第9章 忘恩の徒

第9章 忘恩の徒 1

 三日続きのカレーの夕食を済ませ、食べ過ぎた僕は大の字になって寝転び、天井を見上げていた。アザミは食器洗いに精を出し、カズラは日本語の勉強を始める。

 そんな団らんのひと時を邪魔するように、インターホンが鳴り響いた。


「ちょっとあんた、出なさいよ」

「どうせ、新聞の勧誘か公共放送だよ。ほっといていいよ」

「どっちでもなかったらどうすんのよ。気持ち悪いじゃない」


 そうは言われても、お腹が苦しくて起き上がる気になれない。

 睨み付けるカズラに背を向けるように寝返りを打つと、一つ大きなため息をついてカズラが立ち上がる。ああ見えて責任感の強いカズラは、護衛任務を果たすためか、ドアの覗き窓から外の様子を伺う。


『ユウノスケじゃないの。一体、何の用なのよ』


 ドア越しに外へ話しかけているために大きくなっている声が、居間にも聞こえてくる。そしてそれを聞きつけたアザミも、洗い物の手を休めて反応する。


「あ、ユウちゃんなんだ。入ってもらえばいいじゃない」

「この間カズラが再会したっていう、幼馴染の人? こんな時間に来るって非常識じゃないか?」


『ちょっと待ってなさい』


 カズラ一人では判断しかねたのか、ドアの向こうへの応対を保留すると、居間に戻ってきて相談を持ちかける。


「他には誰も居ないみたいだけど、どうする?」

「ユウちゃんだけなんでしょ? だったら、大丈夫じゃない?」

「用件は何だって?」

「ちょっと話したいことがあるってだけ……」


 用件をはっきり言わないところが引っ掛かるが、この寒空に訪問客を招き入れないというのも可哀想ではある。どうしても考え方が慎重になってしまうが、この間の二人の口ぶりなら信頼できる人物なのだろう。


「信じられる人なんだろ? その幼馴染っていうのは」

「嘘をついて騙すような人じゃないわ」

「だったら入れてあげなよ。凍えてるだろうから」

「わかったわ。開けてくる」


 カズラは心なしか浮き足立った様子で、幼馴染を迎え入れに玄関へと向かう。

 アザミも久々の再会が楽しみなようで、洗い物は完全にそっちのけで居間に着席し、今か今かと幼馴染の登場を待ち構えている。


『今開けるから待って』


 カチャカチャとチェーンロックを外す音。

 そして、玄関の方から冷たい風と共に、カズラのうろたえる声が流れ込んでくる。


『ユウノスケ……。あんた、やってくれたわね……』


 カズラが居間へと戻ってきたが、身体は玄関の方を向いたまま、後ずさりをしながらだ。体勢も身構えた状態で、後ろから見てもただ事ではないのがはっきりとわかる。

 僕とアザミもすぐに次の行動に移せるように立ち上がり、カズラの視線の先を注視する。そして、姿を現した男を見たアザミは、不思議そうな顔で首をかしげる。


「これはこれは、こちらが本物のナデシコ王女様でしたか。わたくしアジクと申します。お見知り置きを。こちらの侍女様には随分と世話になった身でして、夜分に失礼と存じましたが、ご挨拶に伺った次第です」


 姿を見た瞬間、どうみても幼馴染とは思えない年齢だと思ったが、この男がアジクなのか。

 洋服屋で容赦なく魔法を撃ってカズラに火傷を負わせ、さらに僕の目の前でカズラを誘拐した張本人。二回とも頭巾をかぶっていたので人相を拝んだことはなかったが、額の大きな傷が目立つ、いかにも底意地の悪そうな風貌だ。


「カズラ様、ほんと申し訳ねえっス……」


 アジクのすぐ後ろには、若くて背の高い顔立ちの整った男が、服装といい立ち振る舞いといい、年相応の日本人の雰囲気で姿を見せる。

 きっと、この男が二人の幼馴染のユウノスケだろう。申し訳なさそうな表情を浮かべているところを見ると、裏切り行為に罪悪感は持っているようだ。


「いやあ、良くやってくれましたよ、ユウ。君のお陰で見事、王女の居場所を突き止められました。そしてこの忌々しい女とも再会できて、感謝の言葉もないですよ。キシシシシ……」

「ユウちゃんひどいよ。久しぶりに会ったら何話そうかって楽しみにしてたのに……」

「あんたは、そういう嘘はつかない人だと思ってたのに残念だわ。しばらく会わない間に変わったものね……」

「誤解っス! いや、この状況じゃ何言っても言い訳にもならねえっスね……」


 アザミとカズラの動揺振りを見れば、いかにこのユウノスケを信じていたかがわかる。

 僕はこの男には初めてお目にかかるが、確かに人が良さそうで嘘なんてつけない感じだ。だが、人は見かけによらぬもの。現にこの状況では、裏切られたと見るよりほかないだろう。


「何を言ってるのかね、ユウ。君のお陰でこの男の正体もわかりましたしね。ほんとに君は有能ですね。キシシシシ……」

「ちょ、ちょっと待ってほしいっス。一体何の話っスか?」


 僕の正体と言われて、顔面から血の気が引く。

 まさか……とも思うが、他に思い当たるものもない。


「そのお方が、ヒーズル王国第一王子のレオ様ってことです。異論は認めませんよ。その表情が全てを物語っていますからね、兄さま。

 それにしても、今日はなんてめでたい日なんでしょうねえ。消息不明の王子に、十年も公の場に姿を現していない王女。そんな珍しい人物に、揃って直接お会いできるなんて、キシシシシ……」

「いや、いやいやいや。知らねえっスよ、マジ知らねえっス。この人が王子なんて今知ったばっかりっス」

「君のお手柄なんだから遠慮しなくても良い。帰ったらたんまりと褒美をやるから、今はこの二人、いや三人の始末に取り掛かりなさい」


 ユウノスケは必死に否定を続けているが、アジクはああ言っている。どちらの言葉が本当なのか判断に迷うが、今はそんなことはどうでもいい。

 王子、王女共にばれたとなれば、反国王派は容赦なく命を狙ってくる。


「――お前ら何の騒ぎだ、警察呼ぶぞ!」


 不意に、外の方から叫び声が聞こえた。

 この声は隣の主人だろうか。

 今、玄関がどうなっているかはここからは見えないが、ユウノスケが言っていたという反国王派の人数を信じるなら、十人以上が押し寄せていてもおかしくないだろう。となれば、苦情がくるのも無理はない。


「……警察に捕まるわけにはいかない。私はこの場を離れるが……」


 突然の来訪者に、アジクも動揺を隠せていない。

 ユウノスケに指示を伝えている声が、かすかだがこちらまで聞こえる。やはりこいつらも警察には警戒しているらしい。

 だがその隙を見逃さず、カズラが勢い良く居間のドアを叩きつける。




「――これでも食らいなさい!」

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