妹さんまではわかるわよ。でも、この二人は何?」
先日掛けてもらった、『困ったことがあったらいつでも頼ってらっしゃい』という言葉を思い出して、それに甘えたつもりだった。
しかし、確かに人数までは知らせなかった気がする。
そこに追い打ちをかけるように、この状況に痺れを切らしたカズラがヒソヒソ声で責め立てる。
「……ちょっと、あんたが信用できる人だから大丈夫って言ったんでしょ。どうしてくれんのよ……」
「そこ、コソコソしない!」
主任に一喝されて思わず背筋が伸びる。
その言葉にカズラが反抗的な態度を取るのではと内心びくびくしたが、どうやら今はここに世話になるしかない状況を察したのか、強気な態度は抑えているようだ。
そう、今は主任の怒りを鎮めるのが最優先だ、こちらからの刺激は避けつつ原因を探らなくては。
「――困ったことができたんで、お宅にお邪魔してもいいですか?」
突然、主任がポツリと呟く。
これはさっきタクシーの中で、僕が主任に送ったメッセージだ。
主任は自分の携帯電話を眺めながら、さらに続きのやり取りを抑揚もなく読み上げていく。
「まだ帰宅途中だから九時過ぎならいいわよ。
ありがとうございます。その頃お伺いします。
以上。そして、ドアを開けたらこの有様……」
確かにそんなやり取りだったと思う。
そして、ここに到着したのは九時半ぐらいだったはず。遅刻ということはない。
以前、とりあえずのような謝り方をしてひどい目に遭った記憶が頭をよぎる。ここはしっかりと、主任が怒っている理由に対して謝罪をしなければ、また先日の悪夢が甦ることになるだろう。
「突然、大勢で押しかけてしまってすみませんでした。慌てていたとはいえ、事前に人数をちゃんと伝えておくべきでした」
怒っている理由はこれしかない。
自信をもって、誠意を示すように深く頭を下げる。
しかし、主任から返ってきたのは深いため息だった。
「うーん……。やっぱり、兄さまはわかってないみたいです」
アザミはそう言うと、すっくと立ちあがる。
そして、主任の元へ歩み寄り何やら耳打ちをすると、今度は密談が始まる。時折こちらに向ける視線は、二人揃って冷ややかだ。
こんな光景は覚えがある、あの時は二人揃って家から出て行ったのだった。
ここは主任の家だから、まさか同じ事態にはならないだろうが不穏な気配が漂う。
「じゃあ、そういうことだから。行きましょう、アザミちゃん」
「はい」
同じ光景に同じ言葉まで繰り返されては、さすがに動揺が隠せない。
あの時は僕を懲らしめるための芝居で終わったが、二度目は冗談で終わらせてもらえないような気がして焦燥感に駆られる。
「ちょ、ちょっと。行くってどこへ」
「どこでもいいでしょ。あなたは異世界でもどこでも行ってらっしゃい」
「さようなら、兄さま」
「待ってくれ。行かないでくれ」
示し合わせたように顔を見合わせて互いに頷くと、ゆっくりと二人が居間から出ていく。
慌てふためく僕の様子にただ事でない気配を感じ取ったのか、ここまで静観していたカズラとマスターも慌てて引き留めに入る。
「王女様お待ちください。どこへ行くと言うんです」
「ちょ、ちょっとアザミ。外は危険よ」
「主任もアザミもどこへ行くんですか」
三者三様の必死の引き留めに、二人の足が止まる。
そして、振り返った主任が真顔で答える。
「台所だけど?」
「私もです。飲み物を取りに行くから、手伝って欲しいって頼まれたんです」
また騙された。
今のみんなの慌てぶりに気が済んだのか、主任は機嫌を直したようで台所へと消え、アザミもそれに続く。
居間に残された三人は気まずい空気だ。
勝手に盛り上がってしまった僕に、冷たい視線が二本突き刺さっているのを実感する。
「気を揉みました。何事もなくて何よりでございました」
「まったく人騒がせね。何か後ろめたいことでもあるわけ?」
とても居たたまれないが、行き場もない。
上手い言い訳も見つからないので、他人の家ながらリモコンを手に取り、勝手にテレビのスイッチを入れる。説教が始まる前に映っていた映画がちょうど終わろうとしているところだったが、そちらに集中する振りで気まずさをごまかす。
大きなペットボトルを両手に一本ずつ抱えた主任と、缶ビールとグラスを載せたお盆を持ったアザミが居間へと戻る。
缶ビールは当然ながら主任、マスター、僕の分。そしてアザミとカズラのグラスにジュースが注がれると、何となく乾杯というムードになる。
「じゃあ、とりあえず乾杯!」
「乾杯」
勢いに乗せられてついつい乾杯してしまったが、思い返せば今日はめでたさの欠片もない一日だった。
家はどうなっているのだろう。窓ガラスは割られ、床は傷だらけ、居間のドアだって玄関側はどうなっているやら……。
そして何より、戸締りなどしていないから侵入し放題、現金類は持ち出せたとはいえ、電器製品など換金可能な物も少なくない。極めつけはパソコンのハードディスクが無防備なままだ。
思い出したくない景色を頭に浮かべてしまった僕に、早くも顔を赤らめつつある主任が声を掛ける。
「――それで? 何があったって言うの? 王子様」
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