第4章 王子の決断 2
三人とも昼食を食べ損なった空腹のせいか、まだ帰路の途中だというのに夕食の献立話になる。だが帰っても冷蔵庫には何もないと告げると、買い物をして帰ろうと話がまとまった。
「うわー……、広くて明るい。こんなすごいお店初めてです、兄さま」
「ここ一軒で何でも売ってんの? 便利すぎでしょ。買い出しは父さんに任せてたから知らなかったわ」
シータウの繁華街はこじんまりとした専業店ばかりで、こんなに規模の大きい複合店なんてなかった。二人はそんなスーパーマーケットに入店するなり、圧倒されたらしい。
「んー、なんかどれも物足りないわね……」
入店してすぐの青果コーナーで、カズラはさっそく不満を呟く。
品揃えに多少の違いはあるものの、どちらの世界も並んでいる野菜に大きな違いはない。むしろこちらの世界の方が、種類も豊富、大きさも均一で形も良く、鮮度も良さそうな瑞々しさが感じられる。
にもかかわらずカズラが不満を漏らしたのは、農薬、旬、品種といった流通の利便を優先させたために犠牲になったものを、本能的に感じ取ったのかもしれない。思い返してみれば、向こうの野菜はどれもパッとしない色つやだったのに、味は濃厚だった気がする。
そうは言っても、今はこの中から選ぶしかない。カズラも割り切ったのか、不満を口にしながらも品定めを始めた。
「兄さま、これは何ですか?」
対照的に、アザミは目を輝かせながら、見たことのない野菜を手に取っては尋ねる。そして、答えを得ると嬉しそうに頷きながら納得し、また見知らぬ物を求める探索の旅へと出発する。
黙々と品定めをしながら、カゴへ必要な物を放り込むカズラ。そのカゴを載せたカートを押しながら、カズラの後を付いて回る僕。そして、このアザミ。年齢構成はおかしいが、なんだか一般家庭の縮図のようだ。
「この世界には、丸のままの魚は売ってないわけ? 目を見なきゃ、鮮度がわかんないじゃないの」
「こっちの世界じゃ、一般家庭で魚をさばいたりしないからね。専門の魚屋さんなら丸のままでも売ってるよ」
「じゃあ、お魚を買うときはそっちで買うわ」
魚売り場に移ってもやはり、カズラは不満からだ。
そこまで言い切るのなら、さぞかし目利きには自信があるのだろうか。築地の市場にでも連れていって、その真贋を試してみたい。
とりあえず、今日のところは魚売り場は軽く眺めただけで通過する。
「ちょっと、ちょっと。そんな良い肉じゃなくて、こっちの安いやつで妥協してくれよ」
「だって、どう見てもこっちの方が美味しそうじゃない――」
肉売り場では思わず僕が取り乱す。
カズラが真っ先に選んだのは『国産黒毛和牛サーロイン』、霜降りのどえらい奴だ。美味しそうに見えるに決まっている。
僕だってこんな良い肉を、軽く塩コショウしただけの味付けで、軽く表面をあぶっただけのレアステーキとしていただきたい。この場合のレアは焼き加減もだが、僕にとっては希少という意味でもある。何しろこのスーパーでも横目に見るだけで、手に取ったこともない代物だ。
「――それに値段なんて言われても、どれが高くて、どれが安いか、なんてあたしにはわかんないわよ」
そう言われて、二人はまだ文字が読めなかったことを思い出す。
青果売り場でも値札を気にしていないとは思っていた。だが、高級果物でも手に取らない限り、割高ではあっても目玉が飛び出るほどではない。
ところが、肉は輸入か国産かで値段は雲泥の差だ。どうせこの世界にいるのも後一ヶ月半の予定だから、そこまで切り詰めなくても良い気がするが、日頃の習慣で贅沢品にはつい拒絶反応を示してしまう。
「料理が美味しくなくても材料のせいだからね」
不満気な表情で、牛肉のパックを売り場に戻すカズラ。
仕方なく献立を切り替えたのか、別な肉へと手を伸ばす。その肉なら問題なしと許可したが、カズラは名残惜しそうに遠く離れた先ほどの肉を見つめている。僕だって名残惜しい。
だが、今日の買い出しは大量になりそうなので、調子に乗るととんでもない金額になってしまう。ここは妥協してもらわなくてはと、心を鬼にする。
さらに調味料、乾物、飲み物……。
買うべき物を一通りカゴに入れたところで気付いたが、アザミが居ない。
肉売り場の辺りからやけに静かだとは思っていたのだが、一体どこへ姿を消したのか。周囲を見渡してみたがその姿はなく、不安が頭をよぎる。
「アザミならきっと、甘い物の所にいるわよ」
「そんな子供みたいな……」
カズラの言葉を疑わしく思いながら洋菓子のコーナーを覗いてみると、母親に駄々をこねる子供の横で、目を輝かせるアザミの姿があった。
「兄さま、これ買ってもいいですか?」
隣の子供と同じ目でケーキを指差すアザミ。
そんな目でねだられたらダメと言えない。
今度こそ、もう買い残しはないだろう。
二段のカートの上下それぞれに積んだ満載のカゴをレジで清算すると、スーパーマーケットを後にした。
「――へー、思ったより広いじゃない」
家に上がるなり、カズラは各部屋を見てまわる。
まるで、賃貸物件の内見でもしているようだ。
「まあ、これなら合格ね」
「そりゃどうも」
合格基準も不明だし、不合格だったらどうなっていたのかもわからないが、これなら住んでやっても良いという意味だろうか。
空っぽだったところに買い物袋四つ分の食材を詰め込んで、一足先に冷蔵庫の空腹を満たす。一人暮らしを始めた時には大きすぎたと後悔した冷蔵庫だったが、思いもよらぬ三人暮らしで役立つ結果に。こんな未来が待ち受けているとは……。
「とりあえず、今夜はあたしがご飯作るわ。味は保証しないけどね」
包丁を握りながらカズラは謙遜したが、味なら僕が保証する。
カズラの手料理はあの時以来だ。あれは悔やんでも悔やみきれない事件だったが、今こうしてカズラとの再会を果たし、やっと過去にできそうだ。
シンク下の戸棚から鍋を取り出し、水を注いでコンロに載せる。
アザミと二人でカズラの炊事風景を眺めているが、あまりの手際の良さに感心するばかり。元からこちらの世界の住人だと言っても違和感がないほどだ。アザミと比べれば五日早くこっちへ来ていた分、この世界にも慣れているのだろう。
ガスの元栓を開き、ガステーブルの点火スイッチに左手を伸ばす。
するとすかさず、カズラは右手も突き出した。
「出でよ、煉獄の化身」
驚きのあまり一瞬時が止まるが、すぐに堪えきれなくなり腹を抱えて笑い転げる。これは、僕がアザミを騙した時と全く同じ行動ではないか。
そして一字一句違わぬこのセリフは、僕の気に入っている異世界物のライトノベルに登場する火炎魔法の呪文だ。確か、マスターの店に忘れてしまったのもその本だったはずだが……。
「何がおかしいのよ」
「カズラ……。それ、何も言わなくても火は点くのよ」
一旦火を消して、無言で点火スイッチを押してみるカズラ。
何も言わずとも火が点き、その表情がみるみる険しくなる。
「――くぅ……。もう、頭にきた。あの親父、絶対許さないんだから!」
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