第9章 忘恩の徒 3

 玄関の方から聞こえてくるのは、携帯電話での話し声か。

 どうやら外でも動きがあったらしいし、今は作戦を立て直している最中なのだろう。このドアを押す手が止まっている隙に、まずは僕自身が自由に動けるように、ドアの重しを追加しなくては。


 アザミを呼び寄せ、ちょうどドアの向かい側にある洋服ダンスを、二人がかりで一気に移動。

 これで本の詰まった本棚、そして洋服ダンスと、大きい家具二つで塞いだのでだいぶゆとりができる。だが、まだ安心はできない。さらに台所から、多分この家で一番重い冷蔵庫を持ってくる。

 普段なら、床にも本体にも傷をつけないように慎重に移動するのだが、今は速度が最優先。なりふり構わず、力任せに押し運ぶ。おかげで、四年間丁寧に使い続けたフローリングの床には、熊が爪でえぐり取ったかのような、見るも無残な襲撃の爪痕が刻みつけられた。


「ちょっと、そろそろ増援が来ちゃうわよ」


 焦りの伺えるカズラの叫び声にベランダを見ると、ロープを登ってきた増援が手すりに手を掛けている。冷蔵庫の移動もちょうど終わったので、応援のためにカズラのところへ。

 今は窓で男の腕を挟み込んでいるから対処できているものの、手を離せばあっという間に腕を抜かれてそのまま窓を開け、室内に侵入してくるのは間違いない。このままでは誰かがここに残らなければならず、全員揃っての脱出は不可能だ。なので撃退は無理でも、逃げるだけの時間を稼ぐ手段に出る。

 スタンガンを手に取りスイッチを入れ、窓から突き出ている腕にゆっくりと近づける。


「――うわあ、やめろ。やめてくれ!」


 窓越しにだというのに、男の叫び声が室内にも届く。

 この男は、スタンガンを知っているのだろうか。いや、たとえ知らなくてもこの青白い火花とバリバリ響く音を聞けば、本能的に恐怖心が湧き起こるだろう。

 スタンガンを押し付けた瞬間、男はビクリと身体を硬直させ、次の瞬間にぐったりとする。だが手は緩めず、取扱説明書に書かれていた通り、五秒ほど押し付け続ける。

 加勢のためにベランダに降り立った男は、顔を引きつらせながら手出しを躊躇している。目の前で動かなくなった男を見て、この男もまたスタンガンに恐怖心を感じたのだろう。


「カズラ、行くぞ。アザミもおいで」

「わかったわ」

「はい、兄さま」


 最初の男は窓ガラスから腕を深々と突き入れたまま、ぐったりと気を失ったかのように動かない。この隙に三人揃って逃げるべく、台所へと向かう。

 ベランダはエアコンの室外機を置いただけでゆとりのない、普段洗濯物を干すにも一苦労の猫の額ほどの広さしかない。そんな場所でいかつい男が、これまた体格の良い、動かなくなっている男の腕をガラスに気を付けながら、一度窓を閉めてそっと引き抜くとなるとそれなりに時間を要するはず。

 ギロチンの要領で、男の腕が胴体から切り落とされようがおかまいなしに、強引に窓を開けるようなら効果はないかもしれないが……。


 多少の時間は稼いだが、いくら稼いでも稼ぎすぎることはない。

 三人で台所の窓に向かいがてら、居間と台所を隔てる引き戸を閉めてつっかえ棒をし、さらに食器棚で塞いでおく。乱暴に動かしたので、しまっていた食器が次々と床に落下して割れては、耳をつんざく音を立てる。

 男の腕を窓に挟み込んだのはカズラの機転だが、その他はほぼ計画通りだ。事前に脱出方法をいくつか想定しながら、シミュレーションしておいたのが功を奏した。


 さて、確保できたこのわずかな時間で、いよいよ脱出作戦を開始する。

 台所の窓から外を確認すると、アザミの報告通り男が二名。だが、注意はベランダ方面に向いているらしく、窓の真下は無人だ。これ以上のチャンスはない。

 まずは予め用意しておいた、襲撃対策の縄梯子を窓から垂らす。

 僕が真っ先に窓から身を乗り出し先陣を切ったが、それに気づいて駆け寄る男たち。一段一段、縄梯子を降りていては間に合わない。思ったより高さがあったが、途中から飛び降りる。


「――いたたたた……」


 こんなときこそ慌てずに、そして慎重に行動するべきだった。着地に失敗し、足首を捻る。

 これでは格好の餌食だ。懐から取り出した刃物を振り上げながら、男達が物凄い勢いで襲い掛かかる。


「これだからあんたは、おたんこなすだって言うのよ!」


 カズラは僕に対して罵声を浴びせながら、縄梯子を振り子のように揺らして反動をつけ、襲い掛かってきた男に蹴り掛かる。

 だが襲ってきた男は二人、カズラもさすがに両方同時には攻撃できなかった。

 目前に迫る、振り上げられたもう一本の短刀。僕は思わず、頭を抱えて目を瞑った。

 

 ――やられる。


 そう思ったが、何の衝撃もなく痛みも感じない。もう、短刀は振り下ろされていてもおかしくないはずなのだが……。

 ひょっとして、衝撃すら感じる前に刺し殺されてしまったのだろうか。いやいや、死んだのならそんなことを考えられるはずもないだろう。


「ハッハッハ。危機一髪、間に合ったようですな」


 その声に恐る恐る目を開けると、駐車場の照明に照らし出されたマスターが、手を差し伸べながら笑顔を浮かべていた。

 バーは徒歩で行き来できる距離とはいえ、この短時間で駆けつけてくれたのか。電話を掛けておいたのは正解だった。

 襲い掛かってきた男はといえば、マスターに蹴り飛ばされたらしく、やや離れた暗がりでわき腹を押さえながら呻き声を上げている。これで命を救われたのは二度目なのか。一度目の記憶は全くないが……。


 カズラの方も、自信を口にするほどに腕前は確かで、一対一では一方的なようだ。日ごろストレスでも溜めているのかと心配になるほど、容赦のない回し蹴りを食らわせてみせる。スカートも長くはないというのに……。

 そしてそこへ、アザミも縄梯子を降りきって合流し、無事四人が集合した。

 しかし、脱出はまだ完了したわけではない。一度はベランダ側へ回った男たちが、他の者も引き連れて、懐中電灯でこちらを照らしながら必死に向かってくる。


「さあ、今のうちに行きましょう。こちらです」


 電器店の駐車場を抜けて車道へ向かうと、マスターが待たせておいたと思われるタクシーが、ドアを開けて出迎える。助手席にマスターが、そして後部座席にアザミ、僕、カズラの順で乗り込むとドアが閉まり、追っ手を尻目に車は走り出した。

 やっと脱出に成功した実感が湧いたのか、みんなそれぞれにため息をつく。




「――なんか、父さんに美味しいところを全部持っていかれたみたいで、すごく腹が立つわ……」

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