第4章 王子の決断
第4章 王子の決断 1
「――じゃあ帰るわよ」
自分の家に向かうかのような、カズラの『帰る』という言葉にやや違和感を覚えながらも、マスターに別れを告げて家路に就く。
来た時と変わらない曇り空のせいで今の時刻がピンとこないが、取り出した携帯電話で確認すると、もう午後三時を回っていた。そして、その液晶画面を見つめながら、今朝考えていた今日の予定を思い出し、足を止める。
「ちょっと寄り道していいかな」
「こんなに寒いのにどこに行こうってのよ」
「アザミに、携帯電話を買ってあげようと思ってたんだよ」
「本当にいいんですか? 嬉しいです、兄さま」
今朝、結論を出す前にカズラが家を訪ねてきたのでうやむやになっていたが、このアザミの言葉で決まりだ。
この先、常に一緒とはいかないだろうから、緊急の連絡手段として携帯電話は欠かせない。だがなにより、どんな電気製品よりも携帯電話に興味を示していたアザミの、喜ぶ顔が見たい。
ちょうど、近所に携帯ショップがあるので、そこへと足を運ぶ。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
「新規で一台欲しいんですが」
「かしこまりました。こちらの番号札を持って、しばらくお待ちください」
日曜日のわりには空いている。この分ならすぐに呼ばれそうだ。
アザミに機種を選ばせようと、展示してある見本を見てまわる。
「アザミはどれがいい?」
「どれが良いとか全然わからないんで、兄さまと同じのがいいです」
「操作方法も教えやすいから、同じ機種にしようか……」
「はい!」
アザミは嬉しそうな表情を浮かべると、購入予定となった展示見本をしげしげと眺め始める。そして以前、僕が携帯電話でやってみせた操作をさっそく試し始め、もう声を掛けても気付かない程に夢中だ。
対照的に、カズラはつまらなそうな表情でソファーに腰掛けたまま、あさっての方を向いている。
「ひょっとして、カズラも欲しいの?」
「い、いいわよ。父さんに一回頼んでみたけど、あたしたちには戸籍ってもんがないから無理って言われたし……」
カズラは気付いていないのだろうが、とんでもない失言だ。
慌ててカズラの口を手で押さえ、小声で注意する。
「しーっ。『戸籍がない』なんて、こんな所で大っぴらに口にしちゃダメだよ。密入国者とでも思われたら大変だ」
「あっ。そういえば父さんにそんなこと言われてたわ、ごめん……」
異世界から来たとはいえ、密入国には変わりない。
諭すと、カズラは失言を自覚したようで、表情を陰らせて謝罪の言葉を告げた。
そして同時に、愛想とは無縁の機械の音声が、手に持っている札の番号を呼び出す。
『――226番の方、お待たせしました』
順番がきたので、見本品の操作に夢中になっているアザミの肩を叩き、三人揃って係員の待つカウンターへと腰掛ける。
しかし、カズラとの話が途中なので係員には少し待ってもらい、周りに聞こえないように小声で会話を続ける。
「アザミだって当然戸籍なんてないよ」
「じゃあ、どうして携帯電話が買えるのよ」
「それは僕の名義で買うからだよ。だから、カズラも欲しいなら買ってあげられるけど、どうする?」
一瞬嬉しそうな表情を浮かべたが、再び悩み始める。
そして、冷ややかに予想通りの言葉を返す。
「……いらないわ。今だって持ってないけど、不自由してないもの……」
「わかった」
カズラとの会話を終えて、係員の方へ向き直る。
「すいません。さっきは一台って言ったんですけど、やっぱり二台にしてください」
「え、ちょっとどういうことよ。あたしはいらないって言ってるでしょ」
「遠慮しなくていいよ。その『いらない』は、あたしも欲しいって意味だろ?」
長い付き合いとは呼べないが、カズラの性格もだいぶ掴んだ。
本当にいらないか、それとも本当は欲しいのかぐらいすぐに判る。そして今回はというと、間違いなく遠慮している。本当は欲しいはずだ、それもかなり。そしてそれを裏付けるように、アザミも声を殺しながら肩で笑っている。
「カズラ、お揃いで買ってもらおうよ」
「……そ、そこまで言うなら仕方ないわね。確かに何かあったら困るし、持っておいた方が便利だものね」
アザミの後押しが効いたようで、やっと本音を聞き出すことに成功した。
だがやっぱりそこはカズラ、照れ隠しは欠かさない。予想通りの展開すぎて思わず笑いが漏れそうになるが、固く口を閉じてこらえる。
「それでは、山王子玲央様名義で二台追加でよろしいですね」
「それでお願いします」
淡々と契約手続きが進んでいく。幸い在庫もあるようで、すぐに持ち帰れそうだ。
僕と同じ機種を、三人がそれぞれ色違いになるように選び、支払いはクレジットにする。僕自身は一ヶ月半で日本から姿を消す予定だが、クレジットなら自動的に引き落とされていくので――そのうち残高も尽きるが――、支払いで迷惑を掛けることもないだろう。
「それでは、こちらがお品物になります。傷などないかご確認ください」
二人は、僕が係員と長々とやり取りしている間中ソワソワと落ち着かない様子だったが、ついに待ちかねた携帯電話が係員から差し出されれると、目を輝かせてそれを受け取る。
始めて手にした自分専用の携帯電話に夢中になる姿は、まるで子供のようだ。だが、これだけ喜んでもらえるのなら、少なくはない出費だったが本望というものだ。
「ありがとうございました」
店員に見送られて店を後にする。
太陽は見えないものの、空を覆う雲は紫色を深め、間もなくの日没を教える。
相変わらずの寒さに今度こそ家路を急ごうとするが、二人が来ていないことに気づく。振り返ってみると、まだ店先で何やら揉めている様子だ。
「いい? わかった?」
「わかったってば……」
強い口調のアザミと腰の引けたカズラ、珍しく立場が逆転している。
一体何事だろうと注意深く眺めていると、アザミがカズラの手を引きながら駆け寄り、ペコリと頭を下げる。
「兄さま、携帯電話どうもありがとうございました」
「いやいや、どういたしまして」
アザミは、背景に花でも背負いそうな笑顔でお礼の言葉を述べると、カズラを肘で小突く。それでもなお煮え切らないカズラに、「約束したでしょ」と今度は言葉でけしかける。
さっき揉めていたのはこれだったのかと大体を察すると、カズラが照れ臭そうに口を尖らせながら呟く。
「…………ありがと……」
「もう、ちゃんと言うんじゃなかったの?」
「わ、わかってるわよ」
そう言って、カズラは軽く深呼吸を始めた。
カズラからのお礼の言葉なんて、それ自体が珍しいのでたった一言で充分だったが、まだ何かあるのだろうか。何やら事態が深刻そうで、こちらの方が緊張してしまう。
「――携帯電話ありがとう。あの……本当は欲しかったのよ。わかってくれて嬉しかったわ」
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