第9章 忘恩の徒 2

 カズラが閉めた居間のドアは、大きな鈍い音を立ててアジクを直撃すると、跳ね返ってまた開く。

 丸腰のカズラから反撃されるとは予想していなかったのか、アジクは大きくよろめきながら「うぅ……」と呻き声を一つ。そして、真っ赤な顔で振り返ると、目を吊り上げ怒りの形相へと変化。そのまま、猛獣が獲物を捕食するような勢いで、居間へと飛び入る。


 ――カズラは、そこへすかさずもう一撃。


 今度は体重をかけて、ドア越しに体当たりをする要領で、アジクへきつい一発をお見舞いする。僕も加勢してドアに蹴りを入れたので、アジクは居間から弾き出され、そのまま耳元で太鼓を打ち鳴らしたかのように、バタンととても大きな音を立ててドアは閉じた。

 上手い具合にアジクを締め出したので、僕はそのまま体重をかけてドアを押さえつけ、すかさずを掛ける。

 カズラに締め出されたのがよほど悔しかったのだろう。何とかこじ開けようと、喚きながら再三ドアに体当たりを繰り返すアジク。だが、かんぬきの効果は絶大、大人一人の体当たり程度ではびくともしない。

 こんなときのためにと、退去時に大家から怒られる覚悟で取り付けた甲斐があったというものだ。


「くそっ、貴様またしても……」

「だから、うるせえって言ってんだろ。警察呼ぶからな!」

「ちっ、後は任せたぞ」


 今度こそ警察を呼ばれそうな、最終警告とも取れる隣人の怒鳴り声と共に、体当たりが収まる。そして捨て台詞を残し、アジクは部下を連れて出て行ったらしい。玄関は、少しばかり静けさを取り戻した。


 だがしばらくすると、再びドアの向こう側に複数の人の気配を感じる。

 隣人の苦情があったせいか、体当たりを仕掛けるような無茶はしてこないが、押し開けようと力を籠めているようで、時折悲鳴のようにドアがきしむ。

 そう簡単には諦めてくれないか。

 こうなるとかんぬきはかけているものの、重しとなっているのが僕一人の体重だけでは心許ない。アザミとカズラを呼び寄せ、すぐ横のマニアックなコレクションが詰まった重い本棚を押してもらい、ドアを塞ぐ重しを補強する。

 それでもまだ、安心には程遠い。

 ユウノスケを疑ってかかっていたわけではないが、こうなることを想定した対策は練っておいた。実行に移すなら今しかない。


「カズラ、ベランダのカーテンを開けてくれ」


 こんなときに一番危険なのは、想定外の侵入を許してしまうこと。

 玄関側は今僕が食い止めている最中なので、次に侵入の可能性が高いベランダを、カズラに確認させる。


「――キャッ。なによ、脅かすんじゃないわよ!」


 カズラがカーテンを開けた瞬間、窓の外の闇に浮かんだのは、室内の明かりに照らし出された男の姿。どうやら彼は、外壁を伝ってベランダへと侵入したのだろう。手にしているのは金づち。気づくと同時に、さっそく窓ガラスに向けてそれは振り下ろされた。

 しかし、窓ガラスは鈍い音を立てたのみで、ヒビが入るにとどまる。防犯フィルムを貼っておいたのが功を奏した。こちらも多少は時間を稼げるだろう。

 ベランダからの脱出は不可能だ。他の方法を求めてアザミに指示を出す。


「アザミ、台所の窓はどう?」


 カズラには引き続きベランダの男の動向を監視させ、居間に隣接した台所の窓から外の様子を伺うよう、アザミに指示する。そっちの窓は人が通るためのものではない。腰高窓というやつだ。

 アザミがカーテンを開くが、ベランダのような足場がないこちらには、さすがに人の姿はなかった。

 恐る恐るアザミが窓を開き、首を出して下を覗き込む。


「兄さま、窓の下に五人ぐらいうろついてます」

「家の周りは取り囲まれてるみたいだな。さて、どうするか……」


 台所の窓から降りて、隣の電器店の駐車場へと抜けようと思ったのだが、向こうも周囲の様子は下調べ済みらしい。完全に袋のねずみか。

 ドアの重しにした本棚を背中で押さえつけながら、急いで考えをまとめる。

 加勢が増えたのか、こちらもゆとりがなくなりつつある。ドアの軋む音もさっきより大きい。

 今のうちに、マスターの携帯電話へと連絡を入れる。だが、長話をしている余裕はない。金づちによる執拗な打撃のせいで、居間の窓もそろそろ限界に近いからだ。


「カズラ、カギを開けられるぞ。気を付けろ」


 男が執拗に窓ガラスを破ろうとしているのは、クレセント錠の部分。空き巣が部屋に侵入する手順と同様に、割った窓から錠を外すつもりなのだろう。

 思った以上に窓ガラスは粘ってくれたが、それでもついに貫通して穴が開く。

 窓の外の男はニヤリと笑みを浮かべ、錠を外そうと穴に右腕を突っ込んだ。


「――うぎゃあ!」


 次の瞬間に聞こえてきたのは、野太い悲鳴だ。

 窓の外の男は一度ならず何度も、狂ったような声を繰り返し上げる。

 カズラは突っ込んできた男の腕を逆に引っ張り寄せ、さらにカギを開けて窓を力任せに開けたのだった。そうなれば当然、窓枠とガラスに挟まれた腕はひとたまりもない。男が悲鳴を上げるのも必然だ。


 だが男も無抵抗でいるはずがない。

 まずは腕を引き抜くために窓を閉めようと、残った左手に力を込める。だが、右腕が付け根近くまで引き込まれているせいで体勢が厳しく、力を出し切れていない。反対に窓枠に体重を掛けているカズラは体勢も充分で、圧倒的に優勢だ。

 しかし、いつ形勢を逆転されるとも限らないので、手助けのアイテムを渡す。


「カズラ、これを挟め」


 英和辞典、和英辞典、国語辞典、そして古語辞典、本棚から分厚い本を物色して取り出しては、次々とカズラの足元を狙って床を滑らせる。いまどき調べ物は全てパソコンでやっているので、学校を卒業して以来使い道などなかった辞書たちだが、思わぬところで役に立った。


 ベランダはひとまず対処したが、撃退できたわけではない。

 そして僕の背後も、相変わらずドアを押し開けようとしている。

 さっきの隣人の苦情はその後聞こえなくなったが、これだけの騒動ならば警察が駆け付けるのも時間の問題だろう。そうなれば僕たちの命は助かるだろうし、奴らは逮捕されて万々歳……と言いたいところだが、それはそれで困る。警察沙汰になれば当然、事情聴取が待っている。そうなったら、身分の証明ができないアザミとカズラをどう説明すれば良いのか。つまり持久戦になるのも非常にまずい。

 焦燥感に駆られながら頭を悩ませていると、アザミとカズラからほぼ同時に状況変化の報告を受ける。


「ちょっと、ベランダに縄が掛けられたみたいよ。増援が来るかも」

「兄さま、五人のうち三人がベランダの方へ向かったみたいです」


 向こうも持久戦はまずいと考えたのだろうか。

 何とかしなければと思っていた矢先に、向こうが先に仕掛けてきた。どうやらベランダ側に人員を集めて、一気に押し入ろうという作戦らしい。

 ピンチではあるが、指を咥えて見ている場合ではない。




「――よし、こっちも動くぞ」

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