第9章 忘恩の徒 4

 タクシーが出発して間もない頃は、脱出の興奮が持続していたせいか、みんな表情も明るかった。しかし、時間が経つにつれて車内が少しずつ、ギスギスとした空気に包まれていく。


「この度は、危険な目に遭わせてしまい申し訳ありませんでした。レオ王子……あ、いえ、山王子様。そして王女……いや、えーと……」

「アザミよ。父さん、名前の覚えられない老人みたいになってるわよ」

「まあまあ。こうして全員怪我もなく、無事逃げ出せたんだから良かったじゃないか」

「何、言ってんの。無様に足を捻った怪我人が居たでしょ」


 ぐうの音も出ないという奴だ。

 カズラがいつにも増して毒づいているのは、先ほどの襲撃に相当に腹を立てているからだろう。


「カズラ、その言い草は何だ。そもそも、お二方を危険な目に遭わせたのはお前の不始末だろう」

「いいえ、さらに遡って言うと、そもそもは父さんのせいなのよ。わかってるの?」

「ほ、本当なのですか? 王……いえ山王子様、ナデ、ナデ……アザミ様」

「いえ、僕は直接聞いたわけじゃないので、何とも……」

 

 確かに、ユウノスケがマスターの家を突き止めたことが発端になっているとは聞いたが、こんなところで親子喧嘩を助長しても仕方がないのでお茶を濁す。アザミも、この場を何とか鎮めようと必死な様子だ。


「私も、『ユウちゃんなら大丈夫』なんて言ったのもいけなかったんです。だから、二人とも落ち着いて、ね」

「そうよ、全てはあいつのせいよ。何度思い返してもユウノスケの奴、腹が立つわ」


 怒りの矛先がよそへ向いたので、親子喧嘩は終息の気配だ。

 しかし、今のカズラは全方位反撃体勢。どんな言葉を掛けても、間違いなく毒舌が返ってくる。触らぬ神に祟りなし。みんなそれをわかっているようで口をつぐんだ。

 訪れた静寂も束の間、今度は車内に携帯電話の着信音が響く。

 どうやら、鳴っているのはカズラの携帯電話だ。表示された発信者を見て表情を険しくさせると、カズラは迷わず拒否のボタンを押した。

 ここにいる四人以外に、カズラの携帯電話を鳴らせる人物など限られている。間違い電話でないとすれば、考えられる相手はユウノスケだろう。


 やや時間を空けて、またカズラの携帯電話が鳴る。

 その着信音に、今にも爆発しそうなほど苛立ちを募らせているようなので、電源の切り方を教えてひとまず落ち着かせる。


「さっきの幼馴染からなんだろ? 出てみたらいいんじゃない?」

「知らないわ、あんな奴。それに、あんな裏切り者と話すことはないわ」


 取り付く島もない。

 だがさっき、ユウノスケは必死に弁解しようとしていた。もちろん嘘かもしれないし、うわべの取り繕いかもしれない。それでもまだ二人は彼の言葉をちゃんと聞いていない。

 もしも、誤解や行き違いがあったとしたら……。そう考えると、このまま幼馴染という貴重な関係を壊してしまうのは、とてももったいなく思う。


「まだ、裏切ったとは言い切れないんじゃないかな。何か事情があったかもしれないし、騙されてたのかもしれない」

「うんうん、話だけでも聞いてあげたらどうかな。カズラ」

「話を聞いてあげた結果がこれでしょ。もう幼馴染でも何でもないわ、そもそも、あいつは反国王派なんだしね」


 やはり、今は何を言っても無理か。

 しかし、そこまで強く拒む理由でもあるのだろうか。ここまで頑なだと、二人の間には何か特別なものがあるのかと勘繰りたくなってしまう。


「ユウノスケ君が反国王派に属しているのは、父親が寝返ったからというだけの理由みたいだがな……」

「じゃあ、そもそもあいつの父親はどうして寝返ったのよ。父さん知ってるの? あいつの父親のこと」

「もちろんだ。もっとも、寝返って以降は交流も途絶えてしまったが」

「私も聞きたいです。ユウちゃんのお父様のこと」


 アザミは結構、噂話好きだ。こういう話になると目を輝かせる。

 王女であるアザミからも直接せがまれ、マスターは慌てて親子の会話から、丁寧な言葉遣いに切り替えて返答を始める。


「ええと、……ア、アザミ様もでございますか。あまり楽しい話ではございませんよ……」

「焦らさないで、早くしてよ」

「実は彼の母親、つまりユウノスケ君の祖母は、こちらの世界の人物なのです。

 その影響からか彼の代から急激に魔力が低下し、本人もそれを嘆いておりました。彼の父までは重責を担う役職に就いていたのですが、それも伝令役ばかりとなりました。

 ここから先は推測ですが、自分の力の及ばないところで出世の道を閉ざされ、現状に嫌気が差したのではないでしょうか。魔力絶対主義のこのご時世では、覆しようがございませんからね」


 またか。

 事あるたびに聞く『魔力絶対主義』。みんなの足かせにしかなっていないように思えるが、どうしてここまで廃れずに続いているのだろう。半月間の観光程度にしか過ごしていない僕には、知り得ない事情か。


「そんなお父様を見て育ったら、同じ考え方に染まって当然ですよね」

「で、でも……。だからといって、あいつが裏切ったことには変わりないわ」

「彼の父親も失踪したという話ですから、義理立てし続ける必要もないのですがね」


 表面上は相変わらずだが、アザミの同情的な言葉にカズラも少しは感化されたようだ。先ほどのイラつきは収まり、表情もやや柔和になったように見える。

 やや重いユウノスケ一家の身の上話も一段落つき、言葉が途切れる。

 すると、静まった車内の沈黙を突いて運転手が口を挟む。


「――お客さんたち、ひょっとしてラノベ作家と編集さん?」


 突然の割り込みに動揺が走る。

 ここがタクシーの車内だという意識が完全に飛んでいた。

 会話に出てきた『王子』、『王女』、『魔力』なんて現実離れしたものばかり。慌てて台本の読み合わせと取り繕ってごまかす。

 こんな苦し紛れが通用するはずもないだろうと、ルームミラー越しに運転手の顔色を伺うと、ちっとも気に留めていない様子で運転に集中している。彼にとっては業務上の会話程度のものなのかもしれない。緊張して損した気分だ。



「お客さん、着きましたよ」


 ずいぶんと長い時間揺られたが、やっと到着。

 降りるなり、そびえる建物を見上げる。そして、支払いを済ませたマスターが降りてくるのを待って、重厚な造りのエントランスへと入る。

 さっそくのお出迎えはオートロックのドア。そして、すぐ横にはドアを開けるための操作盤。だが、カズラは普通の自動ドアぐらいにしか思っていなかったようで、ドアの前に立っても開かないことに腹を立てる。


「ちょっとー、何よこれ。壊れてんじゃないの?」

「兄さま……大丈夫なのですか?」

「まあ見てなって」


 操作盤に手を伸ばし、部屋番号を入力する。

 この世界では特に珍しいものでもないので当たり前に操作するが、アザミとカズラから敬意を持って見つめられている気がして、ついつい鼻が高くなる。


『はい、どちら様?』

「山王子です。さっき連絡した通り来ちゃいましたが、大丈夫ですか?」

『大歓迎よ。すぐ開けるわね』


 短いやり取りの後、静かに入り口のドアが開く。

 アザミとカズラは何が起こったのか良くわかっていないようで、不思議そうな表情を浮かべながら恐る恐るドアをくぐる。僕はマスターと一緒に後から入ったが、なんだか好奇心旺盛な子供を連れた保護者気分だ。


 エレベーターに乗り、いよいよ部屋の前に到着。

 僕がインターホンへと手を伸ばそうとすると、アザミがコートの背中の部分を引っ張り、不安そうな声を漏らす。


「ここどこなんですか? 兄さま、ちょっと怖いです……」

「心配ないよ。中に入ってのお楽しみだ」

「あんたの『心配ない』って言葉が一番心配なんだけど……。それに、こんな時間に押し掛けて本当に大丈夫なの?」

「さっきも大歓迎って言ってたろ。大丈夫だよ」


 心配するみんなを何とかなだめ、軽く深呼吸して息を整えてからインターホンをそっと押す。

 すると、玄関へと室内を走ってくる音がバタバタと、ドア越しにも近づいてくる。


「山王子くーん、いらっしゃーい。待って……た、わ……よ」


 弾むような声、そして包み込むような優しい笑顔と共にドアが開いたのは、見間違いではないはず。しかし、今目の前に居るのは紛れもなく、会議室で説教をしているときの主任そのものだ。




「――なによ、この大人数は。そんな話聞いてないわよ」

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